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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第八部

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ゴブリンと混沌の素顔

 うなだれるバザウにブルネルスが木の器を差し出した。白い湯気と共に甘苦い芳香が立ち上っている。


「お茶だよ。心を鎮める薬草が入ってる」


「……ありがとう」


 不安そうにしばらく無言で佇んだ後ブルネルスは洞窟の中へ戻っていった。どうすれば良いのか見通しが立たない非常事態に直面した時に平常心をたもつのは難しい。

 どうすれば良いかわからないのはバザウも同じだった。温かいお茶をゆっくりと飲みながら今後どうするかまとまらない頭で考える。


(変容が解除できるかどうか見極めるのが一番重要か……)


 妖星の影響を受けた者を取り込んで元に戻せないかという方向で対抗策を練る。

 ニジュ=ゾール=ミアズマの身に起きた変容は未だに元に戻ることはなく、なおかつその過程で並々ならぬ苦痛がともなった。

 その一方で神々は言葉と態度による否定という手段で妖星の現実侵蝕を修復していた。

 二つのケースの違いがわかれば解決の糸口も見えてくるかもしれない。


(単純に曝露時間や濃度といったものの差なのか……? 他に何か……)


 バザウはイ=リド=アアルのアシ原で触れた神々の記録を振り返る。


(ある妖精はシアの前でこう語っている。ニジュが優しそうだったから友達になりたくて飛び込んだ……。無邪気なものだな。その結果ニジュがどうなったかと思うと……)


 望みに反応しそれを叶えようとするのが妖星の性質だ。

 そう考えるとニジュの場合は、友達になりたいという妖星側の望みが発端になっているのが他の事例との最も大きな違いだろうか。

 妖星はこの世界に悪意を持ってはいないのだろう。だがあまりにも理と力がずれていて共存することは難しい。こちら側の存在がいとも容易くねじ曲げられてしまう。圧倒的な力で変えられてしまう。


(意志の方向性を持った大きな力という点では妖星は神々に似ている)


 思考をめぐらせていたバザウはどこかで誰かが泣いているのに気づくのが少し遅れた。ブルネルスのものではない別の子供の声だ。すすり泣きの聞こえる方向に顔をむければ、岩場の影で両手で顔を覆ってうつむく幼児がいた。

 バザウは幼児の死角になるよう身を隠してから穏やかな口調で声をかける。


「大丈夫だ。そこにいなさい」


 そういって子供には近づかず洞窟にいるブルネルスを呼びにいく。


(人間の子供……ならゴブリンとご対面するよりも変わり者とはいえ同族に対応してもらった方が怯えることもないだろう)


 瞑想用の香がモクモクと立ち込める中、骨と関節の限界に挑戦した過酷な姿勢で黙々とポーズをとっている苦行娘に事情を話す。ブルネルスは頼みを快諾した。奇怪なポーズを解いてさっそく子供のもとへとむかっていく。先ほど見せた不安な様子が薄らいでいるのは、すすり泣く幼児をなぐさめるという今やるべきことが一つ見つかったからだろう。

 が、軽やかな足取りは突如ピタリと止まった。幼児が視界に入ると同時にブルネルスが精いっぱいの大きな声で異常を告げたのだ。


「!? バザウ、何かおかしい! その子の魂の色は人間のものなんかじゃない!」


 警告の声とほぼ同時にバザウは不可解な幼児とブルネルスの間に割り入り、何が起きても動けるように準備をした。


「チッ、なんだいコイツは。子供に甘いバカなゴブリンをからかってやろうと思ったのにさ!」


 あどけなかった子供の声が急にふてぶてしく変わる。

 それよりもバザウを驚かせたのはその顔だ。顔がない。本来なら目鼻口があってしかるべき箇所には大穴が開いている。鉄が錆びたような、肉が焦げたような、夢が綻んだような、ボロボロの穴だ。


「化け物め」


 首にかけたチリル信仰の証であるシカの角を握りしめながらブルネルスが小さく吐き捨てる。

 一方バザウは呆れを含んだ表情で腕組みをするだけだった。


「……ルネか……?」


「はー、つまんなぁい。誰かさんのせいでもうバレちゃったじゃーん。退屈」


 体の大きさも幼児から細身の成人のものへと変わる。背中からはふさりと色とりどりの羽毛翼が現れた。いつものルネの姿……ではない。顔には穴が開いたままだ。穴の奥には小さな花が一輪咲いており頭の主の声に合わせて動いている。よくよく見れば花の正体は花弁状のパーツをつかんだ小鳥の足。花弁はキレイな金属光沢を放つ甲虫の殻やネズミやトカゲの骨を固めたものだ。揺れたり震えたり滑らかに動く。舌の役目の代わりでもしているつもりなのだろうか。構造上あれで発声ができるとも思えないが。


「混沌のシュシュ……!? 前にも私の前に現れたな、忌まわしき退廃の邪神」


「あー、すっかり記憶から忘れ去ってたけどそーいやお前はアタシの手駒にすらなれなかったハズレちゃんじゃないのさ。頭が固すぎて使い物にならない役立たずだったよ」


 バザウは創世樹計画の妨害役としてルネに操られていたが、ブルネルスもまた運命をもてあそばれかけた。チリルへの信仰心が強すぎるあまりかルネにとって扱いづらかったようだ。


「ネタバレされたしスッピンも見られたし化け物呼ばわりされたし、ムカついたからソイツを八つ裂きにしても良い?」


「いつもの厚化粧はどうしたんだ」


 軽口を叩いてルネの注意を自分の方へと引いておく。


「メイクの時間さえなかったのさ。いよいよアタシの身も危うくなった。シアの目が届かない安全な逃亡先に飛び込んできたってわけ。かくまっとくれよぉ」


 大規模な侵食が起きたがシアを含めたほとんどの神々は何が起きたのかさえ理解できず、世界に起きた異変はチリルの創世樹計画がもたらしたものと認識し、それによりルネの立場も極めて悪化。

 神々はこの混乱を引き起こした者としてチリルへの怒りを燃やすがチリルの尻尾はつかめない。その矛先が双子神のルネにむけられるのは時間の問題だった。


「シアにひどい目に合わされる前に逃げてきちゃった」


「おい……、その話を聞いてお前をかくまうのに賛成すると思うのか? 怒り狂ったシアに乗りこまれて巻き添えを喰うのはごめんだぞ」


「うふっ、小心者で可愛らしいねぇ。バザウってばビビッてるの? ……冗談さ、そんな怖い顔で睨まないでおくれよ。その点は大丈夫。夢だの創世樹の根源世界だの精神的な領域に、アタシの手助けなくシアが自由自在に入り込めるものか」


 ここまで自由に動けるのは心の神たるルネとチリルの特権だ。だからこそ神々は雲隠れ中のチリルの足取りを追うのに苦心した。

 他の神々の場合は神懸かり状態の信奉者に神託として声を聞かせたり、神域に足を踏み入れた者にイメージを送るなどその程度の干渉が関の山だ。


「それにしてもこの空間は……。なかなか面白い創世樹を育てているじゃないか。バザウ、お前の真理ってのはきっと……」


「話をそらすな」


「んー、カリカリしちゃってこわぁい! だいたいここが本当に安全地帯じゃないなら、アタシがスッピンさらしてまでわざわざ来たりしないっての」


「……これ以上疑っても無意味そうだな。追い出すのも面倒事になりそうだし……」


 ため息をつきつつバザウはルネをここに置くことにした。ブルネルスには悪いがルネを排除するために費やす気力や労力の余裕もない。


「正気でいる神はごく少数しかいないらしいな」


 ルネは顔の穴からふーっと息を吐いた。風を吹いたといっても良いかもしれない。細かく砕かれた甲虫の翅がキラキラと飛んでいく。


「ハンッ! まともなのはアタシくらいのもんさ。キノコはトラウマ持ち、ミミズはおバカ、湿地は記録の管理ばかりで行動力がない。双子神の片割れは……自分の手には余るほどの大きな問題を独力でどうにかしようと徒労を重ねるだけのわからず屋」


 軽薄にして冷笑的なこの神にしては珍しく、チリルについて語るルネの声はどこか物憂げだった。


「ニジュが病体に鞭打って大暴れして妖星体を消して回ってたけど、しょせん焼け石に水ってやつ」


 荒ぶるニジュの姿は他の神々からは哀れな狂気の発作だと見なされている。エヴェトラとイもそれぞれこの事態をなんとかしようと奮闘しているが、上手くいっているとはいいがたい。


「圧倒的に大きな力に立ち向かうなんてバカがすることだよ。長いものには巻かれて、ヤバそうな時にはとっとと見切る。それで良いじゃないか、それで良いと思うんだけどねぇ」




「私はヘビイバラの兄弟のことがわからなくなりそうだよ」


 バザウとルネの話が終わったのを見計らいブルネルスがやってきた。ルネは無残なスッピンに化粧をほどこすためにどこかにいっている。

 小さく息を吐きながらブルネルスはバザウの隣に腰かけた。こうして間近な距離にいると彼女の体の華奢さをより如実に感じる。気配や息遣いといったものに動物的な活力が希薄だ。


「同じ兄弟でありながら、バザウは私とはずいぶん違う」


「それはそうだろうな」


 パサついた黒い前髪の間から鮮やかな色が見え隠れする。チラリと覗いた青緑の瞳は光の当たり具合で白緑にも濃藍にも紅紫にも様変わりした。ノブドウの実そっくりの色合いだ。その目が前髪の奥でじとーっと細められた。


「混沌のシュシュとも関りがあるみたいだし」


「お前はアイツと深く関わらずに済んだらしいな」


 ブルネルスはルネの言葉の一切を邪神の甘言とみなし聞く耳を持たなかった。まあ実際にまさしくそれは邪神の甘言であったのだが。

 しつこいルネを追い払うべく過酷な苦行に打ち込んでいたらいつの間にか去っていったのだという。

 

「兄弟にもチリルへの強い信仰心があれば邪神を退けられたかもしれないのに」


「それは無理だ。残念ながらゴブリン族にはチリル信仰の文化自体がなかったものでな」


「なるほどね、だからあんなに滅茶苦茶なのか。チリルの教えが広まればゴブリンって種族も少しはマトモになるんじゃない?」


 バザウは想像力を働かせてみたがどうしてもイメージできなかった。


「ゴブリンたちが信じる神はな、いるかもしれないしいないかもしれなくて姿も名前も正確には決まっていない神なんだ」


 ブルネルスは見るからにげんなりした。


「耐えがたい。すべての感覚を奪う暗黒の中に明かりもなく突き飛ばされたみたいに心細いよ」


 バザウみたいな堅物は置いておくとして、ごく一般的なゴブリンはその状況でも気兼ねなくエンジョイするだろう。


「信仰はあやふやな私の輪郭に形を与えてくれる」


 太陽が作り出したブルネルスの影をバザウは見るともなしに見ていた。空が曇りの時は影はぼんやりしていて、よく晴れると黒々とくっきり目立つ。ブルネルスの心は強い光を必要としていた。

 バザウなら陰鬱な曇天の下でも虚無の暗黒の中でも平気だ。極端に強い光に焦がれたりはしない。ゴブリンは穴倉を好む生き物でその目は闇を見るのに向いている。

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