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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第八部

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ゴブリンと見放されし娘

 バザウは少女が寝泊まりに使っている洞窟の中に招かれていた。洞窟の主と向き合い、むき出しの地面に座す。

 ほとんど動物の巣穴と変わらないが、枯草が几帳面に積まれていたり中身不明の箱や壺が置かれていたりと人らしい生活の痕跡もある。

 使いかけのロウソクもあるが今は火が灯っていない。外では太陽が顔を出しているのでまだ光源に頼る必要はない。

 少女から聞かされた話をバザウは整理した。


「つまりお前は……俺と同じ出生の秘密を持つ者だ、と……」


「そうだよ。我が兄弟」


「……なぜわかった?」


 バザウはまったく気がつかなかったというのに。少女を見た時に特にピンとくるものはなかった。


「三番目の緑の層からが普通の生物と違っていたから」


 神々やごく一部の者にわかるという魂の色層だ。肉体の外側には色彩の異なる複数の層が重なっている。生気、感情、理知、因果、無我、真我、梵源。少女の言う三番目の緑とは理知以降の層をさしているのだろう。

 バザウにはそれを知覚する先天的なセンスはない。指導を受けた結果、おぼろげに感覚をつかめるようになった程度だ。五感に似せた言い回しをするとすれば、バザウは明瞭に色層を見極めることはできないが、そこにあるというぼんやりとした温度は感じとれ、精神的な手を伸ばして干渉はできる。


 少女の目が魂の色相をとらえるようになったのは長年の苦行がきっかけだった。墓所で死体相手に暮らしていた時だ。カチリ、と。隠されたボタンのスイッチが急に入ったかのように、新たな世界が広がった。

 だからバザウを一目見ただけで自分と同じ存在なのだと理解できた。その肉体はゴブリンなのに、魂の緑層はまごうことなく端然とした美しい樹木のものであった。


「納得したかな? 思索するヘビイバラの兄弟よ」


 ヘビイバラ。トゲのある枝が特徴的な小ぶりの木だ。その曲がりくねった枝ぶりはヘビにも似る。イバラという名がついてはいるが豪華な花のバラとは別の科である。

 かつてチリルは創世樹の試作品として、調整され特化した精神性を持つ樹木を根づかせようとした。その魂はルネの妨害のせいでチリルの計画とはてんでチグハグな生き物に宿ってしまったが。

 魂の根幹はどうであれ、すでに馴染んだ名前があるのに別の名で呼ばれるのはしっくりこない。


「俺の名はバザウ。ハドリアルの森の産まれ、震撼を呼ぶヘスメの十二番目の息子バザウだ」


 少女は少しの間、沈黙した。


「親から与えられた名をずっと放っておいたらいつの間にかなくしてしまった。名前の必要がある時はブルネルスの名を拝借している」


「拝借……、ふむ。ブルネルスというのは人間たちの中で高名な誰かなのか?」


 バザウはこの娘が名を借りようと思うのはどんな人物かと予想してみた。本命、宗教関連の人物。対抗、悲劇的な運命をとげた不幸な誰か。大穴、許されない罪を犯した者。


「どこかの聖堂で飼われていたロバの名前」


(惜しい。宗教関連の動物だったか)


「私の魂は戒めるロバノブドウとしてチリルによって創造された。……人の身に受肉した不幸ゆえ、チリルが望まれた高潔なる樹木としての生き方は閉ざされてしまったけれど……」


 ブルネルスの言葉にはぬぐい切れない罪の意識がにじんでいた。己を創造した者が抱いていた期待に応えられないことに負い目を感じているようだ。バザウは少しも罪だと思わないが。

 また神の名をチルではなくチリルと呼んでいる。ブルネルスは神との特別な繋がりを自覚しそれを隠すつもりもないことがうかがえる。


「こうして同じ苦難を分かち合える魂の兄弟に出会えたことに感謝したい。ゴブリンの器に宿りし兄弟、バザウ」


 弱々しい色をした乾いた唇に控えめな笑みが浮かんだ。


(器に宿りし、なんていわれてもな……)


 ゴブリンであることはすでにバザウという精神を構成する必須要素になっていて、それを除外するような言い回しがどうも素直に飲み込めない。

 魂の兄弟とやらの奇跡的な再開に、バザウは彼女と同じような穏やかな微笑みを作れないでいた。




 ブルネルスはバザウの滞在を歓迎した。


「気がきかなくてすまないね。飲み物を用意するよ」


 古びたポットから木の椀に入れられ差し出された茶色の液体。紅茶ではなく薬草茶の類のようだ。香りは強く、一口飲むと甘苦さと共に独特の風味がある。


(クセはあるがまあこれはこれで……)


 ジャリッとした嫌な感覚が口内に響いた。注意深くお茶の上澄みだけを飲まないと砂や小さなゴミまで口に含むはめになる。ブルネルスは洞窟住まいだ。これぐらいは仕方がないだろう。


「これをお食べ」


 地道に拾い集めたと思われる木の実や草の実がザラリと木皿に盛られた。松の樹皮も。

 実といっても香ばしくローストして塩をパラリとふったアーモンドだとか甘酸っぱいラズベリーなんて小じゃれたものではない。

 人間たちの市場で名前と値札をつけられて並ぶような実の姿はなく、森の中でイノシシやネズミがかじっていそうなものがコロリと皿の中で待機している。調味料は一切使われておらず、灰汁抜きや天日干しといった最低限の加工がされているだけ。


(こういう食事は俺もとったことはある。狩りも盗みもずーっと上手くいかなかった悲惨な日に)


 粗食である。好き好んで食べようとはゴブリンだって思わない代物だった。ゴブリンはキノコや黒土を食べても生きられるが、もしも口にすることができるならマカデミアナッツが入ったチョコレートとかブルーベリーアイスクリームを乗せたハチミツチーズピザとかを好んで食べるはずだ。


(特に! この! 木の皮!)


 こんな食事は嫌がらせみたいだがバザウと同じものをブルネルスも平然と食べている。ブルネルスは煮込まれた薄い木片を厳かな手つきでつまんで自分の口元まで運んだ。開かれた口から象牙色の歯列が見えた。生来の犬歯があるのと摩耗による損傷で歯がギザギザと尖っている。慎ましやかな隠者といったイメージには似合わない、野性味と凶暴さを感じさせる口だった。

 粗食とはいえ食べ物を出してもらった以上、あまり不平をまき散らすのもはばかられる。バザウは文句といっしょに樹皮を飲み込んだ。ボソボソした食感はただただ不快としかいいようがない。噛めば噛むほど青臭いえぐみが引き出されるのに、よく噛まねば飲み込めないほどに硬い。ノドに引っかけながら、どうにか胃まで落とすことに成功した。


「……ごちそうさま」


「お粗末さま」


 美食や贅沢といった言葉とは最も遠い夕餉を終える。バザウは昼に食べ損ねた獲物たちが恋しくてたまらなかった。


「寝る時はここを使うと良いよ」


 ブルネルスが指し示したのは乾いた植物を積み上げた一角。それがワラや干し草の寝床……なら問題はなかった。豪華ではないがゴブリンのベッドとしては充分快適だ。

 だが、バザウが一見して干し草かと勘違いしたそれはとても快適な夢を提供してくれそうにはなかった。一番上はチクチクする葉がふんわり被さり、中層はトゲのある茎や枝がたっぷりと積み上げられて、一番下には尖った石がふんだんに敷き詰められている。ゴブリンだってこんなベッドは嫌だ。


「おい、なんだこれは……」


 さすがに耐えきれなくなり不機嫌さと不可解さを隠せずにブルネルスに問いかける。

 ブルネルスはしばらくは何を問われているのかわからないといった様子でいたが、あっと小さな声を出した。


「ごめんよ。思い出した。寝床がどういうものだったか」


「俺は適当な地面の上で毛皮にくるまって寝るからな」


「ごめんね、バザウ。客人なのに」


 ブルネルスはトゲだらけの寝床に身を横たえた。当然頬や腕に浅い引っかき傷ができたが、まったく問題にしていない。


「普段からああいう食事をして、毎晩こういう場所で寝ているのか?」


「だいたいは。断食したり不眠の苦行をすることもあるから、いつもとはいえないね」


「なんでそんなことをわざわざ……」


 生きていれば思うように食べられない日や眠れない日もある。だがバザウにとってそれは失敗や不運によるもので、わざわざすることではない。意図して自分を痛めつけるブルネルスの行動原理がよくわからなかった。


「苦行の理由はいくつかあるよ。私自身へ罰を課していると同時に魂を昇華させるものでもある」


「……」


「神の声を聞くためにはこれが一番良い方法なんだ」


 種族神の加護なき人間たちは他の神々にすがって祈るしかない。もしかしたらいるかもしれない善良で慈悲深く崇高な人間神の存在を夢想しながら。

 人間の直接的な守り神ではないものの、無数の神々がいる中でチリル=チル=テッチェは人間社会で多くの信仰を獲得している。

 気まぐれな神々の思いは基本的に神託によって伝えられる。神の声に耳をすませる特別な者の耳にだけその声は届けられる。

 ブルネルスはそう説明した。


 バザウは貪欲の市場のエメリとダークエルフの呪歌術師ダチュラを思い出していた。

 エヴェトラ=ネメス=フォイゾンと交信するためにエメリは危険な禁足の森で無防備になるほどの集中力を発揮し、ルネ=シュシュ=シャンテから歌を授かるためにおそらくダチュラは肉体と精神の両方にとんでもない痛手を受けている。ゴブリンの太鼓奏者ラムシェドの手助けがなければ日常生活さえまともに送れないほどに。


 気まぐれな神々の言葉はコロコロと変わり、何を善悪とし何を望んでいるのかはそのつど神託を受けねばわからない。

 特にネコ神ミュリスのお告げがハイスピードで変更されるのは有名である。神々しいネコの現身をなでよと命じておきながら、やっぱり気が変わってなでた信者に天罰を与えることすらあるという。ミュリス信者はそれでも幸せそうだが。

 しかしそこにチリル=チル=テッチェという例外が存在する、とブルネルスはつけ加えた。

 チリルは自分の考えを日ごと気分ごとで変えたりはしない。チリルが大昔に人間の信者に授けた神託は現代になっても変わることはない。

 神の声を頻繁に聞けなくとも神託を書き記した教典を使うことでチリルの教えを多くの者の間で共有ができる。これが人間の世でチリルが秩序の神として広く祀られるようになった最大の要因である。


(……その教典とやらの内容は、まとめた人間の意図がずいぶんと入り込んでしまっているようだが……)


 書物を作れるほど裕福な階級が教典の内容を恣意的にいじれるというのも、信仰普及の理由だろう。


「教えを記した古からの書がある。教えを今に伝える教団もある。どちらも複数存在し、互いに矛盾する内容もある。私はチリルのお声を直接聞きたいんだよ」


「……それで、チリルはお前に何を語ったんだ」


 ブルネルスは静かに首を横に振った。




「おやすみ、バザウ」


 闇の中で夜の挨拶をした後、ブルネルスは物音一つ立てることなく眠りに落ちた。


(あんな痛そうなところでよく寝つけるものだな……。慣れってすごい)


 横になりながらバザウはずっとブルネルスのことを考えていた。ついこの間までその存在すらしらず、ようやく巡り合った魂の兄弟のことを。

 同じ苦難を分かち合える魂の兄弟。ブルネルスはバザウのことをそういった。

 たしかに共通する秘密もあるが、ブルネルスをさいなんでいる苦痛の一部はバザウにはわからないものだ。

 出生についてはバザウも思い悩む点も多い。しかし創造者チリルが勝手にかけていた期待に対しての責任感や負い目は感じていない。

 なんとしてでもチリルの声を聞きたいというがむしゃらな渇望もバザウにはない。


「……」


 今宵の夢に秩序の神が姿を見せないよう念じながらバザウは目を閉じた。

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