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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第七部

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ゴブリンと信徒を分かつ戦火

 動物病院の中には腕に派手なイレズミを入れた男がいた。ツンと逆立った髪は鮮やかな緑のメッシュでところどころ染まっている。夏のクローバーみたいな色だった。その顔には銀色の眼鏡と憂鬱が乗っている。

 彼が資料をとりに物置兼書庫の小さな部屋に入りドアを閉めたと同時に、エヴェトラはこの空間を外部から遮断した。これで物音はもれないし余計な邪魔が入ることもない。

 バザウたちの姿はこの世界の普通の者には見えていない。人間の男はまだ自分が閉じ込められたことにも気づいていない。


「……密室を作るの、手慣れてるな」


「私は広々した場所でも気になりませんが、お相手は色々なのでこういった空間を好まれる方も多いので!」


 かなりうんざりしたため声とあきれた表情でバザウは好色な同行者を見た。


 バザウは妖精の埃石を握りしめて砕いた。いつから存在していたかも定かではないこの古い石は力を加えれば簡単に粉になる。

 模倣形でいた時はそれこそ埃のような地味な色合いだったのに、砕いた直後はキラキラとした金色の輝きを放つ。

 その光が消えないうちにバザウは妖精の埃粉を自分とエヴェトラに振りかけた。


 獣医師は職場の倉庫で、身長約4フィート2インチの緑の肌をした小鬼と片胸推定4ポンドの豊満ボディの美(きっと多分おそらくは)女と対面した。

 エヴェトラは壁ドン顎クイで彼の動きを封じる。


(一分の隙もない流れるような動きだ。ここまで極めるのにコイツはいったいどれほどの……)


「うふふ、ちょっとばかりお時間よろしいですか?」


「こちらの用事が済んだら解放する……。いくつかの質問に答えるだけでこの状況から無傷で日常に戻れるなんて、とても割りの良い取り引きだと思わないか?」


 ニヤリと笑うゴブリンの牙にもひるまず、ぷるぷるしている大きな胸に気をとられることもなく、獣医は冷静に応じた。


「それは質問の内容にもよるな」


「ケレイブとオースティンについてのごく簡単なアンケートだ」


「なぜ変質者のお前たちが彼らのことをしっている?」


 エヴェトラのせいでバザウまでヘンタイ扱いされたのは心外である。




 バザウとエヴェトラは大まかに経緯を話した。


「こんな冒涜的で名伏し難いものを私は神だとは認めないし、話を信じる気にもなれない」


 獣医師は視線をバザウへと移す。


「……だがコンウォール地方出身の母方の祖父母とウェールズ地方出身の父方の祖父母に可愛がられた私は、丘に住む良き隣人を邪険に扱うつもりもない」


 バザウは丘にずっと住んでいたことはないしこの人間の隣人だった覚えもない。

 どうやら獣医師はゴブリンや妖精という直接的な名称を避け、婉曲的な表現でバザウのことを呼んでいるようだ。


「結論からいうとオースティンは亡くなった。救急車に乗せられて病院に運ばれたが残念ながら助からなかった」


 若者のグループとホームレスが激しく口論してもめているのを複数の人物が見ている。

 目撃者の証言によれば先に素手で殴りかかっていったのはオースティンの方だという。騒動の中でオースティンはグループの一人に背中を刺された。深々と。


「……オースティンが粗暴な行動に出たのには理由がある。事件の数日前にも大きな事件があった。ケレイブが……毒餌を与えられている」


 この国では野宿者に現金ではなく直接必要なものを寄付することが多い。寄付した現金がアルコールやドラッグに変わることを避けるためだ。

 オースティンはケレイブの異変に気付いてすぐにこの動物病院に連れてきた。


「できる限りのことはしたが……ケレイブは昏睡状態が続いた後に事切れた。オースティンが病院で息を引き取ったのとほぼ同時刻に。安楽死を検討していた矢先の出来事だった」


(ケレイブの言葉と少し喰い違うな……)


 オースティンが車に乗せられた時、ケレイブはまるでその場にいたような口ぶりでその時の状況を語った。  


「動物病院にケレイブがいた時に……短時間でも脱走したような形跡はなかったか?」


「……? おかしな質問だな。そんなことは無理だ。物理的にも容体的にも。……ケレイブの状態は悪かった。体の内側から燃えるような苦痛を感じていたはずだ」


 獣医は口ごもる。あまり感情を見せなかった彼の顔に、むごい悪意によって奪われた命を悼む表情が浮かんでいた。自分の無力さを責めているようでもある。


「生き物にあんな性質の悪い劇物を与えるなんて……!」


 若者グループとオースティンがもめていたのは、ケレイブに毒入りの餌をやった人物と以前にオースティンを侮辱しようとした者が連れ立って談笑しているところを見て、どういうことか説明を求めたからだ。


「オースティンを刺した相手は捕まっている。その言い分は……」


 犬のために犬を飼わない者の税金が使われているのは間違っている。

 ホームレスがいると街の景観が損なわれる。

 健康な肉体を持っているのに働かない者は罰を受けるべきだ。


「……だから、自分たちは正しいことをしたのだと」


 閉鎖された倉庫内に重苦しい沈黙が流れる。


(正しいこと、か……)


 ゴブリンのバザウは正しい行いに興味がない。

 若者たちは自分たちが正しいと信じていたからこそ、彼らにとって正しくない存在に無残な仕打ちをした。

 この獣医が経済弱者のペットを無償でケアしているのもそれが正しいと思っているから。

 頑なに働いて賃金を得ることを拒否し変わった暮らしぶりを貫いたオースティンも、きっとそう生きるのが正しいと感じていたからそうしたのだろう。


(人間は自分が正しいと思ったことに生き方を翻弄されるものなんだな)


 でもそれは立場が違えば理解されず、正しさは時の流れで移り変わる。


(儚い生き物だ)


 だが獣医やオースティンの生き方をバカにする気にはならなかった。




「この病院にはオースティンが遺したものが二つある。一つは彼が描いた犬たちの油絵でもう一つは彼の上着だ」


 毒で弱り切ったケレイブが飼い主と離れて不安にならないようオースティンは自分のジャケットを預けていった。

 オースティンの生活スタイルでは衣服は貴重品だ。何着も予備があるというわけでもないだろう。


「……話をすれば無傷で解放するといったが気が変わった。宝をよこせ。そうだな……犬にまつわる美術品と誰かが着ていた上着なんかが良い」


「そういってこなかったら、地球の手土産にと無理にでも押し付けるつもりだった」


 バザウが絵と上着を受け取った後、エヴェトラは獣医に何かを渡した。


「これはお礼の気持ちです」


 ずっしりとした一枚の金貨だ。リアルな肉球の刻印が施されている。


「……ケレイブのことを頼む。今も別世界でさまよっている忠犬が天の国で待つ飼い主の元に逝けるように」


「そういってこなくても、俺はそうするつもりだ」




 ◆◇◆◇◆




 傷を負わされたルネはかつて自分があざけったニジュと似たような生活をしばらくの間余儀なくされた。

 療養と隠遁。

 ルネは人の姿をとるエヴェトラをまねて変身してみる。たしかに人間の形にはなったが、痛手の痕はそのままだった。


 やがてルネは闇夜に紛れて遠出することが増えていった。損なった体を補い隠しおぎなうための素材を探している。

 削ぎたての生肉。剥ぎたての薄皮。もぎとった玉虫の羽。刈りとった小鳥の胴。

 キレイなものをくっつけて、くっつけて、くっつけて。


 だがそれらはルネの傷を隠しはしても、治すだけの力はなかった。たかが命から奪った部品などでは、神の傷を癒すことはできない。

 素材を求めてうろつくルネは風のウワサでチリルの居場所をしった。


「アイツってばさあ、街を作ってたんだよ」


「お土産を持って遊びにいきましょう!」


「いやいやいや、とてもそんな雰囲気じゃあないよ」


 チリルが構築したのは人間の信徒を集めた宗教都市。

 世界はつらく厳しいものだ。

 森の中で道に迷った旅人を喰らい尽くそうと獣が潜む。

 汗水たらして作った小麦がたった一晩の嵐で壊滅する。

 目に見えない小さな細菌は病魔となって猛威を振るう。

 こうありたいという理想も現実の過酷さに忘れられる。

 打ちのめされた者たちを集めて、意志を礎とした団体を作り出す。

 都市にあるのは禁欲、修行、労働、祈祷。


「アタシがあの街を台無しにしてやればチリルも、自分の正しさの間違い、ってのに気づくだろうよ」


「そんなことしたらチリルさん怒りますよ。遊びにいけないならそっとしておきませんか?」


 そうしてやりたい気持ちもあるがルネにはそれができない理由があった。


「……アイツはまだ妖精の研究を続けてたんだよ」


 このままではいつまたチリルがシアの怒りを買うかわからない。




 ルネはチリルが築いた信仰の街で暗躍をはじめた。

 厳格なチリルの信徒の心に忍び寄る。怠惰のまどろみで目を曇らせ激情の息吹でそそのかす。


 チリルは心の片割れからの勝負を受けて立った。 

 神として直接ルネを排除するのではなく、管理下に置いている人間たちに対処させた。

 浅薄な感情にまどわされるようでは崇高な意志を宿しているとはいえない。ルネの台頭は信徒をふるいにかける試金石のようなものだ。


 やがて街は二分される。

 熱心にチリルの教えを守る者と、ルネに感化された堕落の者に。


「やってくれたですね。ですがチリルはお前に危害を加えることはしたくないのです」


「アタシもアンタとガチでやり合うのは望みじゃない」


 お互いを直接傷つけずに勝敗を決める方法がある。

 どちらからともなくゲームを提案した。

 信徒を使った代理戦争というゲームを。


 争いははじめ規律正しいチリルの信徒が優勢だった。

 ルネの信奉者は決まりを守る意識が薄弱で苦しみを避けて楽な方法を選ぶ。

 雲行きが変わったのは戦いと殺しを楽しむ鬼才の男がルネ側に現れてからだ。男は斬新な作戦を立てて戦いを勝利に導くことを楽しんだ。敵をいたぶるのはもっと楽しかった。

 男の作戦の一つが手堅い守りを好むチリル信徒に対する兵糧攻めである。

 チリル信者は堅牢な要塞に立てこもったが物資を補給する経路も抑えられてしまった。

 降伏しなければ全員の餓死は確定だが、信徒たちは敵に屈するよりも飢えて死ぬことを良しとした。


 信者を助けようという考えはチリルの中にみじんもなかった。

 要塞の全員が高潔な意志を貫いたまま死んだのなら、それはとても清らかで素晴らしい命の最期だとチリルはうっとりと空想する。


 だが、別の神はそうは思っていなかった。

 飢えて死ぬなんて悲しいことだ。生き物の基本的な幸せは睡眠、交合、食事である、というのがこの神のモットーだ。なおかつお節介なことに人助けが趣味ときている。

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