After the First Case ③
《第一の事件の後で③》
◇◆◇【甘味 透意】◇◆◇
嘘をついた。私は私を守るためだけに嘘をついてしまった。
彼女の死を見ていないなんて嘘だ。不審な警告の背景を聞き出そうとしていた子犬さんの魔法少女衣装が消えていく様を、私ははっきり見ていた。もうすぐゴンドラが地上に着いて、外に出なければならないと思っていたときだった。
魔法少女衣装が消え、小刀が彼女の手から滑り落ちた。
そんな様子を見せつけられ、最初はただ茫然としていた。
一瞬の思考の空白の後、誰がこれを仕掛けたかはすぐにわかった。……わかってしまった。だって、こんなことをできる魔法を持っているのは、一人しかいなかったから。トリックは全く見当もつかなかったけれど、それだけは理解した。
だけど、それはつまり――と、ゴンドラの床に落ちた小刀を見て思った。
それが意味しているのは、子犬さんが私に殺意を向けていたことと、彼女が私に殺意を向けるに足る理由が存在したということ。
彼女は二つ名持ちの魔法少女。私が本当は魔法少女ではないという確信を持っていたから、この場で殺そうとした――という理屈が成立してしまう存在だ。それを疑われれば、私はきっとすぐにボロを出す。
私は普通の人間として生きたことがないのだから、それを問い詰められたらどこかで破綻するだろうと思った。私を騙って失敗したワンダーランド――香狐さんのように。
だから、せめてもの抵抗として、小刀を彼女の背中に隠した。
誰も気が付かなかったのか、わざわざ追及することではないと考えたのかはわからないけれど、普通に考えて武器を背中に隠し持つのは不自然だ。まして小刀はそもそもの刃渡りが短いのだから、武器として用いるなら刺突がメインの攻撃方法になるはず。背中に持っていては、刺突の姿勢にスムーズに入ることができない。
それと、私が殺された瞬間を見ていなかったというのも不自然だ。二人きりなのに相手を視界に収めていなかったということは、子犬さんが殺されたのは私がゴンドラを出るために立ち上がり、ドアの前に立った直後ということになる。それ以前なら二人きりなのに目を逸らしている方が不自然だし、それ以後なら子犬さんも立ち上がっていなければおかしい。
でも琴絵さんの計画では、魔法陣は全員を範囲内に収めるつもりだったはず。私たちのゴンドラ――三つ目のゴンドラの到着直前に魔法陣が起動したのでは遅すぎる。一つ目のゴンドラに乗っていた子たちは範囲外に出てしまっていた可能性が高い。
つまり、私の証言とは決定的に食い違っている。
これらの矛盾を突かれれば、私はどうしようもなく追い詰められていた。
ついこの前も、香狐さんに言われたばかりなのに。
私の正体を知られることは、魔法少女の未来が閉ざされることに繋がる。
現状、そうはなっていないけれど、この状況が極めて詰みに近しいことは確かだ。
私には、この檻から抜け出す手段がわからない。一体どうすれば、この地獄を終わらせることができるのだろうか。
――なんて。そんな言い訳をしても、私の罪は軽くはならないだろう。
理由はどうあれ、私は彼女の名誉を貶めて、その死後を冒涜したのだから。
子犬さんの殺意は紛れもなく、誰かを守るためのものだ。
誰かのために誰かを殺す。独断で行われる命の取捨選択。その在り方は時として災厄をもたらす。
だからこそ今度の事件も起きてしまったし、だからこそ、私は彼女のことが苦手だ。
【獣王】。魔法少女として限りなく完成された存在。
彼女は決して最強ではない。彼女よりも強い魔法少女は、たくさんとは言わずとも存在する。
それでも彼女は、魔法少女の完成形だ。
彼女は理想を描かない。彼女は常に現実を見据えている。
魔法少女として正しい博愛と慈悲を持ち、誰かを救うために力を尽くし――誰かを救うためならば、何であろうと犠牲にできる。ただしその場合の犠牲も、彼女がいなければもっと酷いことになっていただろうという範囲に必ず収められる。
【獣王】の役目は主に戦場の指揮。しかし彼女が指揮した戦場には犠牲が付き物だ。都市伝説級や空想級の魔物が相手とはいえ、光花さんのような優秀な回復役がいなければ維持できないほどに傷が絶えない。死者だって、頻繁に出るとは言わずとも珍しいわけではない。
それでも、その戦闘における被害は、その魔物を放置した場合に出るであろう被害を上回らない。そして根本的に討伐が不可能な魔物を除き、【獣王】が獲物を取り逃がすことはない。
獣たちを従え、絶対に獲物を仕留める魔法少女。狩りを行う獣としてのあるべき姿。だから彼女は、【獣王】と呼ばれている。
何より恐ろしいのが、【獣王】のために犠牲になる者たちは、彼女に対して悪感情を抱かないことだ。
【獣王】が戦友に向ける友愛も信頼も全て本物で、皆が彼女の信念と実力を理解しているからこそ、喜んで彼女のために身を捧げられる。
その在り方は、私にはとても歪に映る――だなんて。
魔法少女の生みの親としては、言うべきではないだろうけれど。
「……っ」
口内を刺激する苦味に、思わず口を押さえる。
苦い。この現実があまりにも苦々しくて、吐き気がする。事件が起きてから確実に酷くなっている。頭の巡りもよくないかもしれない。
もうずっと、味覚が麻痺している。忌まわしい記憶と共に、強烈な苦味が私の感覚のほとんど全てを埋めてしまっている。
ああ、私は――
いつになったら、この苦味から解放されるのだろうか。
◇◆◇【色川 香狐】◇◆◇
その夜。
皆ショックを受けたようで、アトラクションのノルマを消化する間もほとんど無言だった。小古井さんはなんとかして空気を取り持とうとしていたけれど、それも虚しい努力だった。
結局、早めの夕食を取った後は皆早々に部屋に籠り、一日は終わっていった。
私も私で、考えることがあった。
私は確かに、亜麻音さんが処刑される直前辺りで、彼女に共感を寄せている自分を自覚した。私は彼方さんの成し遂げた功績を理想とし、亜麻音さんは英雄と讃える二つ名持ちの魔法少女を理想として掲げていた。
確かに重なる部分はある。それでも。
――どうして私は、そこまで感情的に他人に深入りしているのか。
思い出すのは、ここに閉じ込められて二日目の事。
ジェットコースターに乗った後に、亜麻音さんと話す機会があった。
そのときの私は、彼女と自分の共通点を見出しつつも、入れ込むだけ無駄だと無感動な瞳で彼女の話を切り捨てた。
それは私の本心からの行動で、あのときは本当に、亜麻音さんに対して何一つ感じるものはなかった。
あのときと今、何が変わった?
亜麻音さんが死の淵に立たされ、そして殺されたこと? それとも、私が魔法少女になったこと?
前者ならまだいい。ようやく私も人間らしい共感性を身に着けたということだ。
しかし、後者だとしたなら――私は、本当に私と言えるのだろうか。
改造を受けて、ただ洗脳されただけなのではないか。それは到底私の意思とは呼べない。
「……いえ」
自嘲する。なんて馬鹿で下らないことで悩んでいるのだと。
洗脳? そんなの、ここに来たときからそうだっただろう、と。
どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのか。
私がここにいるのは何のため? 魔法少女たちの犠牲を食い止めるため?
違う。そんな理由では断じてない。
私がここにいるのは、罪を償えと彼方さんに命令されたからだ。魔物に強制的に命令する、異端の力を用いた命令で。
そんなの、洗脳と何が違うというの?
「はぁ……」
益体もない思考に囚われていると自覚して、私は落ち着かない気分を紛らわすために部屋を出た。
亜麻音さんのおかげで、現状で明確な殺害計画を秘めた人物がいないことは確認されている。隠蔽計画なしには犯行ができないルール上、今夜限りは安全が確保されていると言ってもいいだろう。
そう思って私は、透意と言葉を交わしたバルコニーへと向かった。
別に透意がいるかと思って向かったわけではない。単に、夜風に当たりたくなっただけだ。
「……ぅぅ、ぅぅぅ……」
しかしバルコニーに近付くと、誰かの鳴き声が聞こえてきた。どうやら先客がいるようで、それも多少厄介な感情を抱えていそうだ。
聞かなかったことにして立ち去ろうかとも思ったけれど、声に違和感を覚えて立ち止まった。
……この声。まさか。
「うっ、うっ……なんで殺されちゃうんだ……なんで殺しちゃうんだ……」
「……ビタースイート?」
「っ! だ、誰っ!?」
こちらに背……というか、顔とは逆の面を向けていたビタースイートが振り返る。
そのとき、ビタースイートの顔が月に照らされて露わになった。
顔の左半分、茶色の部分はいつも通り、気味の悪い星型の目に三日月型の口。
けれど顔の右半分、ホワイトチョコと思しき部分は、目から謎の液体が垂れて滴っていた。
もしかして……本当に泣いていた?
私をおびき寄せるための演技ではないかと疑っていたから、拍子抜けさせられる。
念のため、ビタースイートの属性を再度確認するけれど、やはり魔物に変わりはない。ビタースイートによく似たただのスウィーツというわけではないということだ。
魔法少女になっても、私の魔王としての側面は残されている。だからこそ、魔物に命令を下すことも変わらずできるだろう。何かあったとしても対処できる。
どう動くのかと、私はビタースイートの出方を窺う。すると、ビタースイートは。
「あ、あー、えっと、えっと……ああそうだ、これ!」
ビタースイートのすぐ傍に、手紙が入っていると思しき封筒が飛んでくる。魔法的な力で引き寄せたのだろうと思われるけれど、手紙なんて引き寄せて何をしようとしているのか、全くわからなかった。
「魔王様が色川さんに渡しておいてって!」
その手紙は、ビタースイートの元を離れて私の手元に飛んでくる。
「それじゃ!」
「え? あ、ちょっと――」
それを押し付けると、ビタースイートはまるで逃げるかのようにどこかへと飛び去って行った。
釈然としない思いを抱えつつも、渡された手紙を確認する。
そして――
「……はぁ」
ささくれ立った気分に追い打ちを掛けられたようで、私は不愉快になって手紙を握りつぶした。
そこには、こう書かれていた。
―――――――――――――――
あなたが魔法少女になった際、新しい固有魔法の取得が確認されました。
どうやら以前から所持していた魔法と共存しているようで、[幻想書架]も変わらず使用することができるでしょう。ようやく詳細な効果の解析が終わったので、以下にその結果を記しておきます。
なお、現実には役に立たないゴミのような固有魔法のため、あなたの正体がつまらない理由で明かされないためにもこの魔法の存在は伏せておきます。
いえ、他ならない元協力者のあなたのためですとも、お礼は結構。強いて言うなら面白い事件を起こしていただければ十分です。
それでは、失礼しますよ。アナタの狂気が輝きを取り戻すことを祈って。
狂気の国の主 ルナティックランドより
色川 香狐――固有魔法:[浄罪慈雨]
自身の抱く罪悪感の大きさに比例して魂を純化する。この魔法は付近の存在全てに適用される。
―――――――――――――――
魂の純化。存在の進化の前提。
魂から無駄を削ぎ落し洗練することで、より高次的な存在へと至る可能性を宿す。
私が彼方さんに語った嘘っぱちの魔法少女進化理論、その原型。
なぜ、その魔法を渡されるのが今なのか。
今の私は――既に、彼方さんの命令に疑問を持ってしまった後だというのに。
この状況を楽しんでいる私に気が付いてしまったのに。
もっと愚かなままでいられたなら、この魔法も十分に効果を発揮したはずだ。
ああ――確かに、ルナティックランドの言う通りなのだろう。今の私にとって、この魔法は役に立たないゴミそのものだ。
亜麻音さんが過去に味わっただろう痛みを噛みしめながら、私は月を見上げた。
月はただ、遥か彼方から私たちを見下ろしていた。欠けることもなく、巨大な目玉が宙に浮いているかのように。




