【解決編】I feel like I'm in a thick fog.
《まるで濃霧の中のようだ。》
私と共に観覧車に乗り合わせ、片鱗ながらもその過去を聞いた亜麻音さん。
皆の前なので容疑者と言ったけれど、私は亜麻音さんが【犯人】で間違いないと考えている。
「……まるで濃霧の中のようだ」
亜麻音さんはようやく口を開いたと思いきや、そんなことを溢す。
降り注ぐ疑いの視線の濃さを語っているようだけれど……きっとこれはダブルミーニングなのだと思う。
疑いの視線ともう一つ――彼女自身の心を覆ってしまった濃霧。
そのせいで亜麻音さんは、ずっと瞑目している。
「一つ、聞かせてほしい。星はどこに輝いた?」
「……さあね。夜空じゃなくても、案外低い場所に――それこそ、私たちは星より高く昇ったことがあったりして」
亜麻音さんと二人、おそらくまだ余人には理解できないだろう言葉を交わす。
これで私の推理が間違っていたら、恥ずかしいで済む話ではないけれど。
瞑目したままの亜麻音さんからは、私の言葉をどう受け取ったのか読み取ることはできなかった。
私は全体を見回して、未だ話の流れについてこれていない魔法少女たちに語り掛ける。
「さて、条件を整理してみましょう。ここにいるメンバーの固有魔法はそれぞれ、[聖光加護]、[共鳴急行]、[因果逆転]、[試練結界]、[探偵隠形]、[混沌変化]、[幻想書架]、[味覚伝播]。そのうち遠隔殺人に利用できそうな魔法は[因果逆転]と[試練結界]」
私が二つの魔法の名前を挙げると、法条さんがピクリと反応を示した。
「確かに[因果逆転]で運動ベクトルを反転させれば、殺人に転用できる可能性はあるわ。例えばジェットコースターで、乗り物の加速はそのままで突然体の加速だけ逆になったら、どうなると思う? たぶん圧死、よくても内臓破裂くらいするわよ」
その場面を実際に想像してしまったのか、幾人かが身震いする様子を見せた。
「でもそれはジェットコースターの場合であって、今回は観覧車よ。あの程度の加速が反転して加重になったところで、たかが知れてるわ」
結構重い、というくらいだろう。実際に試していない以上はわからないけれど。
「犯行現場の関係上、近距離での殺害は誰にも不可能。それはさっき証明したわ。だから、【犯人】が遠距離での殺害を目論んだのは明らかよ。けれど[因果逆転]も違う。なら残るのは、[試練結界]の持ち主――亜麻音さんしかあり得ないわ」
「んー。その場合、そこの白い子はどうなるワニ?」
「ああ……一旦透意のことは置いておきましょう。裏の裏だとか、考えたらキリがないわ。それに透意が【犯人】の場合、残された証拠が偽装にしても意味不明だし……そもそもみんな、透意か亜麻音さんのどちらが【犯人】だとしても、証拠については首を傾げるんじゃないかしら?」
「確かにそうかもワニ。あれ、結局なんだったワニ?」
包さんの言葉に、その質問を待っていたと頷く。
残された証拠は、小刀、ナイフ、滑り止めの手袋とブーツ、フルハーネス。
「それをこれから説明するわ。そもそも[試練結界]を設置する場合、どうしても避けられない問題点が一つあるのよ」
「魔法陣が発光することだろう?」
「ええ、その通りよ。おかしな場所に置いたのでは、誰かにバレてしまう。例えば乗り場――そうね。観覧車の真下にでも仕掛けられていたら、絶対に誰かが気が付いたでしょう。だからそのリスクを下げるために、【犯人】は現場に細工をしたのよ」
「細工? けど、光を誤魔化すような細工なんてボクは見た覚えがない」
「いいえ。この場にいる全員、知っているはずよ」
私はムーンライトを操作して、無粋にも潰された観覧車の窓の写真を見せる。
曇ってしまった窓は、その奥の景色を阻む壁として機能している。これなら、魔法陣が光っていたとしてもある程度誤魔化すことができるだろう。
「これがその細工」
「待て色川。それはおかしい」
「おかしい? なぜ?」
「そのような手間を踏む意味がない。仕掛けるなら死角。例えば乗り場から発進してすぐ。その辺りでもいいはずだ。これなら大規模な細工も必要ない」
「ああ、観覧車は次々やって来るから、その辺りに魔法陣を仕掛けておけば全員が付近を通過することになるってことかしら」
「その通りだ。【犯人】は余計なリスクを背負いたくはないはずだろう。手っ取り早い手を選ぶはずだ」
法条さんは私ではなく、亜麻音さんに目を向けて言う。
……せっかくこちらに視線を誘導していたのだけれど。
ここまで来てもなお黙り込んでいるところを見るに、亜麻音さんに発言をする意思は一切ない。
そしてそれこそが、不信感を煽っている。なぜならこの推理が間違っているなら、この場にいる九人のうち八人が死に、生き残るのは殺人犯だけ。そんなことを許容できる魔法少女はいないだろう。
無実の自分が疑わているというなら、他の魔法少女たちのためにも反論すべきだ。
であるならば、亜麻音さんの今の態度は何なのか。こんなの、もう諦めてしまった【犯人】以外の何に見えるというのか。
「違うわ。【犯人】にとってはそうするに足る理由があったのよ」
「色川。先程から妙に説明したがるな。全ての謎が解けたとでも言うつもりか?」
「ある程度は解けたと思っているわ。だからこうして話しているの」
法条さんに鋭い目を向けられる。
……どうしたのかしら、法条さん。
寡黙なタイプだと思っていたけれど、事件が起きて以降はかなり活動的だ。
ふと、観覧車で発見されたガムテープのことが脳裏を過る。
おかしな膨らみを持っていたガムテープ。あれは法条さんが乗っていたゴンドラに仕掛けられていたはずだ。
まさか……。いや、あり得ない。先ほど[因果逆転]での殺人については否定したはずだ。証拠品の数々も、亜麻音さんが【犯人】だと指し示している。そもそもあのガムテープを皆の前で仕掛ける余裕はなかった。つまり事前に用意されたと見るのが自然な流れなのだから、誰が乗っていたかなどは関係ないはず。
「ある程度、か……」
私の言葉に、今度は何故か霧島さんがほっとしたような表情を見せる。
どうして? なぜ【犯人】でもない霧島さんがそんな顔をするの?
……何が起きているの? ここにいる子たちは、一体何なの……?
――霧島さんが繰り返したように、確かに私は完璧に推理できたとは思っていない。肝心の透意を救うためのロジックが、未だ私には見えていない。
しかし、【犯人】についてはもう解けたものと思っていた。
それが間違っていたとしたなら、私は……。
チラリと透意の様子を横目で確認する。
一瞬だけ盗み見るつもりが、何故か目が合った。
そういえば、透意はここまでほとんど喋っていない。
最初に追及されたときは答えようとする素振りを見せていたけれど、それ以降は全く喋らなかった。
その行動は奇しくも、私が【犯人】だと疑っている亜麻音さんのものと変わらない。
一体、何を考えているのか……。
「…………」
透意は何も語らない。
しかし幾度目を逸らしてから一瞥しても、ずっとこちらを見ているように思える。
それは、こちらの動向を観察するような、謂わば審判者の瞳ではなかった。
今は全てを任せるというような、そんな……。
私はそれを知っているはずだ。
それはかつてのデスゲームで、彼方さんが猪鹿倉さんから浴びていた……。
「……正気?」
隣にいる透意にすらおそらく聞こえないであろう小声で呟く。
本当に、どうかしている。命令に縛られているとはいえ、こんな魔王に託してしまうなんて。
今も私の奥底では、醜悪な本性が歓喜の声を上げているというのに。
ああそうだ。今まで表面には出さないようにしていたけれど、私はこの疑心暗鬼の状況をずっと、心のどこかで楽しんでいた。
万木さんは友人を失って自らも危機に陥り、悲しみのやり場もなく戸惑っている。
小古井さんはただ、殺し合いという異常事態に戸惑いと怯えを抱いている。
法条さんは何らかの原動力により積極的になっているけれど、本質的な部分ではやはりどこか躊躇している。
亜麻音さんは絶望と諦念を抱き深く沈んでいる。
霧島さんは焦燥と恐怖を綯い交ぜにして、余裕感の下に隠している。
包さんは……彼女だけはよくわからない。それもまたミステリアスな要素を醸し出している。
その様がたまらなく愛おしい。闇に浸食される純粋な者たち。それこそが悲劇を彩る華だ。儚き徒花の持つ美だ。
けれど。透意の視線が、その愉悦を掻き乱す。
託されたなら、報いたい。醜悪な本性が闇となって私を包んでいく中で、その感情だけが光を放っている。
思えば今まで、こんな感情を託されたことはなかった。私は常に上位者で、同格存在はほぼ性格破綻者の集まりだ。信頼する相手など、どうして作ることができるだろうか。
まして透意からしたら、いっそうその感情は強いはずなのに。それでも、私を信じるというのならば……。
私は、自分の格好を改めて確認する。
罪人には不似合いな、限りなく清廉でなければならない者の衣装。
これを、本当に私に似合うようにできるのだろうか。
――魂がほんの少しだけ澄んでいくような感覚。
それが、私に欠けていた最後のピースを運んできてくれる。
「……そういうことね」
透意に魔法少女にされたせいだろうか。
随分と余計な疑心暗鬼に陥ってしまった。
けれどもう、迷う必要はない。
「みんな。今の言葉、取り消すわ」
「取り消す?」
「ええ。――ある程度なんかじゃない。この事件、全部解けたわ」
そう宣言して、透意の方を盗み見る。
彼女は――苦味をこらえる表情の中に、ほんの少しだけ微笑を混ぜた、ような気がした。




