Our loved ones will someday leave.
《大切な人たちもいつかいなくなる。》
「か、香狐さん……っ!」
これで香狐さんも死んでしまったら、私は――。
まだ、息がある。死んでいない。それなら、[外傷治癒]で……っ。
魔力をかき集めて、魔法を行使する。集中して、香狐さんに加えられた傷の細部までを把握する。
香狐さんの傷は――胸の心臓に近い場所と、うなじより少し下の背中への刺突。
おそらく凶器は、包丁。
治療をしながらサッと周りを確認する。香狐さんの血以外に、特筆すべきものは何もない。包丁も、他の何かも。【犯人】が持ち去った?
傷は深いけれど、でも、包丁での刺突だけなら傷は大きくない。これなら、私の不足した魔力でも治せる。
でも……。修復するうちに、奇妙な感触を覚える。まるで、人体に向けて魔法を行使しているのではないような……。もっと何か、構造の異なるものを修復している気分になる。
……いや。香狐さんは本当に、その『構造の異なるもの』だ。
スウィーツの創造主。それが、ただの人間であるはずがない。
香狐さんの体は、普通の血肉で構成されていなかった。魔力の塊のような形でここに存在している。人体に似せた構造を持っているし、実際に血も通っている。でもそれは全て、魔力で作られた偽物――。
ある意味、香狐さんの存在自体が魔法のようなものだ。
魔力で作られ、魔力を原動力として、その効力をこの世に及ぼす。
そんな一種の奇跡のような形で、香狐さんは成立していた。
それでも。回復魔法の使い手として、これだけはわかってしまった。
香狐さんは、疑似的に人間を再現している。それ故に、人間にとって致命的な傷を受ければ――香狐さんもまた、人間のように死んでしまう。
この傷は本当に、香狐さんの根源を蝕んでいた。
私は、あと少しで……大切な人を、二人も同時に失うところだった。
涙が滲む。悲しくて、辛くて、怖くて。
どうしようもない感情が、私の胸の内を掻き乱す。
「……はぁっ、はぁっ」
なんだか、呼吸をするのまで辛くなってきた。
想定している呼吸のペースと、実際のペースが噛み合わない。どんどん、どんどん、呼吸のペースが速くなる。
あまりの緊張に、私は過呼吸状態に陥っていた。
苦しい。辛い。――このまま、死んでしまいそうだ。
『きゅ、きゅーっ』
そんな私を、クリームちゃんがなんとか宥めようとしてくれる。
それで私は、なんとか正気に戻る。……いや。ほんの少しだけ、正気に立ち返る。
「ん、ぐ」
私は一度強制的に呼吸を止めて、それから、少しずつ呼吸を抑えようとする。
一度全ての空気を吐き出すと、だんだん、呼吸のペースがコントロールの内に戻ってくる。
「はぁっ、はぁっ……」
私は、私自身を落ち着かせる。……胸の内の感情は、抑えようがないけれど。それでも、外的反応だけはなんとかして抑制する。
気づけば、香狐さんの治療も終わっていた。既に、香狐さんに傷はない。
荒い呼吸を整えながら、思考を停止させる。
嫌だ、もう耐えられない。
もう、何も考えたくない。
考えてしまえば、私は、もう――。
私は床にペタンと座ったまま、ただ涙を流して、その場に留まった。
香狐さんは起きる気配もなく、気絶したまま動かない。
どれだけそうしていたかわからない。
ただ、しばらくして――ドンドンと、乱暴にドアを叩かれた。
「おい、いるのか?」
藍ちゃんの声だ。……何を、しに来たのだろうか。
香狐さんにトドメを刺しに来た? それとも、私を殺しに来た?
藍ちゃんの声に答えないでいると、勝手にドアノブを捻られ、ドアが開かれようとする。
けれど、ドアの前に座り込んでいた私がストッパーになって、すぐにドアの開きは止まる。
「……いるのか」
それは、藍ちゃんに私たちの存在を知らせるのに十分だったらしい。
ほんの小さな隙間からはロクに何も見えないだろうし、まして、ドアの前にいる私たちの姿なんて見えるはずもない。
だけど藍ちゃんは、ドアが開かないことだけで、私たちがここにいると確信したらしい。
「貴様、そんなところで何をしている?」
棘のある声が耳朶を打つ。
「何か、見せたくないものでもあるのか? だから、ドアを塞いでいる。そういうことか?」
「…………」
好き勝手にまくしたてる藍ちゃんに、薄暗い感情が芽生える。
「目でも潰れたか。壁一面に、カウントダウンが刻まれているのが見えんのか? このカウントが我の思った通りのものであるならば、殺人事件が発生したということだろう。――この部屋では、空鞠 彼方と色川 香狐が共に眠りに就いているのだったな。ならば、事件を起こしたのは貴様ではないのか? ――これを聞いているのは、どちらだ?」
「…………」
「既に、神園 接理と雪村 佳凛の無事は確認している。あとは、貴様らだけだ」
まるで、私たちのどちらか一方が【犯人】で、もう一方が被害者だと断定したような口調。
……そして、夢来ちゃんのことをまるっきり無視するその姿勢。
――反吐が出る。
「……【犯人】は、現場に戻ってくるって言うよね」
「ふん。何を言っている? ……そこにいるのは、空鞠 彼方か」
「そうだよ。……藍ちゃんが、香狐さんを殺そうとしたんじゃないの?」
「何?」
「香狐さんを殺そうとしたけど、トドメを刺し損ねたことに気が付いて、戻ってきたんじゃないの?」
「……ふん。それが、色川 香狐を殺した弁明か? あまりにもお粗末だな、空鞠 彼方。貴様の頭は、人を殺めることにしか使えないらしいな。自らを守るのは力不足らしい。――この、殺人者め」
「違うっ!!」
私は激昂して、叫んだ。
立ち上がって、香狐さんを少しだけ遠ざけて、ドアを開ける。
唐突にドアが開いたせいか、驚愕に目を剝いた藍ちゃんと目が合う。藍ちゃんは警戒するように、ドアの前から数歩引いた。
構わない。どうでもいい。
「香狐さんは、生きてるよ」
「――何? そんなはずがないだろう」
「……っ。確かめもせずに、勝手なことを言わないでよ!」
私が叫んでようやく、藍ちゃんは私の足元にいる香狐さんに気が付いたらしい。
香狐さんは確かに生きていて、息をして、胸を上下させている。
その姿を、藍ちゃんも確かに認める。
「なっ――では、これはなんだ? この、カウントダウンは」
藍ちゃんは、手のひらで壁を叩く。
壁のカウントは絶えず減少し、今は『2:49:06』を示している。
まだ、藍ちゃんは『その可能性』に気づかないのか。
それとも、気づいていながら、否定しているのか。
「わからないの?」
「いや、しかし、まさか――」
「わからないなら……、教えてあげるよ」
彼女の死体を見た衝撃を、頭の中で何度も反復する。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も――。
死んでいる。確実に死んでいる。どう考えても――。
「夢来ちゃんが……っ」
今まで私の中に押し込めていた認識を、言葉にして、世界に刻み込む。
……彼女の死を、確定的な、周知の事実に変える。
「夢来ちゃんが、屋内庭園で……殺されてたよ」
私は苛立ちを込めて藍ちゃんを睨みながら、その認識を確定させた。
言葉にして、改めて虚しさと喪失感に襲われる。
そう……、夢来ちゃんは、死んでしまった。私は、もう……。
「……ぁ」
虚無感と共に、私を繋ぎ止めていた何かが切れた。
過呼吸に続き、魔力切れによる抗いがたい意識の喪失が私を襲う。
――そうだ。干からびた死体の修復に、致命傷の治癒なんて。魔力が持つはずがない。
最後にそんなことを考えて、意識は混濁し、私の視界は黒く染まった。
――Fifth Case
被害者:桃井 夢来
死因:[活力吸収]による生命力枯渇?
発見時刻:午前5時33分
被害者:色川 香狐
外傷:胸部と背部への刺突
発見時刻:午前5時38分
――捜査、開始。




