Check the Ritual Tools
《儀式道具の確認》
「え……」
その光景を受け入れるのには、時間がかかった。
空澄ちゃんが、殺された? そんな可能性だけは、想定していなかった。
殺されても死なないとすら思えた空澄ちゃん。けれど今や彼女は微動だにせず、石の台に横たえられている。
今回の被害者は、まだ姿の見えない二人のどちらか――佳凛ちゃんか、藍ちゃんだと思っていた。
だけど――石の台座に横たわるピンクと水色の髪は、間違いなく空澄ちゃんのものだ。……第三の事件のようなこともない。体が潰されたりなんてしていないから、顔も体つきもしっかり確認できる。横顔は間違いなく、空澄ちゃんのものだ。
ただ、服装での判断は、今回はできなかった。生贄の儀式の手順の一つ、不浄なる布を剥ぐ。それに従って、空澄ちゃんは服を脱がされている。
その上から、赤い布――おそらくは、切り取られた廊下の絨毯がかけられている。
刃物は、その絨毯の上から突き立っていた。心臓の位置よりは少しズレているように思える。それでもこんな場所を刺されれば。大量出血は免れない。
床の魔法陣は、ガソリンで徹底的に汚されている。
何の魔法的効果もないと、前の事件でワンダーが言っていた魔法陣。しかし――もしまかり間違って火の魔法でも起きたなら、大惨事になることは想像に難くない。
・儀式の間 図解
「……見立て殺人?」
香狐さんが呟く。
その見立て殺人という単語に馴染みはなかったけれど――でもこれが、ワンダーにプレイさせられたゲームを模した殺人だというのはひと目でわかる。
……生贄の儀式。少女の命を神に捧げて、願いを叶えるための儀式。
確かに、この館のルールで【犯人】に与えられる報酬を想えば、この儀式は適したものなのかもしれない。
だけど……悪趣味だ。殺人というおぞましい行為を、さらに冒涜的なものに押し上げている。見ていられない。
「――来たか」
そこで、再び私たちを待ち受けていた声。
だけどその声は、信じられない場所から響いた。
張り巡らされた糸で封鎖された、更にその奥。
「どうやら……。死の試練が、またしても訪れたようだな」
藍ちゃんが、空澄ちゃんの死体の横で佇んでいた。
張られた糸によって、侵入不能になっているはずの場所で。
「えっ……藍ちゃん? どうして、そんなところに……」
「説明は後だ。――少なくとも、ここに我が存在していることが、直接的に【犯人】を断定する証拠になるわけではなかろう」
「そう、だけど……」
……なんだか、おかしい気がする。
そんな不信の芽が生えてきたところで、全員が儀式の間に集まってきた。
接理ちゃん、夢来ちゃん、佳凛ちゃんの順に入ってくる。
夢来ちゃんは、死体を目にして怯えた顔をしていた。
佳凛ちゃんは張り巡らされた糸に好奇心を発揮して、限界ギリギリまでそれに近づいていた。
「なっ――馬鹿、雪村 佳凛、止まれ! 本当に全員死ぬぞ!」
「っ?」
佳凛ちゃんが、びくりと怯えたように飛び跳ねて、糸から一歩引いた。……そういえば、糸に触れたら全員死ぬという言葉の理由をまだ確認していなかった。
壁から壁まで、境界線のように張られた糸。その糸は一か所、不自然に分岐している部分があった。部屋の入って左。火の消えた篝火台を巻き込んで、何かが設置されている。
その正体を見て取って、息を呑んだ。
これは――トラップだ。誰かが糸を揺らした瞬間、危ういバランスで糸の間に置かれた木片が落ちる。その木片からは糸が伸びていて、その糸はまっすぐ、引き金式のライターに結ばれている。ライターはしっかりと床に固定されていて、つまり、木片が落下して糸が引かれれば――滑車の要領で引き金に力がかかり、ライターが火を生み出す。
そしてそのライターはもちろん、ガソリンに浸っていた。火がついた後の流れは、言うまでもないだろう。あっという間に火の海になって、全員――。
「……ふぅ。とりあえず、全員集まったね」
佳凛ちゃんをトラップの前から引き剥がした接理ちゃんが呟く。
「えっと……接理ちゃんが第一発見者……ってことでいいの?」
「いや。僕と唯宵 藍の二人だ。僕らは、棺無月 空澄を探して二人で行動していたんだ。最初は棺無月 空澄の部屋を訪ねたのだけれど、不在のようだったからね。他の部屋を探し回り、暗闇に閉ざされた儀式の間を見つけ――今に至るというわけさ」
「それじゃあ、どうして……藍ちゃんは、あの糸の向こう側にいるの?」
「ああ。それは……」
接理ちゃんが言い淀んだ。
「僕らは儀式の間の異常事態を認めて、すぐに扉を開け放した。……ちょうど、今みたいな状態になったよ。薄暗がりの中で棺無月 空澄の死体を見つけて、アナウンスが流れた。キミたちを待とうと思ったんだが……その前に唯宵 藍が、そのトラップの隙間を見つけた」
「……隙間?」
「ああ。僕らが来たときは、ちょうど這いつくばれば通れるくらいの隙間があったんだ、そこに」
接理ちゃんは部屋の右端の部分を指す。
確かにそこだけ、糸が不自然な形になっていた。他の部分は真横にピンと糸が張っているのに、その部分だけは糸が縦になっている。
「ただしどうやら、人を誘い込む罠だったようでね。万が一、唯宵藍が誤って糸に触れた場合に備えて、僕は一度部屋を出ていたのだけれど。唯宵 藍が通ってすぐに、縦の糸が垂れてきたらしい。通った誰かを閉じ込める罠でも設置されていたんだろう。……僕は、危険だからやめておけと言ったんだけどね。おかげで唯宵 藍は、罠の内に取り込まれることになったというわけさ」
「そっか……」
罠を設置した【犯人】が誤って取り残された、なんて理由じゃないのはわかった。
……通過すると抜け穴が塞がるように仕組まれていたとなると、【犯人】は誰かが罠の中に取り残されることを意図したということになる。
既に殺人は行われた。これ以上他の誰かを危険に巻き込んで、【犯人】に何のメリットがあるのだろうか。
「キミたちが来る前に、この部屋の異物は一通り確認したよ」
そう言って、接理ちゃんは明確な異物について語る。
まずはもちろん、死体。そして、それにかけられた血色の絨毯と包丁。絨毯は廊下にあったものでまず間違いないだろうと、接理ちゃんは見立てていた。包丁は……十中八九、厨房のものだろうと思う。厨房の包丁も、倉庫の備品と同じく個数は控えてある。ただ……数えなければ、一本なくなっても気づかないほどに刃物はたくさん置いてある。おそらく、凶器の調達の時点で【犯人】が露見しないように、ワンダーが仕組んだのだと思う。本当に、いやらしい魔王だ。少なくとも、誰が入手可能だったかの観点では容疑者は絞れない。
次に語られる異物は、この目を引く糸のトラップ。
儀式の間の両サイドの壁に吸盤が張りつけられ、糸が吸盤をまっすぐに繋いで、柵のようにして領域を区切っている。ドアから糸は僅か一メートルほどで、迂闊に動けば触れてしまいそうだ。何より、この境界の奥に、藍ちゃんは閉じ込められている。両端を繋いでいるから、この糸に触れないで向こう側からこちらへ帰ってくるのは不可能だ。
糸に触れたら仕掛けが作動して、ライターに火がつくようになっている。絶対に、触れてはならない。
……糸自体には見覚えがある。タコ糸だ。最初の事件で……【犯人】が思い通りの場所に暗号を固定するために用いた道具。それがまた、事件に使用された。
そして最後。床に撒かれた大量のガソリン。
ガソリンは糸の向こう側にしか撒かれていない。ただし、念入りに満遍なくぶちまけられている。これだけ丹念に、空白地がないようにガソリンをばら撒くなら、その作業は数十分かかる作業になると思う。
藍ちゃんによると、死体にもガソリンはかけられている。ただし、絨毯からはみ出た足と頭、それと絨毯にちょっと染み込ませてあるだけらしい。傷――突き立った包丁の周りには、ガソリンがかけられていないようだという。
壁の篝火が消されているのは、万が一にもガソリンに引火しないようにだろう。ガソリンをばら撒いている最中に引火すれば、それで焼かれるのは【犯人】自身だ。
「ただ……ガソリンなんて、この館にあったかな。僕は知らないのだけれど」
説明の終わりに、接理ちゃんが呟く。それは私も同感だった。
こんなガソリン、この館には――。
「ああ。それならば、我が知っているぞ」
「……え?」
「今日、我は館の見回りをしていただろう。その折、倉庫に大量のガソリンが追加されているのを目にしたのだ。我は初日の探索時、倉庫を捜索したからな。そのようなガソリンなど、当初は存在しなかったと断言しよう」
「う、うん……。私も、最初になかったのは確実だと思う」
ガソリンなんて、最初は確実にこの館になかった。その出所は非常に気になる。
だけどそれより……引っかかることがある。
「ねぇ。藍ちゃんは……どうして今日に限って、館の見回りなんてしてたの?」
「今日に限ってというのは、血塗られた儀式の当日に、という意味か?」
「う、うん……」
「逆だ。むしろそちらが前提と言ってもよい。我はただ、棺無月 空澄の動きがどうも腑に落ちなかった故、事件の萌芽を摘むために行動していただけのこと。ガソリンのことも、皆に話そうと思っていたのだがな。失念していた」
……失念していた?
どうも、藍ちゃんの様子はおかしい気がする。一人だけ糸の内側に入っていたり、唐突に見回りをしていたり、ガソリンのことを最初から知っている風だったり。
一つ一つは、そんなこともあるかもしれないという程度の出来事。だけど……これだけ藍ちゃんが特異な立ち位置にいるのは引っ掛かる。
もしかして藍ちゃんが【犯人】なのか、あるいは……。
最初の事件の時みたいに、【犯人】が疑惑を押し付けようとしている?
確証はない。だけど……確証もなく疑うことに、躊躇いを覚えなくなっている自分を感じる。最初の事件で狼花さんを疑ったときのような罪悪感は、既にない。……当然だ。これから私は、【犯人】を死に追い込もうとしているのだから。
この程度で……躊躇してなんていられない。




