5 手のひらの上
「おっ、これかな?」
錬金術関係の資料をひっくり返してできた山の中にそれはあった。
記憶を頼りにおそらくこれだろうというやつを手に取りそれを紐解いてみる。
『お前がこれを読んでいるということは酒好きの何者かに無理難題を押し付けられたというところだろう。そうだね、例えばドワーフとか』
そんな書き出しから始まる言葉に俺は思わず固まってしまった。
師匠、怖すぎなんですけど……。
この村に来てもうそれなりに時間が経つ。
こんなに遠く離れているのにまだ俺は師匠から見られているような気がして背筋が凍った。
しかし、考えようによってはこれは逆に好都合というものだ。
師匠なら何かいい打開策を持っているに違いない。
本来であれば俺が自身の手で探さないといけないことなのだろうが先人の知恵と経験を土台にして効率的に新しいものを探していくのが文明の進歩というものだろう。
俺は自分にそんな言い訳をしながら資料を読み進めていく。
この資料は師匠のお酒造りのレシピ集といったものだった。
書かれていたお酒はエールに蜂蜜酒、果実酒に薬草酒と多岐にわたっていた。
しかも、それらのカテゴリーごとにさらにいくつもの種類のものがある。これなら酒蔵を始めることができるのではないかと思うくらいだ。
次々にページをめくっているとある言葉が目に入った。
『ドワーフのジジイを黙らせるにはコレ』
そんな注釈がついているレシピがあった。
「ウィースキー?」
聞いたことのない名前のお酒だ。
まあ、俺がお酒に詳しくなかったり興味がなかったからかもしれないが。
早速作り方を見てみる。
「穀物の大麦が原料か……」
大麦はこの村でも作っているし簡単に確保できる。
このお酒の肝はスモーキーさにあるらしいが、そのための炭の確保も問題ない。
蒸留も錬金術でできる。
しかし問題が一つあった。
それは最後の工程だ。
『熟成させるために数年から数十年、樽の中で寝かせる』
レシピにはそう書いてある。
これは困った。
材料であれば探したり代替できないものがないか工夫するということができる。
しかし、時間ばっかりはどうにもならない。
ボルグさんには少しでも早くミスリルの加工をお願いしたいと思っている。
そんなに時間を掛けるわけにはいかない。
どうしたものかと考えているうちに不意にアイデアが浮かんだ。
「そうだ、アレを使ってみるか」
俺は趣味でやっていた魔法陣学の内容をまとめた資料を取り出した。
あれから俺は村の人たちに頼んでウィースキー作りに必要となる大麦や炭を用意してもらい師匠のレシピ通りに原酒となるお酒を用意した。
この村でもお酒造りがされているため基本となるところは手伝ってもらうことができたのは僥倖だった。
そして木工屋のマイクさんに原酒を寝かせるための樽を用意してもらった。
どんな種類の木の樽がいいのかがわからなかったので取り敢えず何種類か用意してもらい、実験も兼ねながら進めることにする。
「さて、ここからだな……」
俺は用意してもらった樽を前に背筋を伸ばす。
今からする作業は俺も初めてやることだからやはり緊張する。
俺は樽に手を伸ばし魔力を使って魔法陣を刻み込んでいく。
今回俺が考えた解決法はこの用意してもらった普通の樽に魔法陣を刻んで魔道具にするという方法だ。
刻む魔法陣はかなり複雑で難易度が高いものになる。
この魔法陣は学院で学んだものではなく、俺が以前に師匠から教えてもらったものの一つを応用したものだ。
魔法陣の内容はその容器の中の時間の進み方に干渉するという特殊なものになる。
元々は食料を保存するために時間の進み方を遅くしてより長時間鮮度を保つという使い方をしようと開発されたものらしい。
この魔法陣はかなり負荷が高いため実用に耐える魔法陣を刻むには膨大な量の魔力が必要となる。
そのためこの魔法陣を扱うことができる術者は限られるという技術でもある。
それだけではなく魔道具の動力となる魔力結晶の消費も激しいのでこの魔法陣を使った魔道具は一般には普及していない。
俺は少しずつ樽に魔法陣を刻んでいく。
刻む魔法陣の内容は樽の中の時間の進み方を逆に早くして熟成の期間を短縮するというものだ。
興味本位ではあったが師匠から教わったものの逆のパターンを研究していたことがまさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
時間の進み方をかなり早くする必要があるため刻む魔法陣もかなり大きくなるし必要な魔力の量も膨大なものになった。久しぶりに魔力回復ポーションを使ったがそうしてでもこの作業は早くしなければならない。
俺はようやく魔法陣を刻み終わると樽に原酒を詰めて魔法陣を発動させるための魔力結晶をセットした。
俺の計算では2、3週間もあれば樽の中身はある程度熟成すると思う。
こうして俺が原酒を詰めた樽はこの村のお酒の貯蔵用倉庫の一部を借りて置かせてもらった。
その倉庫には作業用のスペースが設けられているのでそこで作業や試飲をすることもできる。
原酒の熟成を待つ間、俺はダンジョンの傍にできた精錬小屋でミスリルの精錬に励むことにした。




