白炎
雫が魔族に襲われた。
一瞬の事態に、俺はただ混乱するばかりだった。
「あ……うぅ……」
雫は脇腹を抑えながらうずくまった。制服下の白いブラウスは血に染まり、彼女の手を赤く汚していく。
だが、怒りの表情をした雫は、閃光のような勢いで太ももから護身用のナイフを抜いた。
決死のその一撃を、魔族は翼をはためかせかわす。
……それが精一杯だったらしい。
今度こそ、雫は地面に倒れこんでしまった。
「雫っ!」
俺は焦りのあまり駆け寄ろうとした。しかし、ミゲルによって召喚された魔物たちがその行く手を阻む。
…………。
一紗を助ける。
その大義名分があるから、気持ちを奮い立たせ蛮勇に走ることができた。現実を見ていなかったと言ってもいい。
これが現実。
俺自身、あるいは仲間が危ないかもしれないということは予想していた。覚悟もしていたつもりだった。
でも、こうして現実を突きつけられるとあまりに辛い。苦悶の表情を浮かべたまま地面にうずくまっている雫を見ると、俺はただただ悲しくなるだけだった。
「ここはりんごがっ!」
りんごが雫の前に立った。魔法使い担当の彼女ではあるが、ここに至っては雫を守るために前衛に立たざるを得ないだろう。
「頼む」
俺は雫たちに背を向け、祭壇の前に立っている司祭ミゲルへと体を向けた。
現状、雫を守りながらの戦いではジリ貧だ。どうにかしてこの祭司を倒さなければ、俺たちに勝機はない。
周囲の魔物を振り払いなら、俺は進む。
俺は怒りに震えていた。
鏡を見れば、見たこともない表情をしていると思う。どれだけ冗談言われても、軽口叩かれても、雫は俺のクラスメイトなんだ。
明確な敵を前に、俺は憎しみに近い感情を抱いていた。
大敵、祭司ミゲルは爪にこびりついた雫の血を舐めとりながら、可笑しそうに笑った。
「はっはははははは、その顔。さてはその少女があなたの恋人ですね。これはこれは、大した悲劇でございますな」
「……恋人じゃない。俺の大切な仲間だっ!」
「信者たちにも見せて差し上げたかったですねぇ。娯楽の少ないこのレグルス迷宮、悲しみに彩られた演劇はさぞかし盛り上がったでしょうに」
こいつにとって、俺たちの死は娯楽でしかないのか。
祭司ミゲルはこれまで出会ったどの魔族とも違う。片言で喋ってくることもなければ、執拗に人間を敵視する言動はない。
要するに頭がよさそうな魔族だ。よく分からない宗教に浸ってるあたりも、何となくではあるが知性を感じる。
だが、だからと言って分かり合えるわけがない。
「足掻きなさい、嘆きなさい。友を想うその心が、我らが神への贄となるのですっ!」
「ミゲルぅうううううううっ!」
俺たちは死闘を繰り広げた。
俺は聖剣を振るった。これまで知っているどんな技も惜しみなく繰り出した。時には不意を突いて魔法も使った。
だが、それだけだった。
どれだけ頑張っても。
どれだけ力を入れても。
この魔族は強い。俺がこれまで戦ってきた魔物はもとより、迷宮の転移ゲート近くで戦った魔族よりもだ。
俺は息が上がっている。だが向こうは、息切れ一つせず五体満足。余裕の笑みすら浮かべている。
勝てない。
底知れない絶望が、俺の胸中を支配しかけていた。
もはや勝利することは考えていなかった。どうやって雫とりんごを逃がそうかと、負ける算段をしていたぐらいだ。
――その時、俺の頭にある言葉が浮かんだ。
はく……えん?
いつのまにか、隣には一人の少女がいた。
白い着物を着た、半透明の女の子。
高位の聖剣・魔剣はその身に魂を宿す。かつて鈴菜が処刑されようとしていた時、俺のそばに現れたあの子だ。あれ以来見てなかったな。
この剣に宿る魂なら、さしずめ〈白き刃の聖女〉といったところか。
〝お願い〟
声が聞こえた。
〝あの子を、助けて……〟
そう言い残して、女の子は消えてしまった。
……?
あの子? 誰のことだ? 雫のことか?
いや、今はいい。それよりもまず、なすべきこと。それはっ!
「〈白炎〉っ!」
さっき頭に浮かんできた言葉。それは、きっとあの少女が指し示すこの状況を覆す技っ!
――〈白炎〉。
それは、俺が今まで放ってきた白い刃、〈白刃〉が炎をまとったような形に見えた。
見た目はそれだけで、特別強そうにも見えない。
白い炎をまとった刃が祭司へと迫っていく。
「またしても一つ覚えの聖剣ですかな? 名を変えようと、同じ物を同じ者が振るったところでこれまでの繰り返し……」
祭司ミゲルは手を突き出し、その人外の握力で刃を握りつぶそうとしている。
それは、これまでと何ら変わらないルーチンワーク。
そのはずだった。
まず、腕が……焼失した。
祭司ミゲルの手に白い炎が接触した瞬間、燃え上る炎が一瞬にしてその左腕を焼失させたのだ。
「ば……馬鹿な……」
祭司ミゲルは驚愕に震えている。
腕の付け根から、白い炎が全身に広がっていく。ミゲルはまるで羽虫を振り払うように体を揺らすが、炎は消えるどころか徐々に全身へと広がっていった。
「この、このわたくしが……神に仕えるこのミゲルが……このようなところで……」
炎はミゲルを包んでいく。全身を炎に包まれた彼の姿はもはや直接拝むことができず、遠くからその黒い影が見えるのみだった。
「おのれ……おのれええええええ、たかが人間の分際で、この……わたくしに……」
それが、彼の最後の言葉だった。
祭司ミゲルはこと切れた。後に残ったのは、彼が右手で握っていた黄金の杖だけだった。




