祭司ミゲル
俺たちは迷宮を進んだ。
一紗の足跡を追って、黙々と……前へ前へ。
数度しか訪れたことのない俺はもとより、りんごたちに至っても足を踏み入れたことのない階にやってきた。自然と緊張感が増していく。
そして、その部屋に入った。
そこは、変わった場所だった。
これまで行ったことのあるどの部屋よりも大きな部屋。いくつもの椅子が並べられ、奥には黄金の像が置いてある。そして天井はここが地下迷宮であることを忘れるほどに……高い。
何かの集会所みたいなところだ。
こんな部屋に来たのは初めてだ。椅子とか像とか、いかにも人工物的なものを、これまで見たことがなかった。
祭壇に祈るよう立っている人影がある。
人間、どこにでもいる中年男性に見える。
しかし、そいつが一紗や小鳥でない以上、人間であるはずはない。
そう、魔族だ。
魔族が、ゆっくりとこちらを向いた。
俺たち三人の間に、緊張が走る。
「ようこそようこそ、勇者ご一行」
俺がこの魔族に抱いたイメージは、司祭。
黄金の刺しゅうが施されたローブと帽子。十字架はついていないが、杖のようなものを持っている。ニコニコとほほ笑むその姿は、迷える俺たちに聖書の一節でも聞かせてくれそうに見える。
「わたくし、この教会で祭司を務めておりますミゲルと申します」
「ここは教会なのか?」
黙っていても何も始まらない。変わり者の魔族――ミゲルに気圧されてはいたが、俺は声を上げることにした。
相手のペースにのまれるのはまずい。
「暗く、狭い我らがレグルス迷宮。娯楽の少ないこの地で、戯れに人間が行う宗教を真似てみようと、わたくしが発案した次第でございます」
ごっこ遊びってことか。あまりいい気はしないな。
「黄金像は我らが主、魔王獅子帝レオンハルト様を表しております。よろしければ、どうぞ祈りを捧げてください」
「魔王を拝めなんて言われても難しい話だ。俺たち、まだ会ったことすらないんだからな……」
やんわりと断りを入れるが、この司祭気取りの魔族にとって俺たちの返答などどうでもいいらしい。特に表情の変化は見られなかった。
「それにしても今日は素晴らしい日ですな。人間の勇者様が三人も教会に来訪。信者たちがいないのは誠に残念ですが、滞りなく儀式が行えそうです」
ミゲルは杖を振って黄金像に一礼した。そして、ゆっくりとこちらを向く。
「我らが神に……血の聖杯と肉の供物を捧げましょうっ!」
血走った目、裂けるほどに開かれた口。誰がどう見ても、敵対行動に他ならない。
雫は弓を構えた。
りんごは杖をかざした。
俺は聖剣を抜いた。
「魔王陛下が腹心、イグナート様に仕える祭司――ミゲルにございます。いざっ!」
戦いが、始まった。
「来たれ我がしもべよっ!」
ミゲルが杖を振りかざすと、周囲に魔法陣が展開した。
純魔法っ!
人間の魔法とは明らかに異なるそれ。
何が起きるか分からない。
警戒する俺たちを尻目に、魔法陣は不気味な音を奏でながら、光り輝いていく。
「……?」
魔法陣の中から、何かが……浮き出て……。
アンデッド。
狼型の魔獣。
スライム。
こいつらは、昔の俺みたいな冒険者がよく相手にしている魔物じゃないか。
魔物が、魔法陣から現れた。
数は50、いや60を超えているかもしれない。広かったこの部屋が一気に息苦しくなっていく。
「魔物を……呼び寄せた?」
「おやおや、ご存知ないのですかな? 高位の魔族は魔物を召還できるのですよ」
そんな設定……聞いたことないぞ。
いまだ多くが謎に包まれている魔族。その力の一端を、このタイミングで拝んでしまうとはな。
俺たちは雑魚の相手を余儀なくされた。
魔物、というのは概してそれほど強くはない。もちろん、俺たち基準のという意味であり、一般の冒険者や村人たちにとっては処理に困る難敵ではあるのだが。
「〈白刃〉っ!」
魔物を倒すついでに、聖剣の刃をミゲルに向って放つ。不意打ちのつもりだったが、難なくよけられてしまう。
配下に任せて自分は高みの見物。しかしそれほど油断しているわけでもない、か。
「危ないですなぁ。わたくし、魔族の中ではそれほど強くないゆえ、どうかご容赦願いたい」
「ここに一紗が来なかったか? 俺たちと同じ、勇者の女の子だ」
聞いて素直に答えてくれるとは限らない、が何も言わないよりはましだ。少なくとも反応をうかがうことはできる。
「知りませんな」
「本当か?」
「私も忙しい身でしてね。いつもこの部屋にいるわけではないのですよ」
嘘をついている様子はない。
この近くに足跡があった。一紗は間違いなくここに来ている。……ということは、このミゲルとかいう魔族と遭遇しなかったってことか。
俺たち、運が悪かったな。
「凍てつく大地、停まる時、世界に冬を招きたまえ。〈嘆きの凍獄〉」
「こいつら……うざいっ」
りんごと雫が魔物たちを一掃している。弱い相手だから苦戦することはないのだが、すぐに全員叩き潰すというわけにはいかない。
しかし、こんなところで手間取っていてはこの魔族の思うつぼだ。なんとかして、この状況を打破しなければ……。
将を射るっ!
「〈白王刃〉っ!」
100を超える白き刃が一斉に襲い掛かるこの技。もはやこのミゲルという魔族に逃げ道なんて存在しない。
「…………くくっ」
祭司ミゲルが笑った。
突如、ミゲルの背中から翼が生えた。鋭くとがった長い爪を伸ばし、いかにも悪魔風な出で立ちへと体を変化させていく。
変身? というか元の姿に戻ったのか?
「ごくごく当然のことではございますが、100の魔物を使役するこの私が……弱いはずがありません。お見せいたしましょうか、魔王様に対するわたくしの信仰心をっ!」
ミゲルが翼を広げて飛び上がった。迫りくる〈白王刃〉を風か何かのように払いのけながら。
高いっ!
やはりレグルス迷宮の下層にいる魔族。これまで俺たちが相手にしてきたどの魔族よりも、けた違いに強い。
部屋が広いと言っても、あくまで部屋としての広さだ。地上の空なんかに比べれば、はるかに狭く……そして壁に囲まれた空間。とてもではないが、飛び上がって速度などだせるはずがない……はずだった。
しかし、祭司ミゲルはさながら地面を駆ける馬か何かのように、高速で部屋の隙間を滑空した。
一瞬にして降り立ったその場所は――
「まずは一人」
「……っ!」
祭司ミゲルの鋭い爪が――雫の脇腹を抉った。




