官邸の執務室で……
官邸に呼ばれた。
俺はつぐみによってよく大統領官邸へと呼ばれる。それは俺が勇者であり、扱い易い男であり、多くの大事件に絡む重要人物だからでもある。
俺としても、この国の問題には積極的に協力していきたい。愛国心、は言い過ぎだが、ここには俺の大切な人たちも暮らしてるわけで。
最近は頼られるのも悪くないって思えるようになってきたかな。
以前と違い、つぐみとは肌を重ねた仲だ。若干の安心感もある。
「入るぞ」
軽くノックをして、部屋の中に入る。
つぐみは執務室の椅子に座っていた。大量の書類のせいで、彼女の顔半分が隠れてしまっている。
「何か用か? あっ、もしかして今仕事忙しかったか?」
「問題ない、たった今終わったところだ」
そう言って、つぐみが立ち上がった。
「は?」
俺は意味が分からなかった。
つぐみが立ち上がった。それ自体は自然な動作だ。ただ、彼女の服装が……あまりにおかしかったのだ。
いつものように制服とマントを身に着けている姿ではない。
つぐみが、メイド服を着ていた。
「……え、何その恰好?」
「ご、ご主人様がかわいいって言ってくれたから、今日はずっとこれを着てるの」
「え? それ着て仕事してたのか?」
く、口調が……。ここ官邸なのに……。
だ、大丈夫なのかこの子? ずっとこの格好で仕事って、近衛兵や大臣だっているのに……正気か?
だいたいつぐみって、女にメイドさせるとか差別的でダメとか言ってなかった?
俺は改めてつぐみの頭が心配になってしまった。
そんな俺の懸念を知ってか知らずか、つぐみは扉の前まで駆けていき、部屋の鍵を閉めた。
「これでもう誰も入れない」
あ、口調戻った。
「そうだな」
二人っきりか。これは何か他人に聞かせたくない話なんだろうな。加藤の件か?
「そっちに座ってくれ」
俺は来客用のソファーに腰掛けた。
つぐみは前の席……へは座らずに俺の隣へと腰掛けた。そして、そのまま上半身を俺に寄せてくる。
「お、おい」
つぐみの手が、まるで何かを求めるように俺の太ももを撫でている。
「……ん、はぁ」
顔は熱病のように火照り、息が荒い。どうみても、興奮してる。
……あ、はい、そうですか。
俺はつぐみの肩を握った。
「……つぐみ、いいか落ち着いてくれ。ここはお前の仕事場で、城の中だ。ここは二人っきりかもしれないが、外に誰がいるかわからない」
「うん」
「俺はつぐみのことを愛してる。でもここは神聖な仕事場で、そういうことする場所じゃないと思うんだ。仕事のストレスで大変だとは思うが、家に帰るまで我慢してくれ」
「やだ」
「は?」
つぐみはそう言って俺のベルトへと手をかけた。
怖い、目が怖いよこの人!
「ちょ、ちょっと待ってくれ! こ、ここは大統領の仕事部屋だぞ! ダメだったらダメ!」
「つぐみはいけないメイドです。ご主人様のことを思って、神聖な仕事場を汚そうとしています。悪い子です。……お仕置き、して欲しいの」
ランプに照らされた彼女の太ももが、艶めかしい曲線を描く。ガーターベルトとその先の下着が露わとなった。
「…………」
…………。
…………。
…………。
ふっ、クールになれ俺。
やれやれ、俺もなめられたものだ。
ただでさえ3人のクラスメイトとハーレムでただれた関係になってしまった俺だ。その分、こういったことには清く正しく対応していきたい。
負けない! エロなんかに!
グラウス共和国には大きく分けて2種類の軍属が存在する。
地方、あるいは中央に滞在し各国への軍事的けん制、あるいは地方の治安維持などを担う『軍団』。
そしてもう一つは、共和国首都、官邸周辺のみの治安維持を行う、『近衛隊』である。
近衛隊の人数はそれほど多くなく、300人前後。そもそも反乱分子である貴族たちはほぼ完全に追放したため、彼女たちの敵は、少数の強盗や不審者だけだ。それほど危険も伴わない。
つぐみが用意した雇用対策の側面も強い。そのため構成要因は完全に女性だけであり、貧民出身の者も多い。
彼女たちを統括するのは、匠のクラスメイトである柏木璃々だ。
璃々は官邸の廊下を歩いていた。
通常、ここまで警備は行われない。入口近くで不審者のチェックをしているため、中までは入らないからだ。
しかし璃々は、ここによく来る。
扉の前で、璃々は止まった。
そう。
この扉の先に愛するお姉様――つぐみがいる。彼女と他愛もない話をすることが、璃々にとってとても幸せなことだった。
今日の口実はハンカチだ。
つぐみが近衛兵の貧しい少女に貸していたハンカチを、璃々経由で彼女に返す。そういう口実。
ノックもなしに入ろうとした、ちょうどそのとき。
「………………」
声が聞こえた。
璃々は不審に思った。
鍵はかかっている。しかし扉は少しだけ前に動いたため、隙間から少しだけ中を見ることができた。
「ご主人様っ! 好きぃ、愛してるのぉっ!」
「つぐみっ! 俺も、俺もだ!」
部屋の中には、二人の男女。
黒髪の男は下条匠。
そして赤髪の女性は、つぐみだ。
(嘘……)
璃々は声を上げることができなかった。
近衛隊長として、この部屋に踏み入るべきだったかもしれない。しかし人間、あまりにショックな出来事が起こってしまうと声すらも出せないものだ。
璃々は悔しさに涙を流した。
そもそも、この官邸につぐみがメイド服でやってきた時からおかしいとは思っていた。あれほど毛嫌いしていた服を、嬉しそうに着ているというその状況がすでにあり得ないのだ。
璃々は知っている。あれは匠の趣味だ。彼が勇者と呼ばれていた頃には、クラスの女子全員があの服を着ていた。黒のニーハイソックスも、ガーターベルトも全部彼の趣味だ。
当時、彼が璃々たちに向けていたエロオヤジのような目線を思い出す。
許されざる状況。だが、璃々は踏み込めなかった。
匠に愛されているつぐみが、あまりに幸せそうだったからだ。どれだけ否定したくても、理性が結論を下してしまう。
つぐみは、匠のことが好きなのだ。
璃々は匠のことが嫌いだが、今まで彼が行ってきた功績は冷静に理解している。それは、近しい人間が惚れたりするのには十分すぎるほどだった。
普段、この時間に執務室を訪れるものはいない。ましてやノックもなしに扉を開けようとするものなど璃々以外にはいない。
そして、この部屋はある程度防音環境が整っている。
そもそも匠は不法侵入ではない。今日、つぐみが璃々たち近衛兵にその旨を説明していた。
そうこれは、完全なる合意の上での行い。
「お姉様……」
璃々の胸中は複雑だった。
この部屋で行われているのは、恥ずべき愚行。しかし憧れのお姉様が見せる痴態に、少なからず興奮を覚えている自分がいる。
できることなら、自分があの人を導きたかった。
起こりえなかった未来を妄想しながら、璃々は今の匠と自分を重ねた。つぐみに激しく愛されている姿を、思い浮かべたのだ。
「……許さない」
悲しみと、興奮と、怒りで頭がどうにかなってしまいそうだった。
激情は、怒りへと。
愛する人を奪った男――下条匠へと。
「絶対に……絶対に許さないっ!」
璃々はずっと見ていた。
匠たちが疲れて動くのをやめるまで、ずっと……。
ここからが近衛隊編になります。




