貫く白刃
聖剣ヴァイスの力、〈白刃〉は白い刃を対象に飛ばす必殺技だ。
俺はこいつを使い、処刑人から斧を弾き飛ばした。
「鈴菜っ!」
駆け出した俺は、すぐに壇上の鈴菜のもとへと到達した。
一瞬の隙を突いての行動だ。この場にいる誰もが、俺の存在を認めるとともににわかに騒ぎ始めた。
「な、何事だ? 兵士たちよ、その男を捕らえろっ!」
つぐみが声を張り上げた。彼女の言葉に従って、警備に回っていた璃々たちのような兵士たちが俺を取り囲む。
だが、それだけだ。
彼女たちは額に汗を浮かべながらも、俺を攻撃したり拘束しようとはしない。
当然だ。
俺は元勇者。魔法適性がすべてSランクな上、今は聖剣を持っている。とてもではないが普通の人間が手を出して勝てるレベルではない。
この場に、一紗を除いて俺を止めれる者など、いない。
まず俺はつぐみが台の上に置いた例の薬瓶を手に取った。そいつを持ったまま、ゆっくりと鈴菜に近づいていく。
聖剣ヴァイスを振り、彼女の首輪を断ち切る。
「止めるんだ!」
鈴菜の制止を振り切り、俺は彼女に薬を使った。抵抗する体を抱き寄せ、その痛々しい手首にそっと薬を塗っていく。
効果は劇的だった。薄いかさぶたの残っていた腕から、ゆっくりとしかし目に見えて分かるレベルで肉が盛り上がっている。
……ずっと、こうしたかった。
「君は馬鹿だ。僕のために……なんてことを……」
「俺は鈴菜に比べたら頭よくないからな。こうする以外に、スマートな方法を思いつかなかったんだ」
泣いている鈴菜をそっと抱き寄せ、俺は周囲を見渡した。
相変わらず、兵士たちは俺を取り囲んでいる。そして集まった聴衆たちは、固唾をのんで俺の行動を観察していた。
ふと、つぐみが目くばせしているのに気が付いた。
どうやら、ここでこうして俺が乱入してくることを、つぐみは予想していたらしい。彼女が示したその一角は、妙に兵士たちの少ない位置だった。
俺を逃がしてくれる、ってことか? 兵士たちも俺と目があうと、こくり、と軽く頷いてくれている。話が付いているんだ。
「…………」
兵士はいない。暴徒は全員ここにいる。なら、彼女が示した道は安全と見てもいいだろう。
とりあえず鈴菜を連れてここから逃げよう。この場が収まるわけないが、彼女が手首を切るなんて結果よりもよっぽどましだ。
「鈴菜、立てるか?」
「……ああ」
涙を拭った鈴菜は立ち上がった。手首以外はこれといって問題のない健康状態。あまり運動が得意そうには見えないが、走る分には問題ないだろう。
ここから逃げて、乃蒼も連れて……どこかに旅立とう。俺はもうここにはいられない。逃げて逃げて逃げて……そしてどこか安住の地を……。
「…………」
違う。
俺はそれまでの考えを否定した。
逃げてどうする? 逃げればただの犯罪者だ。
それこそ、フェリクス公爵の思うつぼなんじゃないのか?
俺は……。
「皆……」
気が付けば、声を出していた。
「聞いて欲しい」
おそらく、フェリクス公爵のことを考慮しても逃げるのが最も正しい選択肢。俺の声一つで、国民全員を動かせるはずなんてないのだ。
でも、許せなかった。
鈴菜はすごく頑張った。俺なんかよりもよっぽどこの世界を良くした。それなのに、一度陰謀に巻き込まれただけで……手首を切られてしまうなんて。
そんな正義が許されていいはずがないっ!
しん、と静まり返った会場。聖剣を持ち壇上に上がった俺は、良くも悪くも耳目を集めている。
奇しくも、演説の環境は整っていたということだ。
「俺は異世界人だ。勇者としてこの地に召喚されてやってきた。だが気が付けば革命が起き、王族が追放されて、俺は犯罪者扱いで冒険者ギルドに飛ばされた」
俺は鈴菜に目を落とした。
「彼女が、〈プロモーター〉を作ったからだ」
そう。
俺の不幸は、もとをたどれば鈴菜に行きつく。女が活躍できない国だったのなら、今もきっと貴族たちにもてはやされていただろう。
それは、この地のギルドで働く俺のことを見ていた住人たちにとっても、理解しやすいことだと思う。
観衆の一人が声を上げた。
「あんたその女が憎かったんじゃなかったのか? 俺たちと同じように、手首を切られるのを楽しみにしてたんじゃないのか?」
おそらく、手首を切られた被害者の親族だろう。観衆の一人が声を上げた。
憎いか? か。
確かに、つぐみを憎らしく思ったことはある。これは事実だ。だけど、鈴菜に対してそんなことを考えたことなんてない。
「憎いなんて、思ったことはない」
「嘘……だろ?」
「文句ばっかり言って、あんたたちは恥ずかしくないのか? 誰のおかげで権利を得られたと思っている? 鈴菜がいなかったら、今も奴隷扱いされてたんだぞっ!」
彼女は正義だった。こんな理不尽な仕打ちを受けるなんて……間違ってるっ!
「それがなんだ? 一回事故があっただけで、手のひら返してマッドサイテンティスト扱いか? いい加減にしろよ!」
だん、と俺は台を叩いた。
「鈴菜は俺なんかよりも何倍も何倍も優秀なんだ。この手で、あんたたちを地の底から救い上げるために働いてきた。そしてこれからもきっと、この世界により豊かで便利なものを生み出してくれる、そんな才能を持ってるんだ! あんたたちは自分の我がままだけで彼女を潰すのか? ああ、そうすればきっとあんたらは気持ちいいかもしれないな。でも俺は気持ち悪いっ! 俺は鈴菜を守るって決めたからなっ!」
俺は聖剣ヴァイスを空高くつき上げた。剣先から発生した白い刃が、遥か空の入道雲を貫く。
「これ以上文句を言う奴がいるなら……俺がそいつの手首を切る」
……言い切った。
言い切ってしまった。
これは俺の完全な自己満足だ。つぐみの気配りに従い、その場から逃げるのが一番だったと思う。
でも、俺はやってしまった。
正しい人間が逃げ出すなんて、どう考えても間違ってる。
「我慢しなくていいんだ」
そっと、鈴菜の肩を叩く。
「……手があれば、本が読める。文字を書けるし、試験管だって持てる。当たり前だ。手は……便利だからな。なくなって、嬉しいはずがないよ」
それは、彼女の心からの言葉。
ずっと、我慢していたものが決壊する。
もう、戻れない。
「ずっと、我慢してたのに……。君のせいだ。君は……本当に、馬鹿だ」
鈴菜は声を荒げて泣き始めた。
泣きじゃくる彼女の声は、静まり返った会場を貫いた。
俺は彼女を守るように抱きしめた。
俺の脅しが効いたのか、鈴菜の泣き声に感化されたのか。
気が付けば、暴徒と呼べるような人間は一人もいなくなっていた。




