子猫との会話
俺は子猫と結ばれた。
しかし、黙ってこの関係を続けてしまえばそれはただの不倫だ。決して誠実とは言えない今の状況だが、そこだけは筋を通しておきたかった。
すぐに乃蒼に子猫のことを報告した。乃蒼は新しい仲間が増えることをとても喜んでいた。次の食事の時に、改めて全員に紹介することとしよう。
さて、ここで一つ重大な問題が残る。
子猫はこの屋敷で一緒に暮らしていた。
しかし、彼女は仕事をしているだけで、俺の婚約者と言うわけではなかった。俺の置かれている状況、これまでの出来事を改めて説明しなければならない。
勇者の屋敷、庭にて。
さんさんとした太陽の光が降り注ぐ昼間。俺と子猫は庭の中央にやってきた。
噴水の水が陽光を反射し、キラキラと輝く。近くでは庭師の少女がハサミを使って働いている。俺たちが軽く会釈をすると、微笑みを返してくれた。
噴水に腰掛けた俺は、子猫にこれまでのことを説明する。
「始めは乃蒼とだったんだ。きっかけは公爵の策略だったんだけど、こうして結ばれたことは後悔していない」
「匠君と島原さん、仲良かったにゃ。きっとそうなると思ってたにゃ」
まあ、他人からしたらそう見てたかもしれないな。
「次は鈴菜だった」
「知ってるにゃ。例の処刑事件」
有名だからな。この首都に住んでるなら一度は耳に入ってる話題だ。
「知ってるなら話は早いな。あと……鈴菜、妊娠してるんだ」
「え……」
「その、いろいろと気を使ってくれると助かる」
「う、うん……」
やはり知らなかったか。まだそれほどお腹が出てないからな。
子猫は相当驚いたらしく、自然と体が一歩後ろに下がっていた。
「それでつぐみが来て、この屋敷をもらった。いい場所だと思ってる。あっ、あと知ってるとは思うが、みんなとは例のベッドで寝てるから」
「…………」
例の異様に豪華なベッドを思い出したらしく、子猫は変な顔をしている。
「俺が用意したんじゃないぞ。この屋敷に来たらもうあったんだ」
「……『クラスの女子全員このベッドに放り込んでやる!』って意気込みで用意したのかにゃ?」
「……どんだけ変態なんだよ! そんなことが現実に起こるわけないだろ!」
ない……よな?
「まあそれで璃々、一紗、雫、りんご、エリナが来て今に至るというわけだ。初めのころと違って随分大所帯になった。でもみんないい子ばっかりだから、きっと子猫だって上手くやれると思う。ま、子猫はクラスメイトでこの屋敷で働いてたわけだから、その辺の心配は杞憂か」
「……あれ、でも長部さんって、同じクラスの園田君と付き合ってなかったかにゃ? 園田君は匠君のお友達で……あれ?」
「うっ……」
苦しい。
その辺の複雑で悲劇的な事情を一から説明しなければならないとは……。
もともと俺たちの事情に精通していた雫とりんごやアホの子のエリナとは違い、子猫はこの辺りに関心を示してしまうから困る。いやむしろクラスメイトとして普通の反応なんだが……。
俺のこれまでの経験は必ずしもハッピーエンドなものだけではない。だけどいいことも悪いことも、彼女には共有してもらいたい。それが、仲間だと思う。
俺は懇切丁寧にこれまでの経緯と今置かれている状況を説明した。ちゃんと話をしておかないと、性欲のままにハーレムを広げたクソ勇者と思われてしまうからな。
「……濃いにゃ。濃過ぎるにゃ。頭痛がしてきたにゃ」
「子猫もこれからその濃い関係者になるんだから、気を引き締めて欲しい」
「がんばるにゃ」
子猫がガッツポーズをした。非力だから力こぶは出ないが、決意のほどが伝わって来る。
あまり気合を入れられても困るんだけどな。
「……あれ?」
と、突然子猫が首を傾げた。
「ん、どうした? 何か気になることでもあったのか?」
「……ん、勘違いかもしれないにゃ」
「勘違いって、なんの話だ? ま、まさか、俺への想いが勘違いだったとかそんな宣言?」
「そ、そんなわけないにゃ! 違うのにゃ! ただ、気になることが――」
……子猫は、自信なさげにその話を始めた。不確かな、~だったと思うなんてあやふやな言い方だったのは、気遣いからだったのかもしれない。
それは、俺にとって青天の霹靂だった。
「お……おい、その話って本当か?」
「うーん、確かそうだったと思うにゃ」
問い詰めても否定はしない。体験談に基づく話は、俺にとって信頼性の高いものだった。
俺は自分の顔が険しくなっていくのを感じた。恐るべき想像が、脳内を駆け巡っていた。
「…………」
いや、待てよ。仮にそうだったとしても、俺も考えすぎなんじゃないのか? 人は誰でも間違うし、勘違いだってする。だから――
違う、それはおかしいぞ? 確かあの時、あいつはああ言って……。
「…………」
その時、俺はどんな気持ちだったのだろうか?
分からない。
ただ、暗中模索だったこれまでの活動に、光が差したような気がした。
まさか、こんなところで手がかりをつかめるとは……。
まずは、つぐみと相談だ。
これで、偽者を見つけられるかもしれない。
子猫と話をしてから二日後。
ダグラスさんの見回り空しく、〈煉獄〉による爆破事件が一件発生してしまった。彼だけで首都のすべてを見回ることは不可能だったのだ。
事前に起こった事件と重なり、人々の不安はさらに高まっている。かつて悪魔王と戦争状態に陥った時ほどではないが、早急の解決が望まれる。
そう、終わらせるんだ。
俺の手で。
大食堂にて。
朝食は全員が集まる良い機会だ。つぐみや璃々は忙しくていない時もあるが、今日は全員が揃っている。
……始めようか。
「みんな、少し耳を傾けてくれないか?」
刺身やみそ汁に手をかけるクラスメイト達に、俺は語り掛ける。
「また、事件が起こった。この首都に潜伏している魔族が引き起こした事件だ」
しん、と静まるクラスメイトたち。
彼女たちも当然事件のことは知っている。心から明るく楽しく食事をする、なんて状況ではないのだ。
「……俺は勇者で、この国の人々を守らなきゃならない。だからみんなにも少しだけ協力を要請したい。以前行った訓練と同じだ。みんなにも、自分を守れるだけの力を身に着けてもらいたい」
椅子から立ち上がった俺は、まず隣にいた一紗のもとへと歩いて行った。
「一紗、雫、りんごは首都の警備の強化に努めて欲しい。俺も一緒に出るつもりだから、配置は改めて考えよう」
一紗、雫、りんごの肩を叩く俺。
そしてさらにその先には彼女がいる。
「鈴菜、例えばこの聖剣を科学の力で分析することはできないのか?」
俺はそう言って、聖剣ヴァイスを彼女の前に差し出した。
「ほら、普通の剣をさ、この聖剣や魔剣みたいに改造したりとか」
「……難しい話だ」
この返答は予想通りだった。簡単にコピーが作れるならもう量産されているだろうし、そして何より……。
「そうか……」
聖剣を彼女から遠ざけようとした、その瞬間――
「……っ!」
俺は、その剣を鈴菜の脚に突き刺した。
「あ、あう……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!」
彼女の絶叫が、大食堂に木霊した。




