雫の餌付け
俺は勇者の屋敷で待機することになった。
すべては来るべき魔族との戦いに備えるため。やがて訪れる大戦に向けて、英気を養う最後の機会かもしれない。
勇者の屋敷、食堂にて。
早朝、俺たちは食堂に集まっていた。
朝早く起きた乃蒼が、使用人たちと一緒に用意した朝食を食べる。それが俺たちの日課だ。
俺。
乃蒼。
鈴菜。
つぐみ。
璃々。
一紗。
もちろん、昨日初めて屋敷にやってきた雫もいる。
「いただきまーす」
俺はそう挨拶をした。ちなみにするときもあるし、しない時もある。気分の問題だ。
璃々や一紗なんか挨拶するところ聞いたことがないし、つぐみや乃蒼は必ずする。性格が出てるな。
「今日はね、お手伝いの人からハーブをもらったの。……どう、かな?」
焼いたジャガイモに、ハーブの清らかな香りが添えてある。乃蒼が言っていたのはこれだと思う。
「いい匂いするな、おいしいぞ、これ」
「……えへへ」
乃蒼が嬉しそうに顔を赤めた。喜んでもらえてなによりだ。
「お姉さま、あーん」
「璃々、食事は静かにするものだ」
「匠はブロッコリー食べる? ブロッコリー、美味しいわよ」
「おまっ、また嫌いなもの俺の皿に避けるか! 誰か、この女の皿にブロッコリーすりおろしたソースをかけてやれ!」
「はぁ? なにそれ陰湿な嫌がらせね……。性格出てるわよ」
などと、会話を弾ませながら食事をしている。これもまたいつものことだ。
だが……。
「…………」
雫が喋らない。黙々とシチューを飲んでいる。
「…………」
周りの誰とも目を合わせようとしないし、会話に参加しようともしない。
お前さ、違うだろ? そんなキャラじゃないだろ? もっと俺のこと馬鹿にしてくれていい、罵ってくれていいんだぞ? 俺Mじゃないけど。
「あ、雫、俺のハンバーグ食べるか」
いたたまれなくなったから、ついそんなことを言ってみる。俺は一口サイズに切り取ったハンバーグをフォークで刺し、雫の口に寄せてみた。
ぱくっ。
もぐもぐもぐもぐもぐ。
雫が食べてる。
「ポテトサラダとか食べるか?」
ぱくっ、もぐもぐもぐ。
雫が食べてる。
「このブロッコリーも」
もぐもぐもぐ。
なんか、いいなこれ。
動物にエサをあげてるみたいだ。ちょっとほっこりする。
「羽鳥さん、よければ僕の分も食べるかい?」
「…………」
こくり、とうなずく雫。そこは首を振るだけじゃなくて、ちゃんと声に出して示して欲しかった。
鈴菜はおかずののっていた皿を、そのまま雫の方に寄せた。どうやら、これ全部あげて餌付けするらしい。
「いいのか鈴菜? それ全部あげたら、残りが少ないぞ? 朝はしっかり食べておいた方がいいって、元の世界でも良く言われてるし」
「今日は少々食欲がなくてね。欲しがる人間が食べるのが一番さ」
と、いうことらしい。
雫は気にせず食ってるし、まあ本人が納得してるならそれでいいのかな?
それにしても、鈴菜大丈夫かな? 確かこの前も食欲ないって言ってたような。体調が悪いのか?
「鈴菜さん……この前も」
「鈴菜……まさか」
「…………」
ふと、俺と雫以外の女子たちが騒ぎ始めた。
え?
ええ?
何なのこの空気? なんで鈴菜の体調が悪いだけで、みんなこんなに騒いでるんだ? まさか俺が知らないだけで、不治の病に侵されてるなんてことがあったり? そ、そんな馬鹿な、嘘だろ。
具体性を欠く、しかし明らかに何か気がついたような少女たちのざわめきを受けて。
ふぅ、と深いため息をついた鈴菜が、観念したようにこう漏らした。
「……妊娠した」
妊……娠?
「えっ、鈴菜。お腹に、俺の子が?」
こくり、と頷く鈴菜。心なしか緊張しているように見える。
鈴菜が妊娠しているのは分かった。でも、なんでそれを隠してたんだ? 恥ずかしかったのか?
なぜか気まずい空気が流れる中、当の鈴菜は口をまごつかせるようにしながら、乃蒼のことを見ている。
…………。
そうか。
そ……そうだよな。
乃蒼のお腹にいた子供は……死んだ。それはいまだ俺や乃蒼。そしてここにいる全員の心に深い傷を残した出来事。
言いにくかったんだ。乃蒼の前で、自分が俺の子を妊娠したなんて。
俺はどっかの国王や宗教指導者じゃないから、子供を産んだ妻が一番偉いとかそういうことを言うつもりはない。乃蒼が子供を産んでも産まなくても、鈴菜の子が男の子でも女の子でも、彼女たちへの対応を変えたりはしない。
しかしあの件は俺たちにとって辛く悲しいエピソード。鈴菜が再び妊娠の話題を出せば、当時の感情が蘇ってしまうかもしれない。
乃蒼は、大丈夫なのだろうか?
あの日、不安を拭い去るため乃蒼を抱いたことを思い出す。
またあの時のようになったら、俺は……。
「……の、乃蒼ちゃん、僕は」
「やったね鈴菜さん。妊娠して良かったね」
「え?」
「鈴菜さんの子供、どんな子だろう。きっとお母さんに似て、天才なんだろうなー。私、あんまり頭良くないから、きっとすぐ抜かされちゃうね。楽しみだね!」
それは、普段それほど多く喋らない乃蒼にしてみれば、少々不自然なほどの明るい会話の多さだったかもしれない。
気を使っているようにも見える。しかし、そこに嘘や嫉妬は含まれていない。それはこの世界で乃蒼と共に過ごしてきた俺が、一番良く分かった。
乃蒼は、純粋に喜んでいるんだ。
家族が増えることを。
乃蒼……。
すべては俺の、そして周りの女子たちの杞憂だった。乃蒼はいい子過ぎた。
本当に嬉しそうにしている彼女を見て、俺は安心した。
「乃蒼ちゃん……。ありがとう」
「きゃっ、何?」
鈴菜が乃蒼を抱きしめて、泣いた。
乃蒼はそんな彼女を抱きしめながら、にっこりとほほ笑み体を抱きしめている。
体が小さい乃蒼だけど、この時は…まるで、自分の娘を慰める母親のように見えた。




