エッセイ① 私にとっての平成
以前、何かのエッセイ募集に対して書いたけど、応募しなかった作品です。
私にとっての平成は、変化に次ぐ変化で気が付けば駆け抜けてしまった年月だった。小学校の時に世は平成となり、中学進学、高校・大学受験に就職・結婚まで、人生の転換期の悉くを平成に経験した。
けれどやっぱり私は昭和の人のようだ。
それを強く実感したのが結婚後の事だった。バイトの休憩中に話しをてたら、歳下の女の子が徐に言ったのだ。
「先輩の時代はどうだったんですか?」、と。
そこでハッと気づかされた。
「時代」
彼女の年齢の人達にとって、昭和とは既に「時代」に括られるものなのだと。彼女は生まれは昭和でも、価値観が形成された時期は平成。そんな彼女から見た私は、同じ平成を生きていてもどこか昭和を匂わせる人間だったらしい。
衝撃だった。私は「時代」に括られる人だったのかと。
そしてすとんと、心に落ちた。
ジェネレーションギャップと呼んでいた価値観の違いを、ようやく納得できた。私の常識は、彼女達の常識と少し違う。それに眉を寄せたこともあったけれど、私の常識は私より上の年代ともやはり違うのだ。けれど、そんな差異を「昭和」という言葉はやんわりと包んでいてくれた。
私は昭和を十数年しか生きていないけれど、バリバリの昭和の人だしそうありたい。けれどどこか「昭和」を、新しい物事への拒否感を示す言葉に変えてしまっていたように思う。
「懐かしいあの頃」そんな存在があるのはとても幸せだ。けれど、それに固執してはいけない。全ては変わっていく。何も変わっていないように思えるけれど、気が付けば四季は曖昧になり恵みをもたらしてくれる自然も突如として命を脅かす災いを運んできた。
「過去」は「習い、考える」ものであって、「固執し、なぞる」ものではない。
今まで生み出されてきた知識を携え、未来を見据えなければいけない。
自分の人生にも、この地球にもたくさんの変化をもたらした「平成時代」。幸せや悲しみ、心や知識と共に、また新たな時代を生きていく。
「令和」という名の、新しい本を繰り続けて。




