8日目、最後の罠にむけてのそれぞれの思惑
貴族牢にはベッドやテーブルや椅子という最低限の家具があり、トイレの目隠しとなる衝立もあった。複数の人間が詰め込まれる一般の牢屋と比べれば天国であるが、贅沢になれた貴族には剥き出しの石の床は冷たく部屋は狭く食事は粗末で不満だらけであった。
セラステス侯爵も鬱屈した愚痴をこぼしていた。
「どうして……、貴族牢などに……、俺は無罪だ……、ラヴァン伯爵夫人が悪いのだ、ステラと呼ぶから……、俺は悪くない……、間違えてしまっただけなのに……」
ブツブツと繰り返す。
しかも今までは全てにおいて優遇されて特別扱いをされたことしかなかったので、近衛兵に拘束されたことが胸が抉られたみたいな衝撃であった。まさにセラステス侯爵にとっては驚天動地。雷に打たれたように動転して精神的に衰弱していた。手足も鉛のように重い。
「……情けない……」
鉄格子の向こうからした声にセラステス侯爵はハッとして顔を上げた。
「グレードス伯爵!」
椅子からセラステス侯爵が立ち上がった。
「親族代表として参りました。急遽の親族会議で、セラステス侯爵家としては財務大臣であるシルヴィア伯爵との敵対は避けたいと意見は一致しております。謝罪のために莫大な賠償金を渡す予定です。またラヴァン伯爵家からも抗議があり、ステラ夫人と離婚もやむ無しと決定いたしました」
「何だと! 勝手な!」
「大樹であるセラステス侯爵家が倒れれば、枝葉の親族および家臣も共倒れの可能性が高いのです。いいですか、御身が侯爵でいられる瀬戸際なのだと自覚をなさってください」
「……はっ? 侯爵は俺だ!」
「今は侯爵です。紙一重の位置で立っていると思ってください。ステラ夫人との離婚が回避できて、ステラ夫人が姉妹であるルーナ夫人へと仲介してくれて、シルヴィア伯爵をなだめてもらって状況が好転すれば希望もありますが」
グレードス伯爵が危機感を煽る。
普通ならば、離婚も他家の夫人への暴力も侯爵家の権力があればそれほどのダメージではない。しかし、貴族牢に入って精神的ショックが蓄積されて判断力が鈍っている状態のセラステス侯爵には真実に聞こえた。
「そんな……」
王宮の奥の執務室でシルヴィア伯爵は国王と向かいあっていた。
「こちらがセラステス侯爵家のステラ夫人の離婚許可書です。承認をお願いいたします」
「うむ。セラステス侯爵の噂は王宮にも届いている。セラステス侯爵家側の親族とラヴァン伯爵夫人からの嘆願、現状の調査結果、離婚は妥当であるな」
離婚許可の書類を受け取り、シルヴィア伯爵が満足そうに口角をあげた。
「では、こちらがセラステス侯爵の爵位譲渡の書類です」
さらっと差し出された書類に国王は眉根を寄せた。
「待て。譲渡だと? たかがステラ夫人との離婚と持参金問題およびルーナ夫人の擦り傷で爵位譲渡の許可はできないぞ」
転んだルーナは手と足に擦り傷があった。シルヴィア伯爵の目が冷たく光った。
「我が妻の怪我がたかが?」
声が低く這う。
「突然で申し訳ありません。国王陛下、わたしは財務大臣を辞任いたします。妻の怪我の看病をいたしたく思います」
言葉とともにシルヴィア伯爵が歩き出す。
「待て!」
国王が叫んだ。
「「「お待ちください、シルヴィア伯爵!!」」」
部屋にいた面々が悲鳴を上げた。貴族たちが蔦のごとくシルヴィア伯爵の手足に縋りつく。何としても部屋から出ることを阻止しようと、次々にシルヴィア伯爵へ物理的に顔面蒼白の貴族が重石となる。
「「「シルヴィア伯爵がいなければ王国の流通がとまってしまいます!!」」」
ちらり、とシルヴィア伯爵が国王へ視線を流した。
「わたしは妻の看病をしたいのですが」
国王は額に手を当てた。
「法を曲げることはできぬ。悪しき前例はつくってはならぬ」
正義と真実は力を所有するものが言ってこそ価値がある。
「さすがは国王陛下。それでこそわたしが仕える尊い陛下です」
恭しくシルヴィア伯爵が頭をさげた。
「ですが、今のわたしは妻の方が大事ですので悪しからず」
あっさりと、再びシルヴィア伯爵がずるずると貴族団子を引きずって歩き出した。素晴らしい脚力である。
「待て! 爵位譲渡の許可はできぬが、おまえのことだ。計画はあるのだろう?」
シルヴィア伯爵の足が止まり、にこっと笑って振り返った。
ラヴァン伯爵の寝室で、ラヴァン伯爵夫人はベッドの横に座って言った。
「ステラの離婚が決まりました。あとはセラステス侯爵です。ぜひとも侯爵には墜ちてもらわなければ」
歌うような声であった。人魚の歌声のごとく魅惑的だった。
「だって。侯爵のままでしたら、もしかしたら逆恨みでステラとルーナに害をなそうとするかも知れないでしょう? あの性格ですもの、確率は高いですわ。権力も財力も剥奪してしまわないと危険ですわ」
「ヴヴヴッ」
ラヴァン伯爵が唸る。
「まぁ、だんな様も賛成ですの? うふふ、ステラとルーナの安全のためにわたくし頑張りますわ」
美しく微笑むラヴァン伯爵夫人であった。
ジャンジャンジャン!
「寄ってらっしゃい、観てらっしゃい!」
弁士の声が空高く響き渡る。
「貴族牢の侯爵なんだけど! 何か怪しいんだよ〜。あのね〜、何か悪巧みをしているみたいにブツブツ言っているんだ〜」
ジャンジャン!
「ちょっと極まっているみたいなんだ〜。『とある侯爵家の白い結婚』8日目だよ〜。皆の衆、始まるよ〜」
デルグトス役の俳優が独り言を呟く。
「離婚をしなければいいんだ。レリーヌと離婚をしなければ爵位は安泰なのだ。なのに親族どもめ、レリーヌとの離婚を決めただと。それに転んだ夫人だってかすり傷だ。大金を払ってやれば喜ぶだろう」
デルグトスが頭を掻きむしる。
「牢屋から出なければ。レリーヌとの離婚許可がおりる前に。レリーヌと会って離婚をやめるように言えばいいのだ」
ブツブツとデルグトスが続ける。
「そうだ。離婚だけではなく、レリーヌとの白い結婚をやめてしまえば解決だ。子どもができればレリーヌとて離婚はできまい。名案だ。やはり俺は正しいんだ。レリーヌとてきちんと妻にしてやれば感激をする、俺を愛しているものな。だって白い結婚を宣言した時に泣いていたし、それほどに俺を愛しているってことだ」
精神的な圧迫でやや思考に論理性の欠如があるデルグトスは妄想気味な言葉を撒き散らす。
「だから早く牢屋から出るんだ」
「うわああ! レリーヌちゃん、危ない!!」
観客が叫ぶ。
「イッちゃってるよ、侯爵は!」
「何か怪しいじゃなくて、もうアブナイ領域だよ!」
「やべぇよ! 侯爵は自分で掘った墓穴をレリーヌちゃんに埋めさせる気だ!」
「ムリだよ! ムリ! 何でそんな考えになるんだよ!」
「とにかく侯爵が暴走馬車みたいに危険だ!」
弁士も観客も心をひとつにして声を張り上げた。
「「「「レリーヌちゃん! 逃げて〜!!!」」」」
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