5日目、ルーナ喧嘩を売る
ルーナは夫であるシルヴィア伯爵と王立劇場に来ていた。王家や貴族家が観劇をする豪奢な劇場である。
シャンデリアが満天の星のように輝く下、ルーナは金色の髪を結い上げて高価な真珠で飾り、細い首には大粒のルビーを花芯としてダイヤモンドを花びらとした首飾りを煌めかせていた。
そのロビーで。
平民の恋人と腕を組んで歩くセラステス侯爵の姿を発見したルーナは、ニンマリと微笑んだ。
「まぁ、セラステス侯爵。ステラは父の見舞いにも来られないほどに臥せっていると聞いておりますのに、恋人と観劇ですの?」
挨拶もせず、すまし顔でルーナがセラステス侯爵に修羅場をふっかける。
いきなり喧嘩を売られたに等しいセラステス侯爵は動揺を隠せない。妻と同じ顔をしたルーナにトラブルを仕掛けられたのだから混乱を禁じ得なかった。
「……シルヴィア伯爵夫人?」
「まぁ、私の名前をお忘れではないのですね。ええ、ステラと双子の姉妹のルーナです。ステラのことを忘失されているような言動をなさっているので、私のことも覚えておられないと思っていましたわ。それで、そちらの方はどなたかしら?」
意図的な嫌味に、セラステス侯爵の不快感が一気に沸点近くまで高まる。だが、場所は王立劇場である。つとめて冷静にセラステス侯爵は答えた。
「友人ですよ」
「まぁ、ご友人? ホホホ、ご冗談を。恋人ですわよね? 社交界では有名ですわ。妻が臥せっているのに恋人と観劇に?」
「シルヴィア伯爵夫人も父君が病床にあるというのに観劇に来られているではないですか」
セラステス侯爵が口を尖らせて反論した。
「まぁ、私? 夫が国王陛下から接待を任されております隣国の大使閣下のお供ですの。私事で大使閣下のスケジュールの変更はできませんわ」
ルーナは通訳であった。
慣例として両国から一人ずつ通訳が立つのだ。たとえ大使が語学に堪能であろうとも。その大使は面白そうに成り行きを眺めている。キャットファイトが大好物なので、いいゾもっとやれ、状態で目をキラキラさせていた。
場所がロビーなので周囲には多数の貴族たちがいた。興味津々でルーナとセラステス侯爵を注目している。
「私、ぶしつけにお声をかけたのは用事がありましたの。そちらの女性に」
「彼女に?」
ルーナが自分の首飾りに触れる。ルーナは侯爵家にメイドとして潜入しているので、侯爵が恋人に何を与えたのかを把握していた。複数の手の者も侯爵家に紛れ込ませている。情報の収集は万端であった。
「ええ。そちらの女性の首飾り、私と同じデザインですのでお尋ねしたいと思いまして。もしかして盗人かも、と」
「失礼な!」
「でも、その首飾り。ステラの首飾りですよね? 私とステラは双子なので、お飾りは同じデザインを発注していますの。特注品ですので同じ首飾りが他にある可能性はとても低いのです」
ぐっ、という音が侯爵の喉の奥で鳴った。喉が締められたみたいな音だった。狼狽した侯爵があえぐように言う。
「に、似ているだけだ!」
「まぁ、花芯となっているルビーは希少なスカーレットレッドですのよ。私とステラの瞳がヘーゼルだからと母が黄色みがかったルビーを他国から取り寄せてくれたのです。普通のルビーではないのです、このルビーは。それに首飾りの裏側にはそれぞれの名前が小さく彫られていますのよ、確認すれば所有者がハッキリしますわ」
侯爵の顔色が、首をくくられた者のように赤黒く染まる。
「それはステラの首飾りですわ。つまり、その女は盗人です」
「ち、違う! そう、そうだ! ステラが貸してくれたんだ!」
「まぁ! 正気でおっしゃっています? 病気のステラが夫の恋人に首飾りを貸した、と? そんな戯言を信じる者がいると思っておられるのですか?」
陰険は貴婦人の嗜みである。ネチネチと皮肉で煽るルーナは猫のように目を細めた。
周囲の視線も冷たい。
「もしや……! ステラが病気で抵抗できないのをいいことに侯爵が持参金を奪ったのですか!? この首飾りはステラの持参金の一部ですもの!」
ルーナが大袈裟に問い詰めると、侯爵の皮膚がますますドス黒くなった。まるで絞首死体のような色であった。妻の持参金を夫が無理矢理に取り上げた場合は法的に罪となる。何が何でも持参金を奪ったとは認めるわけにはいかない。身の破滅である。
「い、言い掛かりだ!」
「侯爵ではないとすると、やはりその女が盗んだのですね?」
「うるさい! 伯爵夫人の分際で無礼だぞ!」
内心の狼狽を覚られまいと、セラステス侯爵は大声で恫喝してルーナを黙らせようとした。
破落戸のような悪手である。
隣にいたシルヴィア伯爵がルーナを庇うように前に出た。シルヴィア伯爵はセラステス侯爵を睨みつけ、あきれたように冷え冷えとした声で言った。
「無作法は君ではないのか? 貴族の社交場である王立劇場に平民の恋人を連れてくるとは。しかも盗人を」
シルヴィア伯爵が警備兵を呼ぶ。
「捕らえろ。盗賊容疑のある女だ」
シルヴィア伯爵は、国王からの信頼厚い財務大臣である。身分と立場とは異なる。セラステス侯爵も逆らうことのできない権勢を持っていた。
「きゃあ! いや、助けて!」
恋人が叫ぶが、セラステス侯爵は動かない。鼠が沈む船を見捨てるようにセラステス侯爵は我が身を優先して恋人を切り捨てたのであった。
ジャンジャンジャン!
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」
今日もフリードの弁士が元気よく呼び込みをする。
「ちょっと聞いておくれよ〜。レリーヌの持参金の宝石を取り上げた侯爵はそれを恋人にプレゼントしたんだ〜。でもさ〜、それが露見すると我が身可愛さに自己保身に走るんだ〜」
ジャガジャガと弦楽器を弾く。
「恋人は侯爵から貰ったと取り調べの場所で訴えるけど〜、所詮は貴族と平民〜。平民の言葉なんて信じてもらえない〜。哀れ〜」
弁士の声が風に乗って街路に広がる。
「冷酷な侯爵〜。永遠の愛はどうしたんだ〜? 真実の愛の誓いは消えたのか〜? 『とある侯爵家の白い結婚』の5日目だよ! さぁ、皆の衆、観ておくれ!」
バンッ!
「牢番に金を渡して、彼女を秘密裏に脱出させる件はどうなったんだ!?」
デルグトス役の俳優が苛々として机を叩く。
「失敗しました。牢番は金を懐に入れて、そのまま上司に報告をしました。このままでは侯爵家にも捜査の手が及ぶかも知れません」
執事役の俳優が重苦しい声を綴る。
「何だと!!」
「それから屋敷の管理のことなのですが。いきなり下男や下女の大半が退職しました」
「下働きが辞めたからどうだと言うんだ! この大変な時につまらんことを!」
「くわえて屋敷の取り引き業者からも商売停止の申し入れが相次ぎまして。下働きたちの退職と商人たちの撤退とが重なり、屋敷の機能が混乱状態となっております」
「では新たな下働きを雇え! 商人だって幾らでもいるだろう! この侯爵家ならば喜んでくるはずだ!!」
「それが……。反応が思わしくなく、断られてばかりでして……」
デルグトスが机の上の書類を執事に投げつけた。
「屋敷の管理はおまえの仕事だろう! 何とかしろ!」
「ア〜ハハハッ!!」
観客たちが指をさす。
「バーカ、バーカ、バーカ、バーカ!」
「困れ、困れ! 誰がてめぇの屋敷で働くもんか!」
「安い給料でこき使いやがって!」
「あそこはメイドや上級使用人が意地悪なのよ!」
「このゲス野郎が! 俺は恋人を見捨てるようなことはしないぞ!」
「男なら恋人を守れよ!」
ジャンジャンジャン!
「だよね~、だよね~。男でも女でも愛があれば大切な人を守るよね〜。さぁて、マズイ風が徐々に吹いてきた侯爵家〜。明日吹く風はどうかな〜?」
ウッキッキ、と笑いをこらえきれないように弁士が肩を揺らしたのだった。




