4日目、母と娘のお茶会
「セラステス侯爵はステラが病気だと言ったの……」
ラヴァン伯爵夫人は持っていたティーカップを受け皿に戻した。カチャ、と小さな音が鳴った。茶器で音を立てるのはマナー違反だが、別の意味もある。不快だとの意思表示を示す無言のサインであった。
セラステス侯爵家で門前払いされた使者は深く頭を垂れる。
「申し訳ございません」
「あなたの力不足ではないわ。気にしなくていいのよ」
ラヴァン伯爵夫人はため息をついた。
「予想はしていたけど、セラステス侯爵は一番最悪の道を選択したのね。穏便にすませてあげようと考えていたけれども、ダメね。可愛いステラを足蹴にされて、わたくし許せないわ」
許さない、と呟くラヴァン伯爵夫人の正面にはルーナが座っていた。
「お母様。セラステス侯爵家には、ラヴァン伯爵家からもシルヴィア伯爵家からも複数の人員を潜入させています。ステラに危害が及ぶことはありません。でも、私もセラステス侯爵を許せません」
ルーナが言葉を続ける。
「セラステス侯爵の愛人が住む別邸にも手の者が入っています。明日、セラステス侯爵は愛人と王立劇場へ行く予定だと報告がありました。実は私も公用で夫と王立劇場へ赴くのです。夫が協力してくれるというので、計画をたてているのです」
「……ルーナ。シルヴィア伯爵はルーナよりも20歳も年上だわ。もしルーナが望むならば離婚してもいいのよ」
ラヴァン伯爵夫人は憂い顔だ。
シルヴィア伯爵は資産家で権力者であるが37歳。貴族には年齢差のある夫婦が珍しくないとはいえ、17歳のルーナに似つかわしい年齢ではなかった。
「え!? 離婚なんて嫌です。夫は私を凄く大事にしてくれています。私、貴族の妻なのに愛し愛されて幸せなんです。年齢差なんて愛情ある生活に比べたら検討する余地もない些細なことです。私は、妻として守られて、尊重されて、愛されています。貴族の娘に生まれた者にとって、とても幸運な結婚ですわ」
真剣な表情でルーナは言葉を紡いだ。
「お母様。私は思うのです。夫といっしょならば17歳の今、美しいと思っている星空を47歳になっても77歳になっても美しいと感じることができる、と。冬の凍えた星灯も暖かな灯火として感じることができる、と。春に咲く花も、夏に吹く風も、秋に輝く月も、夫と見たい、夫と見に行きたい、と。私にとって夫は天から貰った一番美しい贈り物なんです」
胸の底でたまっていた不安の残滓を吐き出すように、ラヴァン伯爵夫人は安堵の吐息を洩らした。
「シルヴィア伯爵はルーナにとって、美しいものを共有したい、と思える人なのね。自分の話す言葉の中で一番美しい言葉を。自分にできる表情の中で一番美しい表情を。祈りを口にする時に相手の顔を思い浮かべるような、花を見るように相手を見るような、優しい気持ちになれる相手なのね」
わずかに羨望を含んだ声でラヴァン伯爵夫人が、降り積もる雪のように静かに言った。
「はい、お母様。夫との結婚は、お父様に感謝している唯一のことです」
「そう、そうなのね。よかったわ。ステラの結婚も幸せなものであればよかったのに……」
「私もステラも貴族の娘です。政略の駒となることは覚悟をしていました。私の結婚はたまたま幸運であっただけ。わかってはいますけれども、やっぱり、私はステラにも幸福になって欲しいのです」
「ええ。だからこそ、知恵を絞って作戦を練らなければ」
「けれども、お母様……」
躊躇いがちにルーナが口を開く。
「ステラの望む幸福は……」
「そうね、ステラの本当の望みは……」
ラヴァン伯爵夫人の口も重い。
ルーナのヘーゼルの瞳とラヴァン伯爵夫人の青い瞳に影がさす。ぽつり、と空から降ってくる最初の雨のようにルーナが言葉を落とした。
「ステラの望みを叶えてあげたいけど……」
ジャンジャンジャン!
「寄ってらっしゃい、観てらっしゃい!」
弁士の、弦でこすれて固くなった指と曲がって厚くなった爪が弦楽器をかき鳴らす。
「さぁ、さぁ、皆の衆! 『とある侯爵家の白い結婚』の4日目だよ〜。今日も生家からの使者を追い返して、見舞いも許さないクズ侯爵〜」
ジャガジャン!
「なのに侯爵自身は愛人と楽しく過ごすんだ〜。レリーヌを監禁しているのに、自分は愛人といちゃいちゃするんだ〜」
「デルグトス、嬉しい! 綺麗な首飾りだわ!」
愛人役の女優が目をキラキラさせる。宝石は偽物の小物だが、ガラス製品なので陽射しを受けて光っていた。
「こっちの宝石も素敵! 髪飾りも指輪もブローチも!」
「全部あげるよ」
デルグトス役の俳優が気前よく宝石箱ごと愛人に渡す。レリーヌの持参金の一部である宝石箱である。
「さすがはデルグトス! 好き好き大好き! 侯爵家ってお金持ちなのね!」
愛人に抱きつかれたデルグトスが相好を崩した。
「明日は観劇に連れて行ってくれるのでしょう? あたし王立劇場なんて初めて! ドレスは何にしようかな、迷う〜」
「マナーの問題があるから大人しくしていてくれよ」
「わかっているわよ。一応マナーを教えてもらったから挨拶のお辞儀はできるけど、自信がないし。なるべく喋らないようにするわ」
楽しそうに戯れ合うデルグトスと愛人から数メートル離れた場所には、泣いているレリーヌがうずくまっていた。見せ場を心得ているフリードの面々は盛り上げ方も上手い。
「うっ、うっ、うっ……」
今日も儚く涙を流すレリーヌ役の女優。
デルグトスと愛人がいちゃいちゃしているだけに、対比するレリーヌの哀れさが際立つ。嗚咽をもらすレリーヌの不憫なこと。あえかな露のようである。
レリーヌ役の女優は台詞も動作も少なく日々泣いているだけに等しいが、大勢の観客たちを毎日もらい泣きで落涙させているのだから、ある意味凄まじかった。
「うわ〜ん、レリーヌ様がかわいそう〜」
びしょびしょに女性客はハンカチを濡らしていた。
「うおお〜ん、レリーヌちゃ〜ん! 俺が助けてやりたいよ〜!」
男性客が拳を悔しげに握る。
レリーヌには固定ファンがつき、涙の萌え萌えキュンキュンで増加の一途をたどっていた。すでにファンクラブも設立されて、グッズ販売も視野に入れられるほどの大人気であった。一大ブーム来襲の予感に目敏い商会が商魂たくましく暗躍をしているのだ。
ちゃっかりしているフリードは寸劇を公演している場所近くの商店と契約して、レリーヌパンやレリーヌまんじゅうを販売しており、押すな押すなの大繁盛で売り上げはうなぎ登りとなって笑いが止まらない状態である。
ジャンジャンジャン!
「皆の衆、ちょびっと予告しちゃうよ〜。明日はね〜、王立劇場の話だよ〜」
読んでいただき、ありがとうございました。




