52,侯爵様の嘆きと異母妹
バシリカは声を震わせながら侯爵様に問いかける。
「な……にを、言っているの? その女が、お父様の子供……?」
「そうだ」
「なんてこと! お母様という人がありながら、お父様は不貞をしていたということ!?」
ガシャガシャと響く、手錠の金具が擦れる音。
侯爵様は私達の横を通り過ぎ、フーフーと荒い息を吐き暴れるバシリカの元へと近付いていく。
「私の行いを不貞と言うならそれはそれで構わない」
「なんですって!? お父様は不貞を認めるということ!?」
「……そうだな。己の罪は認めよう。だが、私が罪を認めるのなら、等しくあの女の罪も暴いてもらわなければ」
侯爵様はライへと視線を向けた。
ライは驚いている私の背中を擦りながら頷く。
「投獄中のナサネバから証言は取れている。王太子婚約者だったセレイ・ソログラシア公爵令嬢の殺害幇助およびソログラシア公爵夫妻を事故死に見せかけ殺害したと。そしてそれ以前にも、まだ成人していないマッサーカ侯爵に媚薬を盛り、無理やり婚約者の座を射止めたともな」
「……お母様が、無理やり?」
バシリカが目を丸くして呟き、私はあまりのおぞましさに口元を覆う。
あの女はこれまでにどれほどの人を傷付けてきたのか。
そしてそれが、自分の出自や両親にも関わってくるだなんてと、顔を青くしながら侯爵様の方へと目を向ける。
ライは私を抱き寄せながら続きを語る。
「王太子の婚約者に選ばれた私の母を妬んで、ナサネバは少しでも上位貴族の令息と婚約しなければと画策していたらしい。だが、性根の悪さからナサネバと婚約したがる上位貴族の令息は居なかった。そこで焦ったナサネバは、あるパーティーで婚約者の居なかった年下のマッサーカ侯爵に媚薬を盛り、身動きの取れない侯爵と同衾したそうだ」
「う、嘘よ! わたくしはお父様とお母様に愛されて生まれてきたと聞かされてきたわ!」
バシリカは信じられないといった顔で侯爵様を見上げるが、侯爵様はふるふると顔を横に振った。
「表向き婚約者は居ないことになっていたが、私は屋敷でメイドをしていた、とある子爵令嬢と親しくしていたんだ。身売り同然で侯爵家に奉公に出された、心に傷を負った子とね。けれど彼女はいつも明るく元気だった。引っ込み思案の私を、いつも晴れた空の下に連れ出してくれたんだ。……ディアはそんな彼女にそっくりだよ」
愛おしいものを見る優しい瞳に、そして私を通して想う人影の気配に、私の中で何かが込み上げてきた。
これまで聞いた多くの懺悔の中で、いつかその心が晴れますようにと願った、数少ない人のうちの一人。
守りたかったのに守れなかったと。
もっと自分に力があったならと。
許してほしいと何度も何度も私の元に通っていた、侯爵様の言葉が過ぎっていく。
「私のところに来ていたのは……」
「君のことも、君の母親のことも、何一つ守れなくてすまなかったと……ただ謝りたかった。君が私のことを知らなくても、格子越しでもよかった。ただ君に……ディアに会いたかったんだ」
「……!!」
侯爵様の頬を涙が伝っていく。
それを見た私も釣られるように涙が溢れ、その姿を隠すようにライは自身の胸に私を閉じ込めた。
真っ暗で温かいライの腕の中で、バシリカの悲鳴が聞こえてくる。
「そんな……そんなはずっ」
「両親も彼女のことを気に入っていた。子爵家の娘だが、気立てもいいし物覚えもいいと言ってね。いずれ彼女を親戚の養子にして、私達を婚約者にしてくれると両親は話してくれていた。それなのに、あの女のせいで……っ! そうして生きてきただと!? 何故ぬけぬけとそんなことが言える!? そのせいで私達がどんな思いをしたと……っ」
「お……とうさま……?」
侯爵様の心からの叫びに困惑するバシリカの声。
きっと侯爵様は、バシリカにそんなことを感じさせないよう接してきたのだろう。
「侯爵家の名に傷を付けるわけにはいかない。それに彼女の存在が明るみになれば、伯爵家から彼女に危害が及ぶかもしれない。家や彼女を傷付けるわけにはいかなかった。だから私は、望んでもいない婚約を選ばざるを得なかったんだ……っ」
そろりと顔を上げ、隙間から見えた侯爵様はボロボロと涙を零し、その瞳にはありありと憎悪が滲んでいた。
顔を覆い肩を震わせる姿は、どう見ても嘘を言っているようには見えない。
「それでもお前は……ただ生まれてきただけのお前には、何の罪もない。たとえ憎い女との子であったとしても、お前には関係のないことだ。だからせめてあの女に似ないようにと、いい子に育つようにと、何度も諭してきたはずだ! 他人を傷付けるような人間になるなと。それを当然のように思うなと。それなのに……っ」
「あ……」
バシリカは顔を青くして漸く大人しくなった。
侯爵様に向かって叱ってばかりだと彼女は言っていたけれど、そもそも愛してもいない女との間に生まれた子供なんて、視界にすら入れられず愛されなくても不思議ではない。
それを、生まれてきた命に罪はないと言い聞かせて接してきた侯爵様は、どれほどの思いでバシリカと向き合ってきたのだろう。
そうして憎い女とそっくりに成長していく姿を、どんな思いで見てきたのだろう。
父親からの本気の叱咤に、少しは自身の愚かさを感じたのか、バシリカは静かに項垂れた。
「つまり私もディアも、半分血の繋がった異母弟や異母妹と争っていたというわけだ。なんとも妙な縁だな」
ライはそんな空気をぶち壊すように吐き捨て、鼻で笑う。
そして私を大切そうに抱き上げると「私達は先に馬車で戻る」と言った。
「その女もナサネバ同様、重罪人として投獄しろ。大聖女の座を奪おうとし、殺害を匂わせる発言もしていたのだからな。……侯爵、後日時間を作る。それでいいな?」
「陛下、ありがとうございます」
侯爵様は静かに頭を下げる。
それに頷き、背を向けようとライが一歩踏み出した時、耳を劈くほどの金切り声が響いた。
「わたくしは何も悪くないわ! だって誰もそんなこと教えてくれなかったじゃない! お前、わたくしの異母姉なのでしょう!? わたくしを助けなさいよおぉっ!!」
「あぁ!?」
バシリカの自分勝手な叫びを聞いて、もう限界だと言わんばかりにライが吠える。
チリチリと空気が震え、氷の粒が浮き始めた。
私は咄嗟に両手でライの頬を掴み、こちらを向かせる。
駄目だと言うように私が左右に首を振ると、グルグルと唸る狼のようだったライは「…………はぁ」と自身を落ち着かせるように息を吐いて力を抑えた。
ライの怒声と肌がヒリつくような怒りを真正面から向けられたバシリカは、声も出せずカタカタと震えている。
「今更異母姉なんて呼ぶの? あんなに嫌がらせや嘲笑を浴びせておいて?」
「……だ、だからそれは知らなかったって言っているじゃない!」
自分の言っていることが身勝手な話だと分かっていないのだろうか。
……いや、分かっていたとしても罪を償おうという意識より助かりたい気持ちが勝っているのか。
侯爵様があそこまで言ったのに、やっぱり変わらないんだな……と、私はバシリカを冷めた目で睨みつける。
「知らなかったから傷付けた? 知ってたら傷付けなかった? その時点で聖女としても人としても失格でしょ」
「なによ! わたくしだけが悪いって言うの!? やり直す機会くらい与えなさいよ!」
「別に貴女だけを悪いなんて言ってないし、全員きちんと捕まえるわ。それに、やり直しを判断するのは私じゃない。だからきちんと法の下に裁かれて」
私は顔色一つ変えず淡々と語りかける。
見下ろす私と、地べたに這いつくばるバシリカ。
それは今までとはまるで正反対の光景だった。
マウントを取り合い人を馬鹿にする貴族達を見て、そうでもして人を見下すのは一体どんな気分なんだろうと、そんなにも気分のよいものなのだろうかと思ったことがあった。
でも、何も感じない。
分かったのは、心底下らないということだけ。
「私は貴女を異母妹だなんて思わないし、庇う気なんてない。これまで貴女がしてきたこと、絶対に許さないから」
私がバシリカからフイッと顔を背け「行こう、ライ」と言うと、ライは何も言わずに背を向けて歩き出した。
泣き喚く耳障りな声を振り切って、私達はその場を後にした。
ライはそのまま馬車に向かおうとしたが、私は孤児院の子供達に顔だけ見せたいとせがんだ。
このまま何も言わず帰ってしまっては、子供達がずっと心配することになってしまう。
少しだけだぞと言われ孤児院に顔を出すと、トーイや他の子供達がわんわんと泣きながら抱き着いてきた。
自分達だって酷い目にあったのに、子供達は私が無事で良かったと言って涙を流す。
「ありがとう。私は大丈夫。悪い人はライや兵士達が捕まえてくれたから、もう心配ないよ」
「良かった。良かった……っ」
トーイが首にぎゅっとしがみついてくる。
あんなものに遭遇して、きっと恐ろしかったに違いない。
その背中を優しく擦っていると、暫くしてから急にライがトーイを掴み上げた。
「ほら、もう終わりだ」
「なんだよ! 王様のけちんぼ!!」
「あーー煩ぇ。ケチでもなんでもいいから早くディアを返せ。今日は念の為に帰るんだよ」
暴れるトーイをぽいと放り投げると、今度は私を子供達の手が届かないよう抱え上げた。
子供達はライに群がって、帰らないでと騒いでいる。
ライはそんな子供達に言葉をかける。
「怪我はなさそうだけど、流石に疲れただろうからな。こいつを休ませねぇと」
「……ディア様しんどいの?」
「しんどくなるかもしれねぇから連れて帰るんだ。悪いな」
すまなそうに言い聞かせるライの言葉に、子供達はしょんぼりしながら渋々頷き始めた。
「ディア様、また来てくれる?」
その不安そうな声に顔を向けると、全員眉を下げて悲しそうな顔をしていた。
一番前に立っている小さな女の子がその言葉を発したらしく、うるうると瞳を潤めている。
「うん。今日は帰るけど、必ずまた来るから。約束」
そう言って私は片腕を下ろし、小指を差し出す。
女の子は「あっ!」と嬉しそうな顔をして、私の小指に自分の小指を絡めた。
どうやらトーイが他の子供達にも教えたらしい。
「ゆーびきーりげーんまん。うーそつーいたーら、はーりせーんぼーんのーます!」
「指切った!」
ふふふっと笑って女の子の頭を撫でると、ライが「よし」と笑って私を抱え直した。
最後に子供達の心のケアを神官や巫女達に頼み、馬車に乗り込んだ。
「ライ、助けに来てくれてありがとう」
馬車に揺られながら感謝を伝えると、ライは黙って私の頭を自分の膝の上に載せた。
そして静かに両目を覆う。
「少し休め。そんな顔しなくても大丈夫だから。ディアは何も間違ってねぇよ」
(そんな顔って、私どんな顔してるんだろう)
それに、どうして私じゃなくてライが苦しそうな声を出すのだろうか。
そう思うと不思議と笑みが零れる。
真っ暗な中で、ライの手の重みがあるだけで安心する。
荒く脈打っていた鼓動も少しずつ落ち着き、ガタゴトとリズムよく揺られる中、私は意識を手放した。




