41,後悔に苛まれ、誠実に散る乳母
マヤさんはセレイ様を失ったことで打ちひしがれていた。
けれど彼女が亡くなった今、公爵夫妻が急いでこちらに向かってくるはずだ。
セレイ様が自身にかけた魔法で、命と引き換えに公爵夫妻に事の全てを伝えているはずなのだから。
その時まで、なんとかセレイ様の子であるライを隠しておかなければならない。
丁度冬の時期のため、暫くは体も腐ることなく保管出来るだろう。
マヤさんは早く公爵夫妻の到着を願いながら、周囲に悟られぬよう普段通りに王城で食材を受け取り、離宮でセレイ様の世話をしているように振舞った。
――しかし。
「チッ。本当に子が生まれているとは」
「……お、王太子殿下っ!? それに……」
「堕胎に効きそうなお茶もお渡ししていたはずですけれど、存外しぶとかったようですわねぇ」
離宮に突然オロカルドとビッチェーナがやってきたのだ。
マヤさんは、どうして!?と息を飲む。
「まぁいい。何かの時にスケープゴートとして利用すればいい。王族らしい色が現れるかも定かではないしな」
「わたくし達の子がおイタをした時、真犯人として罪を被っていただきましょう?」
離宮とはいえここは王城の敷地内。
こんな警備の薄い場所に密偵を入り込ませるなど、オロカルドにとっては造作もないことだった。
セレイ様やマヤさんは泳がされていたのだ。
子が生まれる前に亡くなればそれはそれ、子が生まれてから亡くなるのであれば、オロカルドとビッチェーナの子に何かが起きた際のスケープゴートとして利用しよう……と、二人はセレイ様がいつ亡くなるかを楽しんでいたという。
人を人とも思わない所業に、マヤさんはライを抱きながら震えていた。
「あの女は姑息な真似をし兼ねないからな。公爵領には監視を付けておいたが、正解だったな」
「……それ、は……どういう」
「わたくしの可愛い犬が山で遊んでいたようですの。そうしたら大きな石がとある馬車に転がっていったのですって」
「!?」
クククッと、クスクスと、まるでおもちゃを壊して楽しむ子供のような二人に、自分やこの子はどうなってしまうのかと、マヤさんはただただ絶望した。
マヤさんは男爵家の三女であり、王城で働くいちメイドだった。
同じく王城で働く子爵令息の文官と結婚し、マヤ・コスタとなったが、お互い下級貴族な上に兄弟姉妹が沢山居たため、今後の生活を考えて彼女は寿退職せずに働き続けていたという。
自分達の生活資金のほか、まだ幼い弟妹に支援を送ってあげるために。
既婚者でありながら働いていることは珍しく、ある日、マヤさんを気に入った貴族令息が彼女に言い寄ってきたそうだ。
マヤさんが既婚者だと言うも相手は信じず、手袋を取って結婚指輪を見せると、その令息は「そっちが色目を使ってきたんだ!」などと言って逆上してきた。
それをたまたま目撃していたオロカルドが諌め、マヤさんは助けてもらう。
だが、それこそが悪夢の始まりだった。
それを理由に、マヤさんはオロカルドに脅されるようになってしまったのだ。
「旦那が居るのに男を籠絡していたと知れば、旦那はさぞがっかりするだろうな。アレでも一応、お前より家格が上の伯爵家の令息だ。お前や旦那の実家がいくら抗議しようと、私が手のひらを返してお前が口説いていたと言えば……さぁどうなるだろうな?」
ほくそ笑むような顔を向けられたマヤさんはオロカルドの要求を断ることが出来ず、時折手紙で密命を受けるようになる。
だがその内容は、王城内で仕事のついでに情報を手に入れてこいだの、噂話を収集してこいだの、簡単な使いっ走り程度。
重要な任務を任されることはなく、マヤさんは徐々に警戒心を緩めていった。
きっと王太子殿下のお戯れなのだと、自分は城内の情報を得るための駒なのだろうと思っていたのだ。
それから数年が経ち、マヤさんは妊娠し出産。
そのタイミングで仕事を辞めるつもりだったマヤさんは、漸く王太子殿下の戯れから解放されると胸を撫で下ろしていた。
しかし「メイド長にも気に入られている人材が欠けるのは実に惜しいな」と突如オロカルドが発言したことにより辞めさせてもらえなくなってしまう。
出産から数ヶ月後。
仕事場に復帰させられたマヤさんのロッカーには、オロカルドからの手紙が置かれていた。
そこには、今度は旦那だけでなく生まれたばかりの赤子も人質同然のように書かれており、マヤさんは崩れ落ちる。
まさかあの一件からこんなことになるなんてと、己の不運に声を殺して涙を零した。
赤子という武器を手に入れたオロカルドは、次第に要求がエスカレートしていく。
オロカルドの気に入らない財務担当を追いやるため、汚職をしていると匂わせるような書類を資料に紛れ込ませたり、王族に反抗的な貴族の勢力を削ぐため、媚薬を盛らせて王城内での酒池肉林を目撃させたり。
彼女は望んでもいないのに、オロカルドに従うほかなかった。
そうしてついに、マヤさんは王城内で働くとある貴族に毒を仕込んでこいと命令を受ける。
手紙に同封されていた小瓶を震える両手で握り締めた。
少量で人を死に至らしめる猛毒。
そんなものが自分の手にある恐怖と戦いながら、マヤさんは何度も何度も己に言い聞かせた。
――あの人のため、あの子のために、私が……私がやらなければ……っ!
けれど彼女には人を殺めることは出来なかった。
何度もチャンスはあったはずなのに、マヤさんはどうしても行動に移せなかった。
その結果……。
子供を預けていた姉の家が火事になり、姉もその家族も、そして自分の子供も……みな焼け死んでしまったのだ。
姉の死も、その家族の死も、そして何より愛する子供の死も、マヤさんにとってどれほど辛かっただろう。
しかしそれ以上に、彼女はこう思いたかった。
何かの事故だったのだと。
調理場が燃えてしまったり、暖炉の炎がカーペットに引火してしまったり。
どうしようもない、仕方のない火事だったのだと、そう思いたかった。
けれど「次に命令が聞けなかったら、今度はお前の旦那がこうなるかもしれないな」というオロカルドからの手紙を見て、マヤさんの心は折れてしまった。
――自分のせいで。
姉も、その家族も、私の大切なあの子も……みんな、みんな死なせてしまったの?
それはどれほど彼女の心を傷付けただろうか。
姉家族を、そして我が子を失ってしまったマヤさんは、夫だけはもう失いたくなかった。
そうして次に出された命令は、セレイ様の専属メイドとなり監視すること。
きっとよくないことが待っている。
頭では分かっていても、マヤさんは悪魔に魂でも売ったようにオロカルドの従順な犬になることを決めた。
ある日、夜にセレイ様の部屋の鍵を開けておけと言われたマヤさんは、言われた通りに鍵を開けておいた。
そのせいでセレイ様は襲われ、純潔を失い泣き暮らすようになる。
それでも彼女はあの憎いオロカルドの婚約者だ。
婚前交渉だろうが、そのまま妃になるのだからいいではないか。
荒んでいたマヤさんはそう思っていた。
しかし、状況はどんどんと悪い方向へと進んでいく。
セレイ様は離宮へと追いやられ、彼女を辱めたオロカルドは見舞いに来ることもない。
暫く経って、婚約者は一度も来ないというのに、何故か他国の王女だという女性と見知らぬ令嬢が差し入れを持ってきたのだ。
渡された品々に対し、二人から「体に良いお茶と食材を用意させたの」「必ずこの組み合わせで食べさせるのですよ」とメモを渡されたマヤさんは、身震いしそうな体を必死で堪えていた。
どうせ妃になるのだろうと思っていたセレイ様が、離宮へ追いやられこんな扱いを受けている。
それなのに、オロカルドはビッチェーナと仲睦まじくしているなんて噂が広まっていた。
あんな無体を受けたというのに、まさか公爵令嬢を切り捨てるつもりなのだろうか。
男としてあれだけの非道をしておいて。
けれど、その非道の手引きをしたのは……。
マヤさんは心の底から悪にはなりきれなかった。
同じ女性として、こんな酷い扱いを受けるだなんて。
その手引きをしてしまったのが自分だなんて。
その心に後悔ばかりが積み上がっていく。
そうして彼女はセレイ様に謝罪をした。
どうか自分を恨んで欲しいと。
けれど返ってきた言葉は、マヤさんを責めるものではなく、寧ろ労る優しく温かな言葉だった。
こんな方を傷付けてしまったなんて。
私はなんて取り返しのつかないことを……!
マヤさんは、何が正しくて何が間違っているのか、自分はどうすればよかったのか……次第に分からなくなっていく。
けれど、ただただセレイ様の体を案じ、せめて無事に子供が生まれるように。
罪でも償うかのように、献身的にセレイ様の世話をし、離宮で過ごしたのだ。
その償いはセレイ様が亡くなった後、ライと共に閉じ込められた地下牢まで続く。
今度はこの小さな赤子を、いつかスケープゴートとして利用が出来るよう育てろと命令される。
ちなみにマヤさんが守りたかった夫がどうなったのか、地下牢に入れられた彼女は知らないままだったようだ。
マヤさんはオロカルドの婚約者である公爵令嬢の体調不良に対し、必要な医者の手配や薬の管理を怠ったとして捕らえられたことになっていた。
マヤさんの夫はそのせいで文官を辞めさせられたという。
地下牢での長い生活で、マヤさんは育てられなかった我が子の代わりのように、ライを慈しんだ。
いつかこの子は殺されてしまうのかもしれない。
けれどもし、もしも救いがあるのなら。
その時にこの子が少しでも不自由しないように。
そして生きてさえいれば夫の元に帰れるかもしれないと、一縷の望みを捨てず、彼女は限られた環境でライを育て続けた。
だが、そんな時間も地下牢にオロカルドが来たことで一変する。
オロカルドとビッチェーナの子供の誕生もあり、何年も忘れられたかのように二人は放置されていた。
しかし、王族で唯一だった黒い髪をライが引き継いでいると聞いていたオロカルドが、ついに地下牢まで確認しに来てしまったのだ。
二人の子供である王子と王女は、どちらもビッチェーナの色である金の髪と小紫の瞳で生まれてきてしまったから。
二人の子に現れてほしかった黒い髪が、公爵家の血を継いでいると丸わかりの子供に受け継がれるとは。
オロカルドは忌々しそうにその体を蹴り上げた。
まだ小さな体がボールのように飛ばされ、マヤさんは守ろうと必死に藻掻いた。
しかしその後待っていたのは、オロカルドの連れてきた男達による凌辱。
セレイ様に『そのまま妃になるのだからいいではないか』などと考えてしまった己の浅慮が返ってきたのだと思いながら、マヤさんは嫌だと泣き叫んだ。
それから自身の体が変わっていくのを日に日に感じ、体調が悪くなっていく。
まさか……と嫌な予感は的中し、自分の中で望んでもいないものが蠢く恐怖に、マヤさんはセレイ様を思った。
彼女はどんな気持ちでこの子を生んだのだろう、と。
そしてマヤさんには耐えられなかった。
愛する夫以外の子を生むなんて、そんなことをするくらいならもう消えてしまいたいと望んだのだ。
丁度食事も減らされるようになり、ただでさえ栄養が必要な体に対し食事を極限まで減らしていった結果、マヤさんは急激に衰えていった。
その時、万が一何かがあった時にと、セレイ様から教わっていた呪いの魔法を密かに使用したのだ。
この愚かな命を代償に、この子を助けてくれるかもしれない人の、セレイ様の弟君であるテルセロ・ソログラシア様の元へ。
私の罪を全て告白します。
どうか、どうかこの子を……。
もう一度会いたかった夫とは、こんな穢れた体で会えるはずもない。
それならせめて命を賭してこの子だけでもと願いを込めて、マヤさんはセレイ様から聞いていた情報も含め公爵様に託し、人生の最後に己の罪を明かして、その命を散らせたのだった。




