21,黒い青年の独白
この気持ちに気付いたのは、孤児院に来てから一年以上経ってからだったか。
掃除中、孤児院のガキ共が「孤児院の子だったら誰が好き?」と話しだし、うち一人が「ディアちゃん」と言ったのが聞こえた。
俺は持っていた箒を無意識に握り締めていたらしい。
ミシミシと悲鳴を上げる箒を手に、俺はその一人に近付いた。
「ディアは誰にも譲らねぇ」
「なっ……!」
「ディアはいつだって俺と一緒に居てくれる。チビ共の面倒を見ながらも、最後には絶対俺のところに来てくれるからな」
「そ、そんなの、来たばかりの頃のライが可哀想だったからじゃないか。ずっとディアちゃんに面倒を見てもらってたくせに。この際ハッキリ言うけど、そろそろディアちゃんを解放してよ」
――それからは取っ組み合いの喧嘩だ。
これまで相手を警戒し、臨戦態勢を取るようなことは何度かあった。
しかし実際に相手を叩いたり殴ったりすることは、ここに来てから一度だって……いや、初めのディアに対して以外はなかった。
傷付けられる痛みは身に染みて経験していたから。
誰かと争うつもりはなかったし、大人達にボコボコにされていた頃を思えば、同世代のガキを相手取るなんて容易すぎる。
それなのに、こんな理由で喧嘩をするなんて。
(ディアは怒る……いや、悲しむかな。ディアは孤児院みんなが好きだし)
俺だけに向かない気持ちを切なく思いながらも、それがディアのいいところだからなぁと溜息を吐く。
そして殴りかかってくるガキを視界に捉えながら、どうしたものかと頭を悩ませる。
大人相手と同様の対応をしてしまえば、確実に相手を倒してしまう。
何度もディアの顔が頭を過り、本気で叩くことも殴ることも出来ず、結局両者とも土にまみれてドロドロのボロボロに。
こういった子供同士での喧嘩なんて初めてだったからか、ディアに酷く心配されたけど理由なんて言えるわけがなかった。
(ディアだけは絶対に誰にも譲らねぇよ。ディアは俺のだ。俺は……ディアが側に居てくれるだけでいい)
これが俺の自覚した瞬間だったのだろう。
最初は好きだなんて可愛い感情ではなく、子供の醜い独占欲と執着心だったんだろうな。
ディアに依存し、ディアさえ居ればいいと思っていた。
歪んだ感情を抱きながら月日を重ね、いつかディアに嫌われるんじゃないかと、それだけを恐れていた。
でもディアは、こんな俺を見捨てることなく隣で笑ってくれていた。
ずっと側で、その姿を見てきたんだ。
正直に言うと、独占欲や執着心は今でも大して変わっていない。
だが、それよりも愛情が勝っていくには十分すぎる時間だった。
それに、ディアのおかげで孤児院の奴らとも親しくなれた。
ディアさえ居ればいいという考えは、未だ心のどこかに残り続けている。
でも、あいつらも居てくれた方がディアが笑ってくれると。
あいつらのおかげで見られるディアの笑顔があると、俺は知っているから。
この孤児院を守りたい。
俺はそう考えられるように成長していった。
だが、その成長と比例して拭えない恐怖が俺を蝕み続けていた。
(俺はディアが好きだ。でも俺は……)
息をしなくなり、瞳から光が失われていく乳母の最期。
また俺のせいで誰かを……ディアを失うのではという恐怖に苛まれた。
この気持ちが膨らめば膨らむほどに。
ディアを失うのが怖い。
ディアを失ってしまったら、俺は――
それなら巻き込まずにすむように、この関係を保っていた方がいいんじゃないだろうか。
俺は膨れ上がっていく気持ちを必死に押し殺していた。
(こんなに近くに居んのになぁ……)
伸ばした手を堪えたのは両手の数じゃ足りない。
それでも自制出来たのは、ディア自身が恋愛には滅法疎そうだったからだ。
特別な男が出来る気配はなく、男から向けられる視線にも鈍感で気付く様子もない。
(孤児院の奴らは、俺が徹底的に心を折ってきたから問題ないとして、だ。ディアは俺目当ての客しか気にしてねぇけど、お前目当てで来てる兵士や客も居るんだぞ。はぁ……)
自分でこの店を勧めたくせに、こうなることが予想出来て頭が痛かった。
だから俺はディアがトゥルガで働くようになってから、出勤日に毎日昼飯を食いに行っていたのだ。
周りの男達を牽制し、アピールする。
接客での笑顔や話し方ではなく、俺に向かって浮かべる殊更明るい笑みと気さくな態度。
いかに俺とディアの仲がいいかを周りに見せつけてやった。
そのおかげで諦めた男も多いようだ。
それでも俺が居ない時間に働いているディアを思い浮かべれば、誰かに言い寄られていないか気が気ではなかった。
(ディアが使用人になりたいって言えば、無理にでも公爵の屋敷に引き込んだってのに。ままならねぇなぁ……)
影でコソコソ調べているようで格好悪いとは思ったが、俺は店での情報を渡して欲しいと女将に頼み込んだ。
俺目当てでディアに難癖付ける女と、ディア目当てで言い寄ろうとする男。
どちらにも対処が出来るように。
「おっかないナイトも居たもんだねぇ」
と女将から笑われたが、そんなものを気にしてはいられなかった。
なりふり構っていられなかったんだ。
だっていうのに。
残酷にも、突然の別れを突き付けられた。
ディアの瞳が黄金に輝いて。
驚くほどに美しいそれに焦がれると同時に、どうしてと、ただ絶望した。
王都に。大神殿に。
あそこにディアが行かされる。
――今となってはあの日、乳母の身に何が起こったのか、何をされたのか想像出来た。
その後乳母が体調を崩し、食事を避け、もう夫の元に戻れないと言った理由も。
あいつらは人の尊厳を踏み躙り、憂さ晴らしの捌け口にしたのだ。
考えたところで腸が煮えくり返るだけだから考えないようにしていた。
……それなのに。
ディアが大神殿に行くのは、もう逃れようがなかった。
ディアが連れていかれてしまう。
あんなおぞましい場所に、俺の大切なディアが。
怖くて苦しくて、頭がおかしくなりそうだった。
でも俺なんかよりもディアの方が心配だった。
この街に居続けたいからと食堂で働くことを選び、辛いことも笑って我慢してしまうこいつが。
心配かけないようにと「私が聖女なんて……凄いなぁ!」なんて無意識で笑って……本当に凄ぇなって、その分胸が痛かった。
(笑うんじゃねぇよ! 泣けばいいだろ……っ!!)
俺が泣けば、何故かディアは余計に笑っていた。
頑張るねの言葉に、俺の心は限界だった。
(もし俺がすぐにでも動き出せる状態だったら――ディアを行かせなくて済んだのか?)
俺が聞きたくないと逃げてきたせいで。
引き留めることも、守ることも出来やしない。
これまで何もしてこなかった自分自身が、心底情けなくて許せなかった。
それから大神殿からの迎えが来るまで、俺はディアの側に居続けた。
ディアは孤児院の奴らやトゥルガの店員達、それから街の人間の話を楽しそうに話して、ふと言葉を詰まらせる。
大切なものから引き離されてしまうのだと理解している、その寂しそうな表情が痛々しくて。
ディアが起きる時から眠りにつくまで、ずっとずっと側に居た。
ディアが眠っている間、俺はそっと部屋を抜け出して洗面所に行く。
ディアが聖女だと判明したあの日から、昔を思い出しては何度も嘔吐いた。
幼く弱かった過去を思い出すと同時に、大人になり全てを知った今ならと強く願う。
乳母のおかげで生き延びた。
公爵のおかげで救われた。
そして――ディアのおかげで生きたいと、何気ない日常の幸せを教えてもらった。
(ディアを取り戻せるなら何だってしてやる。ついでに公爵の期待にも、乳母の願いにも応えられんだろ。国も神殿も敵に回したって構わねぇ。絶対に……ディアだけは)
見送りに行くことも許されなかった俺は、去りゆくディアに何も言えなかった。
伸ばしたいのに、引き留めて抱き締めたいのに。
俺には手を伸ばす資格がなかった。
だからこの後悔を忘れねぇように、ずっと見続けた。
その背中が見えなくなるまで。
ディアが見えなくなってからは、すぐに自室に戻って勉強を始めた。
ただ助けたいからと行き当たりばったりで行動してどうなったのか、忘れてはいない。
だから一分一秒でも早くディアを助けに行けるように、自分の今やるべきことと向き合うようになった。
そうして一年はあっという間に経ち……何故かディアは自力で帰ってきた。
まさか戻ってくるなんて思わねぇだろ?
報告を聞いて、俺は執務を放り出してすぐ馬車に飛び乗った。
でも正直、期待はしていなかった。
絶対に嘘だと、そんなことあるわけがないと。
今この国には聖女が必要不可欠だ。
王侯貴族や大神殿の神官達が、いくらディアをただの平民と言って軽んじたとしても、聖女は聖女だ。
追い出すなんて馬鹿げてる。有り得ない。
なのに、そこに居たのは本物のディアで。
俺はその姿が見えた瞬間、思い切り抱き締めていた。
それから一年で起きたこと、思ったこと。
帰ってくるに至った経緯を全てディアは話してくれた。
全部がディアらしくて、俺は隣でケタケタ笑いながら、無事で本当に良かったと安堵していた。
(本当にイイ女すぎんだろ、こいつ)
一年かけて、俺も公爵も準備を進めていた。
だが、こちらとしてはディアを人質に取られているようなもんだ。
下手を打てば俺のせいでディアの身が危ないかもしれない。
念には念を……と、万全を期して挑むつもりをしていたってのに、当人が自力で脱出してくるなんて拍子抜けにも程がある。
しかも一年の努力を物語るように、ディアが得た聖女の力は凄まじかった。
(おいおい……これじゃ俺の立つ瀬がねぇじゃねぇか。せめて迎えに行けなかった分、これから安心して暮らせるようにくらいしてやらねぇと)
何があってもディアを守る。
その誓いを胸に、俺は俺の準備を進めた。




