第60話 ツケを払う覚悟の上で
キーンコーン、カーンコーン。
四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
気づけばあっという間に昼休みとなっていた。
メイと花はそのうち帰ってくるだろうと楽観視していた哲矢であったが、その読みは見事に外れてしまう。
二人に連絡を入れようにも休み時間はひっきりなしにクラスメイトから声をかけられ、それをする暇もなかったのだ。
彼らからされる質問は野庭や小菅ヶ谷にされたものと似たようなものばかりで、有力な情報を得るまでには至らなかったが、これまでのことを考えるとこの状況はちょっと考えられないものであった。
否が応でもホームルームの成果を実感せざるを得なかった。
(どうしたんだろう……。二人ともまだ保健室にいるのか)
何か新たな問題が生じたのではないかと、哲矢は徐々に不安になってくる。
(一度顔を出してみるか)
ひとまず、哲矢は昼休みの時間を利用して保健室へ行ってみることにする。
賑わう教室で周りに気づかれないようにそっと席を立つと、哲矢は足早に後ろのドアから廊下へと飛び出していた。
しかし、そこから歩くこと数秒……。
「あっ……」
保健室が一体どこにあるのか、まったく分からないことに哲矢は気づく。
教室に引き返して翠にでも場所を訊くべきだろうか。
そんなことを考えるも、二人組の男子生徒の背中が視界に入ると、哲矢は反射的に彼らに声をかけていた。
慣れとは恐ろしいものだ。
クラスメイトたちから声をかけられたという自信が哲矢を大胆にさせていた。
「えっ?」
「えっと……」
後ろから哲矢に声をかけられた二人の男子は困惑気味に声を上げる。
よく見ると、彼らは同じクラスの仲間であった。
(たしか、オタク系の男子……って言ってたよな)
哲矢は彼らに話しかけながら、以前の花の言葉を思い出していた。
二人とも引っ込み思案な性格なのか、お互いに顔を見合わせてもじもじとしている。
けれど、片方の男子は何かをパッと思いついたのか。
ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出すと、そこに表示された画面を無言で哲矢に見せてくる。
「おぉっ……なるほど」
それは宝野学園のホームページだった。
校舎の全体図がそこに表示されている。
それから彼らはひと言も発することなく、ジェスチャーだけで保健室の場所を何度か指さすと、そそくさとその場を離れていくのであった。
「どうもありがとう」
哲矢は二人の背中に手を振る。
声をかけてちゃんとコミュニケーションが取れたのは、なんにしても感謝すべきことであった。
今までのことを考えれば大きな前進である。
「よしっ。行くか」
哲矢は保健室のある職務棟までの道を急ぐのだった。
◇
それから数分もかからずに保健室の前に到着するも、哲矢は肩を落とすことになる。
「しょ、食事中っ……!?」
保健室は固く閉ざされていたのだ。
ドアには養護教諭が書いたと思われるメモ書きが残されていた。
この様子だと保健室の中にメイと花がいるとは考えられない。
ひょっとすると外へ出たのではないか。
突然、そんな考えが哲矢の脳裏に浮かんだ。
(でも、一体どこに……)
ひとまず、この場に留まり続けても意味はないので教室へ戻ろうとしていると、その途中で哲矢は一番遭遇したくない相手と出会ってしまう。
あっ……と、哲矢が気づいた瞬間には遅かった。
前から向かってくるシルエットに気づくも、廊下は一本道で引き返せば逆に目立ってしまう。
仕方なくそのまま進んでいると、相手も哲矢の存在に気づいたようであった。
「……おぉっ? 今日はなにかと縁があるなぁ~関内ぃ」
社家だ。
彼はヘラヘラと笑って哲矢の行く手を塞ぐ。
周りで生徒が行き来しているというのに彼はお構いなしだ。
「平塚先生から聞いたぞぉ、朝のホームルーム終わりにお前、ひと騒動起こしたそうじゃないか」
「…………」
「まったく舐められたもんだな。あれだけ忠告しておいたにも関わらずだ」
そう口にする社家はどこか嬉しそうに舌を出して分厚い唇を舐める。
その仕草に哲矢は酷い生理的嫌悪感を抱いた。
「それによぉ、川崎と高島もずっと席を外してるらしいじゃないか」
なんでもお見通しというわけか、と哲矢は思った。
他の担当教師たちからも彼女らの欠席はスルーされていたので気づいていないものと哲矢は考えていたが、どうやらそうではなかったらしい。
朝に社家の警告を受けたばかりでこの状況は少しマズかった。
脇の下から嫌な汗が流れ落ちるのが分かる。
社家のことだ。
おそらく、今回の一連の件を家庭裁判庁へ報告するはずである。
その場で少年調査官の受け入れ拒否を通達するかもしれない。
けれど、そんな哲矢の不安はどうやら杞憂に終わったようだ。
「……まあいい。運がよかったな。今はお前に構っている暇はねぇーんだよ。気分が変わらないうちに消えろ。次になにか問題を起こすようならその時は容赦しねぇからな」
鋭い視線を飛ばして哲矢を威嚇すると、彼はその場から去っていった。
(……助かった、のか?)
ひとまず最悪の事態は回避されたと考えて間違いない、と哲矢は思った。
社家は主幹教諭を務めているため、忙しいというのも強ち嘘ではないはずだからだ。
その分、学園内の権力もある程度握っていることが想定できる。
(奴の目は本気だった)
次に何か問題を起こせば、その時は容赦なく切られることだろう。
今は慎重に行動することが大事だと言えた。
このまま他の教師らと遭遇するのも面倒だったので、哲矢は急ぎ足で教室棟の下駄箱まで向かう。
◇
下駄箱に到着した哲矢はその場で二人の靴入れの中を覗く。
「……やっぱり」
そこにはあるべきはずの靴はなく、上履きが残されていた。
(どこに行ったんだ?)
彼女らの向かう先に哲矢は見当がつかない。
だが、ふとあることに気づく。
「……ん? ああ、そうだ。スマホで連絡すればいいじゃないか」
朝のホームルーム以来、様々な出来ごとに頭がいっぱいとなっていたばかりにそんな単純なことにも哲矢は思い至らなかった。
スマートフォンに触ることすら忘れていたくらいなのだ。
「……げっ。マジか……」
ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出してホーム画面を開くと、そこには数件の着信とLIKEのメッセージが表示されていた。
それらはすべてメイからのものであった。
『電話を無視するとはいい度胸ね、下僕の分際で。どこまで侮辱すれば気が済むのかしら?』
LIKEのメッセージはそのようにして始まっていた。
入りからして読む気力を失ってしまう。
哲矢は諦めてスクロールを続けた。
『まあ言いたいことは山ほどあるけど、今は時間が無いから手短に伝えるわ。私とハナはこれからマイ以外の被害者三人に会いに行ってくる。彼らは全員自宅で療養中って話だから』
その後には、被害者三人の名前と住所のリンクが丁寧にも添えられていた。
「三崎口、塚原、渋沢……」
最初、美羽子からレクチャーを受けた時に見聞きした名前だ。
住所のリンクを哲矢は一つ一つ開けていく。
当たり前のことではあるが、三人は全員ニュータウン内にある住居で暮らしているようであった。
距離もそこまで離れておらず、全ヶ所周ることはそこまで苦ではないはずである。
ただ……と、哲矢は思う。
「この土砂降りの中行こうとしてるのか……」
今日の午後からの降水確率は100パーセント。
これから一日中、雨が降り続く予報だ。
気のせいか、雨脚は先ほどよりもさらに増しているように感じられた。
空には黒々とした雲が立ち込めている。
その中心から大魔王が降臨して来ても不思議ではないほどの邪悪さがそこにはあった。
「……っていうか、ちょっと待て。なんで授業をサボってそんなところへ行こうとしてるんだ?」
メイのLIKEにはその理由が書かれていない。
被害者の三人から新たな情報を訊き出そうとしているのだろうか。
ただそうだとしても、一度教室へ戻って相談してくれることはできたはずだ、と哲矢は思う。
何か突拍子のなさを感じ、哲矢は漠然とした不安を抱かずにはいられなかった。
「どうする?」
昼休みは残り30分を切っていた。
ずぶ濡れ覚悟で走れば今から二人と合流することもできそうだが、五時間目の授業には間に合わない可能性があった。
ここまでクラスメイトに示しをつけてきた手前もある。
できれば授業をサボるような形は取りたくはなかった。
(それに……)
先ほどの社家の言葉が甦る。
『次になにか問題を起こすようならその時は容赦しねぇからな』
あの社家が冗談であんなことを言うはずがない。
次は本当に少年調査官として学園へ通学することを拒否されるに違いなかった。
メイも来いと言っているわけではない。
ただ状況を報告しているだけで、哲矢にはこの場を彼女に任された責任があった。
けれど――。
「……ったく。しょーがねぇな」
哲矢の手は自然と下駄箱に入れた自分の靴へと伸びていた。
目の前に事件を紐解くことに繋がるかもしれない鍵が転がっているというのに、自分だけ何もせずにはいられなかったのだ。
だが、それは哲矢が事件と真剣に向き合っていることの証拠でもあった。
きっと後回しにしたツケをこの後払う瞬間が必ず訪れることだろう、と哲矢は思う。
それでも……と、哲矢は前を向く。
(何度でも支払ってやるさ)
哲矢はメイのLIKEに『今からそっちに行く』とメッセージを送ると、この土砂降りの雨の中、傘も差さずに校門へと向けて走り出すのであった。




