第196話 哲矢サイド-21
校長は了汰の態度を〝拒絶してはいない〟と捉えたのか、秘書官である山北をまるで不純物でも見るような鋭い目つきで押し退け、後続の集団を強引に室内へと招き入れる。
「あ、あのっ!」
珍しく山北は感情的に声を上げるも、残る委員らの進行を制止することができない。
結果、応接間は大所帯で占められることになり、場の空気をいち早く察した大貴に小突かれる形で、哲矢もソファーから立ち上がる。
すると、途端に居心地の悪さが込み上げてくるのだった。
(……ちっ、ヤバいぞこれ……)
緊張感は校長の動作一つで高まっていく。
後ろめたさを抱えているがゆえに、宝野学園を知り尽くす男の登場は、実はとても厄介な事態であるということに哲矢は今さらながら気がつく。
いつ何を指摘され、委員らによる糾弾が始まらないとも限らない。
恐怖はジリジリと胸を焦がし、哲矢の心臓を萎縮させていく。
なるべく目立たないようにと気配を消してその場をやり過ごそうとする哲矢であったが、そんな猿芝居が通用するはずもなく……。
いよいよこちらの存在に気づいたのか、はたまた今までしらばっくれていたのか。
校長は脂ぎった二重顎を擦り、薄い瞳を三日月型に曲げて、欺瞞の手本とも言えるわざとらしい作り笑いを携えながら大げさに声をかけてくる。
「おおっ~これはこれは橋本君っ! お父様の見学ですかぁ! いや~偉いっ。さすが我が校の誇りですな! グハハハッ」
ボリュームだけ大きい誠実さを如実に欠いた男の言葉が侵略的に室内へと反響する。
ただ、この時哲矢にとって幸いだったのは、校長の目に自分の姿が映っていないことであった。
それを楽観的に捉えて沸き起こる焦りをなんとか誤魔化すと、哲矢は大貴の影に隠れながら校長が薄い会話の押し売りで勝手に盛り上がっていくさまを黙って眺める。
その一方で、大貴は了汰の存在を意識してか、宝野学園で教師らに振る舞っているであろう態度は封印し、ヘラヘラとした口調で挨拶をする。
「ああ、校長先生でしたか! いつも世話になってまーす!」
「はいはいっ~いつもお世話してまぁ~す、ハハハッ」
普段の態度を崩す方がかえって不自然で目立つのではないかと哲矢は懸念を抱くが、肝心の了汰はデスクワークに没頭しているようで、結果的には大貴が不利となることはなかった。
そして、そんな光景を目撃し、哲矢は一昨日シナモンでメイと花に言われた言葉を思い出していた。
(学園は大貴に逆らえない立場にあって、校長は大貴を優遇するように他の教師たちへ言っている……)
後半部分はメイの予測に過ぎなかったが、今こうして実際にその場面に立ち会った上で感じることは、その仮説は限りなく正解に近いということであった。
校長の中には確実に橋本親子には足を向けて寝られない理由が存在するのだ。
(でも、それにしたってこれはおかしくないか……?)
何かしらの事情があり、大貴を立てなければならない理由は分かる。
だが、それだけでは自分がまったく無視される理由にはならない、と哲矢は思う。
仮にも少年調査官として宝野学園に転入しているのだ。
存在は分かっているはずなのに、一度も目も合わさないというのは一体どういうことなのだろうか。
今の自分はある意味で大貴よりも注目される存在にある、という自負が哲矢の中にはあった。
しかも、同じ境遇で転入したメイが昨晩校舎に忍びこんだ疑いで警察に捕まっているのだ。
当然、宝野学園を統べるはずの校長がその情報を知らないはずもないのだが、わざと鎌にかけようとしている雰囲気もなく、そもそも本当にこちらの存在を知っているのかも怪しいくらい彼の視界からは哲矢の姿は忽然と消えていた。
そうした事実を並べて、冷静に事態を読み解こうとすると結論は限られてくる。
(……まさか、校長には俺たちの情報が行っていない?)
にわかに信じ難いことではあったが、そう考えれば校長の態度も納得がいく。
では、誰が彼に代わって情報を管理しているのだろうか。
(そんなの決まってる)
真っ先に思い浮かぶ顔は、あの利己的で独善に満ちた男の苦笑いであった。
(清川……)
あり得る話だ、と哲矢は思う。
宝野学園を裏で仕切るのは清川の役目であり、校長はただの置物に過ぎない。
そんな漠然とした考えがなぜか説得力を持っているようで、不思議と現実味を帯びていくのだった。
◇
その後もしばらくは校長による大貴のお先棒担ぎは続いた。
他の委員らに同意を求めるように校長が大げさに手を叩くと、その渇いた拍手の輪が不気味に波紋していくさまに哲矢は思わずゾッとしてしまう。
彼らの年齢層はバラバラに見えたが、どの者もここが輝かしいキャリアの終着であることが窺え、身なりは等しく小奇麗に整っていた。
しかし、そこに並ぶ顔は不思議なほど無個性であった。
委員会の長を立てるという形で人となりや背景も読まずにただ大貴を称えているのだとすれば、それはとても恐ろしいことだ、と哲矢は思う。
宝野学園随一の問題児である大貴の非行を完全に無視し、まるで模範生徒のように祭り上げるその不可解な行動は、まだ大人になり切れない哲矢にとって認めたくない事実であった。
なんだよこれ……という怒りにも似た感情が沸き起こってくる。
だが、世の中がそうした大人たちの真っ黒な利益追求によって成立していることも、哲矢は薄々気づいていた。
それを真っ向から反論できるほどの勇気もなく、やはり一緒に戦う仲間がいなければどうすることもできない自身の弱さを痛感するのだったが、隣りに並ぶ大貴の表情がいつにも増して深刻そうに歪んでいくさまに哲矢は一縷の望みを抱く。
今日ここまで行動を共にしてきて、これを何とも思わないほど彼は無神経でない、ということに哲矢は気づいていた。
(――いや、なに大貴の肩を持とうとしてるんだ、俺は……)
何か根本からこれまでの考えを覆されるような真実に辿り着きそうになる哲矢であったが、あえてその感情は省みず、これから立ち向かう者たちの巨大さを認識することに集中する。
その頂きに立つ了汰はこの現状をどこまで把握しているのだろうか。
息子に対して執拗に繰り返されるお先棒担ぎをただのお世辞として捉えているのだとすれば、今後も大貴たち仲間による悪事は終わらないことだろう、と哲矢は思う。
黙々と書類の整理を続ける了汰の表情は読めない。
いや、むしろ哲矢には、彼は故意に周りの雑音を遮断し、現実から目を背けているように見えた。
それほど了汰を取り巻く周辺環境はノイズが酷く、どれが真実であるか見抜くのが困難になりつつあった。




