第190話 哲矢サイド-15
哲矢が再び大会議室へ目を向ける頃には、了汰も秘書官も姿を消してしまっていた。
つい色々と考え過ぎてしまったようだ。
(大貴の後を追おう)
そう心に決めると、次の行動は早かった。
哲矢は無人となった傍聴室の扉を抜けると、階段手前のデッキ越しから1階カウンター近くで対峙する大貴と秘書官の姿を確認する。
思わず漏れそうになる声を抑えて、なぜか中腰で隠れるようにして二人のやり取りに哲矢は耳を澄ませる。
〝もう帰れ〟と言われた以上、能天気に顔を出す気にはなれなかったのだ。
「――それで、この後チャリティ音楽祭主催の代表者による表敬訪問がございますので、市長には先に庁舎市長室へ戻っていただいております」
論理的に筋道を立てて話す彼女の言葉に哲矢は敏感に反応を示してしまう。
(やっぱ苦手だ……)
あの時、彼女から感じた獲物を狙う狩人のような執念さをやはり哲矢は忘れることができなかった。
目の前にしてしまうと、どう受け答えをするべきか、途端に分からなくなってしまうのだ。
そういう苦手な種類の人間は確かに存在する。
そして、また思うのは、そうした者だからこそトップの支え役が務まるのだということであった。
「…………」
一方の大貴は何か考えごとをしているのか。
彼女との別れ際に見せたキザな一面が嘘のように鳴りを潜めていた。
秘書官の女もそんな彼の様子が少し気になるのだろう。
チラチラと大貴の顔を窺いながら話を進めているのが印象的だった。
「13時からは16階の小ホールへと移動され、衛生組合の定例会に参加されるご予定となっております。それが終わりますと……」
それからもしばらくの間、彼女は淡々と了汰のスケジュールを細かく読み上げていった。
どれも分刻みで進行しているらしく、休む暇なく了汰が働いていることが窺える。
すると、そのタイミングで今まで沈黙を守ってきた大貴がようやく考えをまとめたように、久しぶりに感情の篭った声を外へ吐き出す。
「……なぁ。そんなものを一から読み上げてどうするんだ? 親父に同情でもすればいいのか?」
「い、いえ……。私はただ橋本市長の……」
まさか、唐突に突っかかってくるとは予想していなかったのだろう。
彼女は明らかに動揺した様子で、先ほどまでの落ち着きはどこかへと消え去っていた。
哲矢も二人の関係は友好的に幕切れたとばかり思っていたので大貴の反応には正直驚かされた。
大きなため息をつくと、大貴はさらに追い討ちをかけてくる。
「もういい。この後、俺がどうなるかだけ簡潔に伝えろよ。回りくどい説明はもう沢山だ」
親の都合に振り回される息子の歯痒さを体現したその言動は、周囲の同情を引くのに十分であるように思えた。
しかし、哲矢は、ふて腐れたようにケンカ腰の姿勢をすんなりと鞘へ収める彼の態度に密かに疑問を抱く。
なぜか、言葉の切れ端に虚偽の内容が含まれているような気がするのだ。
「……一緒に連れてくるようにそれだけ命じられておりますので。ですから、大貴様のお気持ちも分かりますが……」
逆に秘書官の彼女は、気持ちを切り替えることに注力しているようで、大貴の不自然さにはまるで気づいていない様子であった。
そして、狼狽など初めからなかったように、次の瞬間には立ち直りの証しとして雅量ある言葉を悠然と吐き出す。
「私について来てください。そうすれば分かります」
結局、結末は決められていた。
大貴は了汰の指示に逆らうことができないのだ。
決定したシナリオに沿う形で秘書官の先導を旗に大人しく議事堂から出て行く大貴の姿は、ひどくちっぽけに哲矢の目には映った。
学園ではある種のカリスマとして一目置かれている男がこの場所では自分の意思を通すことさえ許されていないのだ。
(なあ大貴、これ以上こんな姿は俺には見られたくないよな……)
胸を突くのは今まで知らない感情だった。
そんなことを哲矢が考えていると――。
「どーしたんだい!」
聞き覚えのある声と共に哲矢は背中を強く叩かれる。
「わっ!?」
前のめりのまま反射的に後ろを向くと、そこには熟年の女性事務員の姿があった。
彼女は表情を崩すと、まるで他人をからかうのが趣味ですと名刺を差し出すように、イジワルそうな笑みを浮かべる。
「ぼけーっとしちまって。もっとシャキッとしなっ」
「お、驚かさないでくださいよ……」
「ヒヒッ」
相変わらずの酒焼け声と人懐っこそうな笑顔を武器にその距離は徐々に詰められてしまう。
しかし、なぜかその馴れ馴れしさに哲矢は安心感を覚えた。
「なにやってるんですか」
哲矢が呆れ気味にそう言葉を漏らすと、彼女は少しだけ恥ずかしそうに灰色のスーツの襟を正し、言い訳をするように小声で返答する。
「まぁアタシもあんたと同じだよ。つい、二人の会話が聞こえちまってね。急いで階段を駆け上ったってわけさ」
「はぁ……」
「苦手なんだよ、あの女」
どこまで本当のことを話しているのか分からない掴みどころのなさが彼女にはあったが、これは本音のような気がして哲矢は思わず共感してしまうのだった。




