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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
188/421

第188話 哲矢サイド-13 / 本会議 その2

 いい加減煮え切らなくなり、哲矢は禁じ手と十分に理解しながらもつい声を上げてしまう。

 一度に刺激的な情報を摂取し過ぎたせいか、哲矢は再び冷静さを失っていた。


「なぁ……」


 大貴の顔を覗き、そう口を開く哲矢であったが、続く言葉は深い闇の淵へと飲み込まれてしまう。


(――っッ!?)


 なぜか、哲矢はその横顔から得体の知れない恐怖を感じ取った。


 背後に蠢く影がある。

 まるで、分裂を繰り返す生殖細胞のようにひっそりと寄生しているのだ。

 それが先ほどまでの大貴と決定的な違いを生んでいた。

 

 だから、異様な熱源にも哲矢はすぐに気がつく。


 べっとりと絡みついて離れない灼熱の眼光。

 一方的に尽きることのない敵意を剥き出しにしている。


 まるで、敵討ちの相手を見つけ、千載一遇のチャンスを取り零さぬよう隠れる剣客のように、凄まじい形相で大貴はある人物だけを目で追っていた。


 その態度を見て、哲矢は内なる仮定を確信へと塗り替える。


(……そうか。やっぱり……)


 顔に見覚えがあった。

 それは、街の至るところに貼られた市政の宣伝ポスター。


 〝橋本了汰″


 それがポスターの男の名前だ。


(大貴の父親……桜ヶ丘市の市長……)


 男が拳を前に突き出して街のシンボルである市庁舎を守っているという構図のポスターは、哲矢の印象に強く残っていた。

 もちろん、大貴の父親がこの街の市長をしているという話を耳にしたからという理由もある。


 しかし、何よりも哲矢の心に引っかかったのは、ポスターに写る了汰の鋭い目つきであった。

 どことなくそれは、大貴のものとよく似ている気がしたのだ。


 了汰は息子から浴びせられる異常な視線にまるで気づく様子もなく、執行部席の端にゆったりと腰をかけて、公園整備に係る予算提案をする議員の話に耳を傾けていた。


 遠目からではあったが、実際の了汰はポスターよりも若々しく見えた。

 年齢は40代後半から50代前半といったところだろうか。

 同年代の親を持つ哲矢にとってはちょうど想像がつき易かった。

 

 了汰のキャリアはちょうど大成の時期に差しかかっていることが窺える。

 それは、自信に満ち溢れた彼の態度を見えれば一目瞭然だ。


 特にそのオーラは圧倒的で、他の議員とは明らかに一線を画す存在感があった。

 座っているだけなのに相当に目立つのだ。


 耳をすっきりと出した銀色の短髪。

 額に深く刻まれた重厚な皺。

 厚ぼったい上唇と、スーツの上からでも分かるくらいに鍛え抜かれた筋肉質の上半身。


 どこか大貴を彷彿とさせる瞬間もあった。

 滲み出る人間の質がよく似ているのかもしれない、と哲矢は思う。


 隣りに座る大貴を横目に覗きながら、やっぱり二人は親子なんだと再認識する哲矢であった。




 ◇




 その後も本会議はマイペースな議長の進行のもとに消化されていく。

 この頃になってようやく哲矢も場の空気を理解し始め、大会議室の隅々まで覗ける傍聴室の利点に気がつく。


 相変わらず不真面目そうに耳を傾ける議員が多かったが、慣れたこともあってか、哲矢は別の箇所にも目が向くようになる。


(……まただ)


 その法則は演壇上にあった。

 そこに立つ者は決まってある方を意識し始める。


 先ほどまでは気づかなかったが、澤本と呼ばれた恰幅のいい議員にしてもそれは同じであっただろう、と哲矢は思う。


 彼らが遠慮がちに覗き見るのは、執行部席の椅子に凭れる了汰の姿。

 議長でさえも彼の顔色を窺いながら会議の進捗を図っている節があった。


 厳格な立ち振る舞いを崩さない了汰の態度が周囲のプレッシャーを築く要因となっているのだ。


 しかし、これはこれでアリかもな、と哲矢は妙に納得してしまう。

 自分を中心にして市議会を回すことはトップに君臨する者の務めである、と考えられるからだ。

 それがどのような手段だとしても。


 少なくとも発言する際は真摯に取り組む必要がある。

 どこまで了汰の思惑と合致しているかは分からなかったが、演壇に立つ議員らの姿を見ればそれは成功していると言えた。

 

 だが、肝心の問題は何も解決していない。

 まるで、街が作り出した誇大妄想を了汰が間借りして、見かけ倒しの罠に議員らが勝手に怯えているように哲矢の目には映っていた。


 また、彼の親としてのあり方についても哲矢には疑問があった。

 学園を休ませて自らの仕事ぶりを見学させることが果たして正しい行為なのだろうか。

 例えそれが愛情表現の一種だとしても、哲矢の瞳には酷く歪んで見えた。


(こんなのは親のエゴじゃないか)


 大貴のすべてを肯定できるわけではなかったが、生まれた環境のせいで束縛された人生を送ることはやはり辛いに違いなかった。

 今彼は何を思って父の姿を見ているのだろうか、と哲矢は思う。


 まるで、話し方を忘れてしまったかのようにひたすら視線を送り続ける大貴からは感情を読み取ることができなかった。

 

『――はい。えー起立多数であります。よって、議案第132号、155号、および173号はいずれも可決となります。はい。えー、本日の日程は以上で終了……ですかね。お疲れさまでした。これをもって臨時会は散会となります。えー次回は……ああ、6月の定例会ですか。はいはい。皆様、よろしくお願いいたします。以上……』


 やがて、本会議は議長の締めの言葉により終結となった。

 最終的には議員らの起立による採決など教科書さながらの風景も目の当たりにできて、入室から一時間にも満たない時間ではあったが哲矢にとって充実した経験となった。


 それまで均衡を保つように静寂が守られていた大会議室は、堰を切るようにして一気に雑音で溢れ返る。

 

 傍聴室にしてもそれは同じで、今まで固唾を呑み会議の行方を見守っていた市民らは、それぞれに感じたことや市政に対する持論を近隣の者たちと話し始める。

 同じように彼らも何かじれったさを感じている様子ではあったが、それをどう解決に結びつければいいのか、長年暮らしてきた土地に対する愛着が柵となってか、柔軟に考えをまとめられる者はいないようであった。


 頭では分かっているのに現実を覗くフィルターが邪魔をする。

 高齢の者たちで占められたその団体は、結局市長である了汰が良い方向へ導いてくれるだろうと、なぜか楽観した落としどころで納得し、彼の息子が一緒に傍聴していることに最後まで気づくことなく退室していくのだった。


 そんな光景は、哲矢に諦めの場末感を連想させた。

 何かが足りない、何かがおかしい。


 だが、その正体までは掴めない。

 そうして模索しているうちに自然と渦中へ足を引き摺り込まれてしまう。


(気づいた時には考える力を奪われてる……って感じだな)


 不思議な感覚だったが、今の哲矢の考えにはとても他人ごととは思えないリアルさが含まれていた。

 

「……あの人たちはあれでまだマシな方さ」


 着席以来、口を開くことのなかった大貴から久しぶりに声が漏れる。

 彼の視線は変わらず執行部席へと注がれていたが、すでにそこに了汰の姿はなく、以前のような鬼気迫る雰囲気は失われ、意識はこちら側へと戻っている様子であった。


 大貴は少しだけ自傷気味に笑うと続きを話し始める。


「この場に足を運ぶだけいい方って意味だ。少なくとも思考停止してない。他の連中は考えることすら放棄してやがる」


「議会がなんとかしてくれるって本気で信じ込んでいるのさ。だが……問題なのはそんなことじゃねぇ。いわばヤツらも犠牲の一つに過ぎない。本当の命題は、こうした土壌を生み、市民の考える力を奪った当事者の……」


 そこまで熱の篭った弁をふるう大貴であったが、話の途中でテンションの上昇と共に振り上げた人差し指は宙に浮いたまま止まってしまう。

 

 審判を下すその先には、まだ退席もせずに談笑に花を咲かせる議員数名のグループがあった。


 年齢層もバラバラの彼らは、先ほどまでの不健康そうな表情はどこ吹く風。

 皆一様に姑息な現金さを従え、下品に口元を歪ませている。


 もし仮に、市政に対して強硬姿勢の者がこの場面だけを見たとすれば、血税の上に胡坐をかくとは何ごとかと憤慨するに違いなかった。

 だが、哲矢はそれが議員らの本質だとは信じたくなかった。


(あぁ、そうなんだ……)


 その瞬間、哲矢は改めてこの街を故郷のように感じている自分がいることに気がつく。


(こんな光景を見たくらいで諦めたくない)


 そう――。

 哲矢にはまだ考える力が残されていた。

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