第185話 哲矢サイド-10
エレベーターホールまで移動した二人は降下ボタンを押してかご室の再来を待つ。
しばらくすると、静寂を切り裂くように甲高い音がフロア全体に響き、そのうちの1台の扉が開く。
哲矢たちは、他者に乗り入れる隙を与えることなく1階まで降下した。
エントランスに降り立つと、大貴は悠然とした歩調を保って職員通用路を戻り始める。
外周に沿って続く道を歩き、守衛室の警備員に再度挨拶を交わしてカードホルダーを返却すると、二人はようやく元の場所まで戻ってくる。
正面玄関は、先ほどよりも多くの来庁者で活気を帯びていた。
そんな人々を横目に見つつ、久しぶりに大貴が口を開く。
「これから本会議に顔を出す」
いよいよ市長に会うのか……、という思いが込み上げると同時に、哲矢は今まで抱いていた不安を大貴へ打ち明けることにする。
「なあ。そもそもそんな場所に俺なんかが行っても大丈夫なのか?」
哲矢としては最低限の目的は果たせていたので、返答次第では宝野学園へ戻ることも視野に入れていた。
しかし、大貴は哲矢の心配を笑い飛ばすようにこう答える。
「べつに構わないさ。ただの猿芝居を見るのに気を遣う必要はない」
吐き捨てた言葉尻からは有無を言わさぬ気迫が感じられた。
哲矢は間に何か口を挟むことなく彼の言葉に耳を傾ける。
そこに重要なメッセージが隠されているような気がしたのだ。
「どいつもこいつも一緒のマヌケだ。真剣に街の将来について考えているヤツなんて一人もいない」
そう自傷気味に毒づき、薄笑いを浮かべる大貴の瞳は、とても悲しい色をしているように哲矢には見えた。
(背負う者の重み、か)
突然、そんな言葉が哲矢の脳裏に浮かぶ。
今まで〝社会″というものをはっきりとこの目で見る機会のなかった自分とは違い、大貴は家柄ゆえに幼い頃からきっと大人たちの汚い部分を目の当たりにしてきたに違いない、と哲矢は思う。
時に大貴の言動には、同い年とは思えないほどの説得力が込められていることがあった。
人としての根本的な違いを見せつけられたようで、哲矢は自身の無力さを痛感する。
「そっか」
そう答えるのが哲矢には精一杯であった。
ただ、大貴から突き放つような言葉が飛んでこなかったのは正直嬉しかった。
哲矢は、大貴が見せたいというものの正体に心を惹かれていることに気がつく。
(分かったよ。ここまで来たからには見届けてやる)
大貴の固い意思と向き合う覚悟を決めつつ、哲矢は正面玄関へと歩みを進める彼の後を追う。
だが、しかし――。
今回も大貴は哲矢の意図しない行動を取ることになる。
伸びた足は、なぜかあさっての方向へと向くのだった。
今度こそ、正面玄関から市庁舎の中へ入るものだと思っていた哲矢は、大貴の予期せぬ舵取りに自分でも気づかないうちに声を上げてしまう。
「待てって、どこ行くんだよ」
手はしっかりと大貴の肩を掴んでいた。
「……チッ、またか」
突然、歩みを止められたことが気に入らなかったのだろう。
不機嫌な声を乗せ、大貴が勢いよく振り返ってくる。
「本会議ってやつに顔出すんだろ?」
正面玄関を指さしながら、哲矢はあくまでも毅然とした態度でそう口にした。
だが、緊張する哲矢とは裏腹に大貴は気の抜けた笑い声を上げる。
「クハハッ! やっぱお前を連れてきて正解だったぜ」
半笑いになりながら、大貴は鋭い目つきで哲矢を見据える。
「常識が欠落してるからなぁー」
「な、なんだよ……」
「そこは一般の連中に開放された入口だ。本会議は一つ先の庁舎――あそこで行われてるんだよ」
大貴は市庁舎の奥に隠れた小さな建物を指しながらそう答える。
「まあ、分かりやすく言うなら移動教室と一緒だな。議員も場所を移して会議を行うことがあるのさ」
「移動教室……」
無意識のうちにそんな単語を口から零すと、哲矢の中で急に現実感が戻ってくる。
「分かったら、ボケっとしてないで行くぞ」
「お、おいっ……」
哲矢は正面玄関を指さしながら、大貴の背中を目で追った。
確かに守衛室でカードホルダーを返したのはおかしいと思ったのだ。
またしても、大貴に一枚取られた結果となってしまった。
(んなの、普通は知らねーって……)
そう哲矢は心の中で独りごちる。
自身の早合点をひとまず認めつつも大貴へ屈する気にもなれず、矛盾したプライドを抱えたまま哲矢は再度大貴の後を追った。
◇
その建物は、市庁舎と目と鼻の先にあった。
それを大貴は【議事堂】と呼んだ。
議事堂と言えば、哲矢にとってはあの国会議事堂が思い浮かぶ。
だが、この建物も本家に負けないくらい歴史の証人だけが醸し出す厳粛なオーラに包まれていた。
石造りの骨太な外観。
それは市庁舎の隅でまるで目立つことを放棄したようにひっそりと佇んでいる。
もしかしたら、桜ヶ丘市の誕生以前から何らかの公的な役割りを果たしてきたのかもしれない。
陽の光に反射して輝く市庁舎とはまるで対照的だ。
街のシンボルである市庁舎にばかり目が行きがちだが、ひょっとすると議事堂こそが桜ヶ丘市の心臓を司る存在なのかもしれない、と哲矢は思った。
シンプルに言えば、哲矢は議事堂の寡黙さが気に入った。
大貴は玄関口まで伸びる申し訳程度の石段の途中にいた。
一歩一歩足を踏みしめて登るそのさまは、議事堂の重厚な軌跡をしっかりと噛み締めているように見えた。
哲矢も大貴に倣って石段を登り始める。
ひと足先に玄関口へと着いた彼は、例によって躊躇することなく開けっ放しの扉を潜り、堂内へと入っていく。
まるで、絵の具に塗り潰されるように大貴は闇の中へと消えてしまった。
続いて哲矢も玄関口まで登り切る。
軽く息を整えて建物を見上げてみると、想像していたよりその規模はこじんまりとして見えた。
石造りの2階建て。
西洋風の歴史的建造物を思わせる佇まい。
横幅15メートル、高さ10メートルといったところだろうか。
外壁に頬を寄せてみると、石材のザラつきとひんやりとした感触が哲矢の神経を刺激する。
扉に耳を当てれば、建造当時の喧騒が聞こえてきそうであった。




