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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
184/421

第184話 哲矢サイド-9 / 大貴と秘書官 その2

 話の矛先は完全に移行してしまった。

 回答を用意する前に問われたことで、哲矢の戸惑いはピークへと達する。


「い、いや……その……」


 口を突いて出るのはしどろもどろな言葉。

 挨拶のタイミングを逃したことがこんな形で自らの首を絞めるとは哲矢は考えもしていなかった。


 互いの距離は、歯止めが効かずに拡大の一途を辿っていく。

 前に立つ大貴の表情は背中で隠れて読むことができない。


 今しがたまでの態度が嘘のように、彼はひと言も発せずに黙り込んでしまっていた。

 〝罠″という今日幾度も頭を霞めた思いを哲矢は必死で押し戻す。


 この状況を打開できるのは、自分しかいないことを哲矢は改めて認識する。

 しかし、上手く言葉を口にしようともがけばもがくほど声は絡まって、無実の上に泥を塗りたくるようなものであった。


 負の連鎖は止まらない。

 こんな環境に身を投じていると、自分は異分子なのではないかという錯覚が芽生え、徐々に哲矢の精神を蝕んでいく。


「警備に連絡を……」


 遠のいていく意識の淵で哲矢はそんな言葉をはっきりと耳にする。


(ま、待ってくれ……!)


 べっとりと湿る背中の汗が哲矢の動きを封じていた。

 声も体も外界から一切遮断されたようにまったく機能しない。

 

 駆け足で市長室の中へ戻ろうとする秘書官の後ろ姿を見つめながら哲矢は思う。

 話を逸らすためだけにここまで大げさに事を荒げたのだとすれば彼女は相当な曲者だ、と。


 初対面の相手をそんな風に疑いたくはなかったが、そうした姑息さを持ち合わせていなければ市長の秘書官は務まらないのかもしれない、と哲矢は想像する。


(だけど……)


 哲矢はそんな大人のずる賢さを目の当たりにしてもなお僅かな可能性を信じていた。

 そして――。

 それは、お約束の結のように哲矢の傍へと降り立つ。


 朝に陽が昇り、夜に星が輝くように。

 計算されたシナリオはある一点へと収束していくのだった。

  

 後手後手を演じ続けてきた哲矢にようやく光が差し込む。

 それは、大空へと飛び立つオオワシの翼のように、哲矢の目の前に悠然と差し出された。


 宙を切るのは大貴の腕。

 彼は、いつもの癖でそうするように両手を頭の後ろで組むと、わざとらしく大きな声を上げる。


「ああーそういや、紹介がまだだったな」


 そのまま後ろを振り向くと、さも当然のように哲矢の肩に腕を回した。


「こいつは俺のダチ。親父の仕事を見学したいって言うからさ。せっかくの機会だし、連れてきてやったんだ」


 「なっ?」と、大貴に背中を叩かれ、哲矢はデジャヴを抱く。

 今朝、彼と会った時とまったく同じシュチエーションであった。


(ちぇっ……)


 親しげな笑顔を乗せて楽しそうに口を開ける大貴を横目に、哲矢は再度騙された気分を味わう。

 初めから大貴はこうするつもりでいるのだ。


 二転三転する彼の言動に真意が読み取れず、どうしようもない不安を哲矢は抱く。


「……見学ですか?」


 扉を開けた市長室の入口では、固まったままの秘書官の姿があった。

 疑い深そうな眼差しを投げかけてくる。


 けれど、今度のそれには人を縛りつけるような強固さはなく、哲矢は思わず拍子抜けしてしまう。


「(おいっ!)」


「……え?」


「(笑え)」


「あ……」


 大貴に小突かれたところで哲矢は助け舟に乗ることにする。

 必死に作り笑いを浮かべ、陽気に音頭を取ってみせた。


「そ、そうなんッスよー。ぜひ、市長の働く姿が見たくて……ははっ……」


 滑稽な声が響く中でも、秘書官の女はそれ以上、市長室の中へ足を踏み入れようとはしなかった。


 その後、歩みを見せた彼女に「学園はどうされたんですか?」「担任の先生はこのことをご存知なのですか?」などとテイのいい質問を並べられるが、その度に大貴が口でまかせを披露して追隋を許さない。


「そうですか」


 彼女がそうひと言漏らしたところで、茶番の応酬はピリオドを迎える。

 哲矢も秘書官の女が本気で自分の身を案じてくれているわけではないことを知っていた。

 要は途中のくだりをうやむやにできればそれでよかったのだろう、と哲矢は思う。


 そして、その目的は達成されていた。

 切り替えはスピーディーかつスマートで、秘書官に対する哲矢の警戒は解けるどころか逆に高まってしまう。


 しかし、そんな彼女にも意外な一面があることを哲矢はこの後知ることになる。


 疑いは晴れた、と思ったのだろう。

 大貴は彼女に父親のところへこれから向かう旨を伝える。


「はい。分かりました」


 こうして出発の宣言は受理され、このままこの場を離れるのかと思いきや、大貴は哲矢の想像を遥かに越えた行動に出る。


 哲矢の肩に回していた腕を解くと、大貴はゆっくりと秘書官の女の元へ歩みを進める。

 一瞬何をしようとしているのかが分からず、戦況を見守る哲矢であったが、途中から〝まさか……〟という思いが膨れ上がっていく。


 そして、それは二人の距離が狭まった瞬間、確信へと変わった。


「~~~~ッ!?」


 何を思ったか。

 大貴は秘書官の女に顔を寄せると、まるで慣れ親しんだ生活の一部のように強引に唇へとキスをする。


(えぇぇッ!!)


 あまりに唐突な出来ごとに顔を赤くして俯く彼女同様、哲矢もショックを隠し切れない。

 

 その後、哲矢のところへ戻る大貴の表情は自然体そのもので、何かを気にする素振りすらなかった。

 ただ、哲矢の粘着的な視線は気になったのだろう。

 「なんだ?」と彼は首を回しながら、面倒臭さそうに確認してくる。


「い、いや……」


 そう口にするのが哲矢の精一杯だった。


 そもそも、今まで学園で大貴の日常と深く関わってきたわけではない。

 たとえ、彼が女たらしだとしても哲矢が驚く理由はないのだ。

 周りに女子が多いことも今思えば合点がいった。


 モテる者の余裕を目の当たりにしたようで、健全な男子としては内心羨ましく思う哲矢であったが、すぐに馬鹿馬鹿しくなる。


(まあ、触らぬ神に祟りなし……だな)


 哲矢は今見たものを一旦すべて忘れることにする。 

 だが、大貴の人心掌握術には見習う点が多いのも事実であった。


 形はどうあれ、原理を理解していなければ、先ほどのようなフォローは難しい。


(簡単にやってるように見えるのが、シャクだけど……)


 今回の一連に関しては、最終的に秘書官の女よりも大貴の方が一枚上手であった。

 身なりを慌しく気にしている彼女の姿を見れば一目瞭然だ。


 一方で大貴は自らの罪作りな行動を知ってか知らずか、彼女の様子を横目に流しながら哲矢に小声で次のプランを打ち明けてくる。


「悪いがもう一度市役所の外まで出てもらう」


 エレベーターホールの方角を指しながら彼はそう口にした。

 哲矢は黙って頷き、それに同意を示す。

 

「大貴様、良き見学となりますように」


 彼女は今しがたの不意打ちがまるでなかったかのように、落ち着きのある立ち振る舞いへと戻っていた。

 そして、哲矢たちの門出を祝福するように美しく傾けた斜め45度のお辞儀を披露する。


「ご友人の方も学びの多い見学としてください」


 彼女の挽回に賭ける必死さが伝わり、逆にそれが哲矢には愛らしく感じられた。

 ようやく、秘書官のキャラクターが胸にスッと溶け込み、哲矢は彼女に対するこれまでの印象を改めることとなった。


「あっ、あと18時からのパーティーはよろしくお願いしますねー」


 去り際、そんな大声を背に大貴は片腕を上げ、中指を立てながら歩き始める。


(諦めてなかったのかよ……)


 ふと振り返れば、そこには我が子を見守る母のような優しい眼差しを向ける秘書官の姿があった。

 

(まあ……)


 哲矢は一瞬だけ手を挙げてそれに応える仕草を見せると、気恥ずかしさからすぐに大貴の背中を追う。

 フロアに張り巡らされたテラゾーの床は、今起きた出来ごとを隠すように靴音をその場に大きく反響させるのだった。

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