第176話 メイサイド-10 / メイと将人 その1
ドアの向こうには申し訳なさそうに頭を垂れる女性教官の姿があった。
「ごめんなさい。かなり長い時間、待たせちゃって……」
彼女は言い訳することは一切せず、将人の心理テストに思いのほか時間を取られてしまったことを簡潔に告白した。
他意がないのは口ぶりから明らかだった。
審判の日が迫っているせいかもしれない。
細密にテストを行ったのだろう。
メイは、その日がいつなのか詳しく聞かされていなかったが、将人が収容されている期間から推測すれば、そう遠くない未来に行われることが予測できた。
早ければ今週末、遅くとも来週頭には間違いなく審判は実施されるだろう、とメイは思う。
時間が限られているのは、鑑別局にとっても同じこと。
女性教官のナイーブな表情から察するに、まだ将人の本心に近づけていないことが窺えた。
プロでも悪戦苦闘しているのだ。
(想像以上の難敵ね)
将人の心を紐解くことは、やはり並大抵のことではないのだろう。
メイは再び、覚悟の炎を胸に滾らせるのだった。
「面会の準備は整ってるわ。部屋を移りましょう」
メイのどこか影を帯びた雰囲気を気遣ったのか。
女性教官は努めて明るく振舞おうとしている様子だ。
メイは、彼女の配慮を邪険に扱うことなく素直に頷くと、指示に従ってそのまま待合室を後にした。
◇
面会室は待合室を出て目と鼻の先にあった。
おそらく、面会に訪れた者を素早く案内するために近場に設けられているのだろう、とメイは思う。
だが、逆にそれが心の準備をする余裕もなくメイのプレッシャーとなる。
(いよいよだ……)
彼女の後に続き面会室の前に立つと一気に緊張が走った。
こればかりはどうすることもできない。
「失礼します」
正確無比なノックを二度叩くと、女性教官は麗しの挨拶を投げ入れてからノブを回す。
彼女の後ろ姿を頼りに、メイは室内へと静かに足を踏み入れた。
(……あっ……)
その中央に以前と変わらぬいで立ちでパイプ椅子に腰をかける少年がいた。
輝く銀色の髪、透明な色白の肌、中性的な顔立ち。
間違いなく将人だ、とメイは思う。
「…………」
前回同様、彼の周りは鈍よりの雲が纏わりついたように重苦しいオーラで支配されていた。
再三に渡るテストで疲労しているのかもしれない。
落ち着きなく、手で髪をくしゃくしゃと何度も弄くっている。
そんな彼の隣りには、始終目を光らせている職務服に身を包んだ男の姿があった。
もしかすると、彼が先ほど女性教官が言っていた法務技官なのかもしれない。
女性教官の影に隠れ、そんな風に視線を彷徨わせていると、突如、将人の瞳に吸い寄せられていくのがメイには分かった。
(……っ!)
アシンメトリーの髪の間から覗く節目がちな視線。
気づけば、メイはメガネのレンズ越しに将人と目を合わせていた。
その引力は強大で、少しでも気を許せば取り込まれてしまいそうなほどであった。
彼の瞳は、どこか得体の知れない闇を抱えているようにメイには感じられた。
しかし、それも一瞬のこと――。
将人は顔を瞬時に逸らすと、今度は不安そうに視線を宙へと浮かせる。
どうすればいいかと困惑している様子だ。
そこには今しがたまでの彼の面影はない。
そして、そんな彼の表情を見てメイはとっさに理解する。
うろたえるその様子は、人見知りの人間が初対面の者に向けるそれと同じであった。
前回あれだけ不躾に責めたにもかかわらず、将人はメイに気づいていないのだ。
(……マサト。実は私、この前あなたに酷いこと言ったのよ)
ただ、これだけ変装すれば気づかれなくて当然かもしれない。
少し反則のような気もしたが、正体がバレないことは証言を得る手立てに繋がる。
おそらく将人は面会に内縁の妻が会いに来ていると伝え聞いているはずだ、とメイは思う。
変に意識して混乱しているのかもしれない。
(その態度、命取りになるわよ)
ファーストコンタクトですでに主導権を手中に収めていることを実感しつつ、メイは偽りの再会を祝福するために将人に駆け寄る。
「マサトっ元気そうでよかったわ」
メイは満面の笑みを作り、将人の前に手を差し出す。
「…………」
彼はメイの手を珍しいものでも見るようにまじまじと観察していた。
上下ともに指定のジャージに身を包んだ少年は、上履きのかかとを落ち着きなく何度か宙に浮かせることを繰り返していた。
髪をくしゃくしゃと弄る仕草といい、無意識のうちにやってしまう癖なのだろう。
メイがさらに言葉を続けても、将人はしばらく放心したように口を開かず、どう返答すべきか考えあぐねているように見た。
(さあ、見せなさい。あなたの本性を……)
記憶を本当に有しているのなら、メイの存在は異分子であるはずだ。
この馴れ馴れしい再会を否定しない限り、将人にアドバンテージが移ることはない。
やがて、この駆け引きに結論が下される。
部屋で行方を見守る女性教官と隣りに立つ男の存在も影響したのかもしれない。
時間切れだった。
将人は、今までの不可解な沈黙など綺麗さっぱり忘れてしまったかのように、大げさに椅子から立ち上がると、メイの手元に成長期の男子特有の骨ばった手を差し出す。
(いいのね?)
これが意味するのは屈服の証。
何か考えがあってという可能性も残されていたが、将人がこの茶番に加担したことには変わりない。
メイは少しの間を猶予として置きながら、将人の手を握り返す。
その手は冷たくまるで血が通っていないようであった。
「本当に会いたかった。久しぶりね」
強かな台詞を耳にした将人は微かに顔筋を引き攣らせ、震えと共に口角を吊り上げる。
正面を向くメイには、その挙動が嫌でも伝わってきた。
白々しいことをしている自覚はもちろんあった。
だが、演技も徹底しなければ将人の牙城を崩すことはできない、とメイは確信していた。
やるならば、魂を鬼に売ってでも将人を骨抜きにしなければならない。
すでにメイは、引き下がることのできる一線を越えてしまっていた。




