第166話 花サイド-15 / 花の過去 その4
教育は抜かりなく徹底されていた。
クラスメイトらは、異常とも言えるくらいの仲間意識を共有している。
この状況下で孤立するのはむしろ当然と言えた。
だが、良心はまだ残されていた。
一緒に高等部から入学した仲間がいたのだ。
その二人の女子生徒とは同じクラスで、花はなるべく彼女らと行動を共にするようになる。
そして、何よりも驚いたことは、二人とも書道の経験者で段位まで所持しているということであった。
偶然では済ませられない学園側の強い思惑を感じつつも、それを問い質す勇気もなく、結局は流れのまま用意されたシナリオに沿う形で、花たちは書道部への入部を決めることになる。
せめて、ここだけは居場所でなくてはならなかった。
入学前、部室を見学させてもらった時の雰囲気なら、その目的は達せられるはずであった。
そこには、テレビで見たままの優雅に筆を振るう女子部員たちの姿。
顧問は都心に道場を構える女流師範で腕は一流。
彼女から親身に教授を受けた花は一目で虜になってしまう。
この人について行きたい、と本気で思った。
ここならニュータウンの垣根を越えられる。
部室のドアを開くまでは、無意識のうちにそう感じていたのかもしれない。
油断していたのだ。
檻に囚われの身であるということも忘れて――。
実際の部活は花の理想とかけ離れていた。
女性顧問は、臨時という立場で教鞭を振るっているため、コンクールなど控えていなければ部室に顔を出すことは稀であった。
監督者不在の部活は女子高の様相と化し、怠惰で堕落的な面を花は何度も目撃することになる。
それは、習慣的に染みついた行動であり、明日にはすべて悔い改まって、健全な青少年として書に邁進するという期待は持てなかった。
また、新入部員である花たち3人が桜ヶ丘ニュータウンの出身ではないということが判明すると、まるで腫れものを押しつけられたように部員のほとんどから距離を取られてしまう。
言葉を交わすのは、挨拶や連絡事項くらい。
さすがに、憧れとのギャップが大きかったこともあり、花はショックを隠せなかった。
他の二人も同じ悩みを抱えており、最初の頃は帰り道にはよく三人で涙を流すことがあった。
人生の選択を誤ったのではないか。
そんな不安は、授業中、部活時を問わず花を苦しめた。
日々、出発点となった出来ごとが頭から離れないのだ。
(あれは学園の宣伝だったんだ)
そう結論づけるまでには、それなりの時間が必要であった。
花が目にしたテレビの特集から数ヶ月。
放送を受けて宝野学園を取り上げるメディアの数は小規模ながらも徐々に増えていった。
その取り上げられ方のほとんどは、スポーツマン精神とか、日本の伝統文化とかとは無縁の所謂アイドル的な目線に終始していた。
と言うのも、実際に部へ所属する大多数は、高等部から書道を習い始めた者ばかりであった。
それもそのはずで、部は創立から数年も経っていなかったのである。
誕生間もないというポジションも露出の追い風となったのかもしれない。
パフォーマンスも名ばかりで、初歩の小技を女性顧問がそれらしく指導を加えた程度に過ぎなかった。
蓋を開ければ、コンクールで受賞した賞は〝話題賞〟や〝奨励賞〟といった実力とは無関係の評価ばかり。
レベルの高い環境でライバルたちとしのぎを削ってきた花がその隠されたベールを見抜くのにそう時間はかからなかった。
また、噂レベルではあったが、書道部の入部条件には〝顔立ち″という項目が存在する、という話を花は耳にしたことがあった。
そう言われてみると、同性の花から見ても書道部にはドキッとするような美人が揃っているように思えた。
裏でどんな駆け引きがあるのか。
そこまでは考えたくはなかった。
だが、増える取材の数を見れば、宝野学園の策略は成功していると言えた。
メディアも善意団体ではない。
打算無しに実力平凡な部活を取り上げたりはしない。
容姿端麗な女子高生の集団が何かに取り組んでいる姿に世間は関心があるのだろうな、と花は他人ごとのように思うのであった。
それでは、学園側の得るものは一体何なのだろうか。
当然、こちらも見返りなくして、一つの部活に精力を注いだりはしないだろう。
また、〝宣伝だから〟と済ませられるほど、話は単純だとも思えなかった。
この件は、桜ヶ丘市とも密接にリンクしており、市の現状を見ずして真実が明るみになることはない、と花は確信していた。
現在、この街が抱える大きな問題の一つは、ニュータウンの衰退にあると言えるだろう。
これまで半世紀近く、都心のベッドタウンとしての役割を担ってきた桜ヶ丘ニュータウンは、団地の経年劣化、都心への人口流出、住まう者の高齢化などの理由により窮地に立たされている。
繋がりの深い宝野学園にとってもこの問題は他人ごとではないはずだ。
だから、書道部を足がかりにして宝野学園の名を広め、全国から志願者を募るという発想自体は経営努力の範疇で花がどうこう口を出せるものではない。
花が危惧するのはそれとは別のところにあった。
入学者を桜ヶ丘ニュータウンに住まわせて将来的にも定住させなければ、問題の根本的な解決とはならない。
そこまで覚悟させた上で全員を入学させているのか、それが疑問なのである。
転入者の場合、話はさらに複雑となる。
本人にこの街で暮らしていく意思があったとしても、学園に馴染めなければその先の未来はない。
そして、厄介なことにそびえ立つ壁は一人では越えられない構造をしているのだ。
少なくとも教師たちの間でそれをサポートしようとする体制は整っていない。
免疫のない転入者に待ち受けるのは、砂場に足を掬われ、毒気が蔓延する蟻地獄の中へ知らぬ間に引き込まれることであった。
後悔する頃には、周りは闇で閉ざされてしまっている。
あとは、花や哲矢がそうしたように、各自手探りで出口を探っていくしかない。
体力のある者なら戦えるかもしれない。
しかし、ほとんどの者はそうではないはずだ、と花は思う。
これから転入してくる者たちは、宝野学園に希望を抱き、甘い気持ちで入学してくるに違いない。
約束された末路は物悲しい。
息を吹くだけで消えてしまいそうな夢を必死で守りながら、彼らは学園で生きていくこととなる。
だが――。
結局、大半の転入者は学園を去る運命にある。
(あの子たちもそうだった)
互いに何も得ることのない幕切れ。
せっかく捕らえた稚魚を野放しにしておく学園側の甘さが見事に露呈する形となるわけだが、これも単一方向の話ではなく一筋縄ではいかない。
なぜなら、宝野学園はそのほとんどを承知した上であえて見過ごしているからである。
今まで学園で生活を送ってきた花にとって、そんな場面は嫌というほど目にしてきた。
〝合わなければそれまで〟
それがこの学園の根底に流れる基本理念なのだ。
教師、生徒に限らず、暗黙的に浸透している考え方。
この歪な環境を作り出したのも、この土壌で生まれ育った者たちによるものだ。
排他的な連鎖を絶たない限り、宝野学園はおろか、ニュータウン、桜ヶ丘市の未来も危ないと花は強く思う。
(だから、私たちは巨大悪に挑もうとしてるの……?)
そんな錯覚が一瞬、花の脳裏に過る。
ふと、哲矢の背中が霞んで見えたような気がするのであった。




