第155話 花サイド-4
朝のチャイムが鳴ってしまうと、校門はこれまでの賑わいが嘘のように静まり返る。
撤収の時間であった。
「急ごうっ!」
翠の呼びかけをきっかけに、四人はチラシの整理やタスキの回収などの後片づけをテキパキとこなしていく。
結局、一番最後まで粘っていたのも花たちだった。
(あっ……)
その時、花は鞄の中にUSBメモリとタブレットを入れっぱなしであることに気づく。
もし、これが社家に見つかってしまったらすべてが水の泡だ。
可能性としては低かったが、念には念を入れる必要があった。
「あ、あのっ!」
教室へ急ごうとする翠に花は遠慮がちに声をかける。
「ちょっと、部室に忘れものをしたんで、先に行ってくださいっ!」
そう口にすると花は翠の返事を待たずに部室棟へ向けて駆け出す。
その後、酸欠寸前まで疾走を果たした花は、酷い息切れの中、昨日から顧問に借りっぱなしの鍵を使用して部室のドアを開ける。
「とぉりゃっ!」
書道台の上へ乱暴に鞄を放り投げると、ドアを閉めて全速力で来た道を花は戻るのだった。
◇
なんとかぎりぎりというタイミングで、花は後方のドアより教室へ滑り込むことに成功した。
そこにはまだ社家の姿はなく、遅刻せずに間に合ったのだということを先に到着していた野庭と小菅ヶ谷がアイコンタクトで知らせてくれた。
生命線であるUSBメモリとタブレットを一旦安全な場所へ移したことで安堵の表情を浮かべる花であったが、息つく間もなく次の問題が立ちはだかることになる。
(……?)
教室へ入ると同時に妙な違和感が花を襲う。
普段よりもどこか居心地が悪く感じるのだ。
それは、遅刻寸前のところで教室に滑り込んだことへの好奇心からくる視線ではなかった。
(視線?)
そう――。
花は得体の知れない視線をクラスメイトから浴びていることに気づく。
花が席へ着いてからもそれは続いた。
(なんだろう……)
一挙手一投足をチラチラと覗かれているような薄気味の悪い体感が続く。
どこか落ち着かない。
不気味なことに教室の照明も一段と暗く落ちて見えた。
それから間もなくすると、前方のドアが大きな音を立てて開かれる。
社家の登場だ。
「お前らぁホームルーム始めるぞぉ~。委員長号令―」
社家は鋭い目つきで教室全体を見渡すと、教卓に名簿を叩きつけながらクラスメイトの名前を読み上げていく。
緊張の糸がぐるぐると、室内に強く張り巡らされていくのが花には分かった。
間違って触れでもしたら、指が軽く吹き飛ばされてしまうかもしれない。
今花の目には、社家の姿はこれまでとは180度変わって映っていた。
しかし、よくよく考えてみれば、気にしていなかったというだけで以前から随分と大柄な態度であったことを花は思い出す。
こうしてじっと彼の顔を見ると、いかにも悪役の面構えといった感じだ。
(社家先生は敵なんだ。それを絶対に忘れちゃダメっ……)
花にとって社家は完全に敵視の対象となっていた。
名簿から顔を上げると、彼はわざとらしく咳払いをしてから、これから命に関わる重要なことを話すとでも言わんばかりの高圧的な態度で口火を切ってくる。
「――っと、大体揃ってるな。それとぉ、今日はお前らに伝えておかなきゃならないことがあるー」
その前置きを聞いた瞬間、嫌な予感が花の中で駆け巡る。
耳が一気に火照って熱くなるのが分かった。
〝言わないで!〟という花の願いも虚しく、社家は何でもなさそうにさらりとその言葉を口にする。
「これまでうちのクラスで体験入学してきた関内と高島だが……本日付けでその期間を満了することとなった。つまり退学した」
(……っ!)
「もうお前らも知っての通り、あの二人は生田の起こした事件の関係でうちのクラスに転入してきたわけだが、その用がすべて済んだってことだ。残念だが、今度こそ本当にあいつらとはお別れだな」
「急でお前らも驚いてると思うが、いつまでも事件や他人のことを気にしてても仕方ないぞぉ~。大学受験も目前に控えてるわけだし、気を引き締め直して新学期を送るよーに。んじゃ、残りの連絡事項を伝えるぞー。ごほんっ!」
社家は続けて周囲を威嚇するような大きな咳払いをする。
これ以上この話題には触れるな、という無言の圧をかけられたクラスメイトたちは、委縮したように彼の話に耳を傾ける。
(……やっぱり、メイちゃんも退学なんだ)
花の頭は少し混乱の状態にあった。
もちろん、これは予め想定していた状況だ。
それでも実際に〝この通りだ〟と両手を広げられてしまうと、途端に花は進むべき道を見失ってしまう。
(メイちゃんが警察に捕まったことは、学園側にも伝わってしまってる……)
当然自分の身も危ない、と花は思う。
こうなると、将人の冤罪を証明する以前の問題であった。
もし、防犯カメラに自分たちの姿が映っていたとしたら……。
そう思うと、花は教卓へ顔を向けることができなくなってしまっていた。
それから俯くこと数秒――。
花は、先ほどとは異なる鋭い視線を肌に感じる。
(な、なに……?)
温度がないと言えばいいのだろうか。
例えるなら、真夜中の浜辺で壊れたロボットを抱いて眠っているような、そんな無機質さを含む新たな視線の存在に花は気づく。
いつの間にか、首筋からはだらりと汗がたれ落ちていた。
この場から逃げ出してしまいたい、という気持ちが途端に込み上げてくる。
だが、ここで本当に逃げ出してしまえば、その時点で計画は中止を余儀なくされることだろう、と花は思った。
(しっかりして、私っ!)
哲矢もメイも、この瞬間それぞれのすべきことを頑張っているはずなのだ、と花は自身を奮い立たせる。
自分だけがここで折れるわけにはいかない。
花は視線を感じる方へゆっくりと顔を向ける。
時計の針が止まることを願うシンデレラのように、花はその一瞬を永遠のように感じていた。
やがて――。
視線の主が明らかとなる。
それは、今しがたまで選挙挨拶を共にしていた仲間からのものであった。




