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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
149/421

第149話 メイサイド-3

「制度の導入し始めは、すべてが上手くいっているように見えたわ。大人の感性だけでは判断が難しいとされる事件で、少年調査官に選ばれた子供たちの意見が新たな発見を生むこともあった。でも……それは上辺だけの話」


「実際に事件の担当となった子供たちは、日常生活からはかけ離れた重圧と向き合わなくちゃならないこともあって、目に見えないストレスに悩まされることが多いの。それが表に現れて初めて私たちはそのことに気づいたのよ」


「だけど、庁のお偉いさん方はこの制度を過信していてね。〝新設されたばかりの制度に些細な問題が出るのは仕方ない〟〝とにかく浸透させろ〟って考えだから、現場との温度差は相当なものなのよ。洋助さんなんかは、この制度はまだ欠陥だらけってことを見抜いていて、できる限り選ばれた子供たちのフォローに回っていたようだけど、私はそこまで要領よく仕事をすることができなかった」


「段々ね、夢に描いていた仕事像と現実とのギャップが開くようになって、それに納得することができなくなって……。いつからか私は仕事を疎かにするようになっていた。メイちゃんや関内君に会ったのもちょうどそんな時で。無責任で酷いことをたくさん言ってしまったって、今ならそれがはっきりと分かるんだ」

 

 それは、心が揺れ動かされるような真に迫った告白であった。

 暫しの間、本当に時が止まってしまったかのように、メイには周囲の景色が停止して見える。


 そっと気づかれないようにメイが美羽子の顔を覗き見ると、凛々しく引かれた一本線の眉からは、決意の片鱗を感じることができた。


 話の中では安易に自身を責めていた美羽子であったが、ここに至るまでには様々な葛藤があったに違いない、とメイは思う。

 未知の中で模索しなければならない環境で、入庁当時抱いていた熱い思いは日々の業務に悩殺されていくうちに、徐々にすり減ってしまったのかもしれない。


 それは何と何が善と悪で……というような単純な話ではないようにメイには思えるのだった。


(私、勘違いしてたんだ)


 メイは改めて、自分の中で美羽子に対する見方が変わっていることに気がつく。

 美羽子にしてもそれは同じだったようで、過去にあった素直な気持ちを口にすることで、この霞かかった関係に終止符を打とうとしているようであった。

 

「だから、はっきり言って雑な仕事をしてたの。メイちゃんを誘ったのだって、そう。仕事の上で仕方なくって感じで……。あのね、正直に言うと私……あなたがすごく嫌いだった。それも理由で偽善的な態度を取ってしまってたんだと思う。本当にごめんなさい」


「…………」


 美羽子にしてみれば、その長い沈黙は想定内であったに違いない。

 10歳以上も年の離れた大人から、それも面と向かってそんなことを告げられたら、普通の高校生なら動揺して激しく混乱してしまうことだろう。


 だが、メイは違った。


「……んふふっ」


 次に聞こえてきたのは場違いな笑い声であり、それは春の澄み切った青空に小さく響くのだった。


 当然、美羽子は驚きの表情を浮かべながら、メイが笑った意味をはかりかねるように注意深く目を細める。


「えっと……」


 困惑気味に美羽子が短く声を上げるのに気づくと、メイは小さく息を吐いて、まるで先の告白に倣うように自らの思いを包み隠さず吐露した。

 

「いや、私もまったく同じだって思ったから。つい笑っちゃった。私もアナタが大っ嫌いだった」


 メイは微塵の躊躇もなく、鋭くそう言葉を投げつける。


「…………」


 今度は美羽子が沈黙する番であったが、それもすぐに噴き出す笑い声でかき消されてしまう。


「ぷっ……ッ、フフフ……」


 その表情は明るく、まるですべての謎を解き明かした推理小説の探偵役のように、清々しい顔を浮かべていた。


「もちろん、私もメイちゃんが私のこと嫌いなんだろうなぁーってことに気づいてたよ。フフッ、なんか笑っちゃうわね、私たち」


「ええ。ほんとに」


 署内の駐車場に遠慮がちな二人の笑い声が響く。

 メイも美羽子もよく笑った。


 心情を理解しない者がこの光景を覗けば、どす黒い渦が彼女たちの周りを取り囲んでいるように見えたに違いない。

 しかし、今のメイは純粋に美羽子との会話を楽しんでいた。

 それはきっと彼女にしても同じだろう、とメイは思う。


 心と心が繋がった瞬間の会話は、時に歪んだ現実の関係を修復する働きがあるのかもしれなかった。

 

 美羽子はひと通り笑い終えると、フロントドアの窓に映り込んだ自分の姿を確認しながら、ゆっくりと懺悔を口にする。


「……でもね、今は反省してるの。そんな風に考えていた自分に」


 それは、寄り道をした数式の解答のようであった。

 彼女の中ではすでに答えは出ていたのだ。


「あの雨の夜、私はメイちゃんと関内君を深く傷つける言葉を放ってしまった。自分だけで精一杯で周りがまったく見えてなかったの。本来ならば、私があなたたちを守らなきゃいけない立場なのに。それを突き放してしまった」


「…………」


 その口ぶりの中に、自己愛にも似た感情がわずかに含まれていることをメイは聞き逃さなかった。


 だが、メイが何か口にすることはない。

 ここで言葉を挟めば美羽子の台詞はすべて嘘になってしまう、と分かったのである。


 だから、しばらくの間は黙って彼女の声に耳を傾けるのであったが――。


「……洋助さんからも言われたわ。〝もっと、しっかりしなきゃいけない。子供たちの手本となるように〟って。フフッ……ほんと、ダメね。もう大人になってから随分経つのに、全然成長できてないんだから。謝ることは小さなプライドが邪魔してできなかった。本当はもっと早くそうしなくちゃならなかったのに」


「ミワコ……」


「今朝、警察の人から連絡を受けた時は〝私のせいだ〟ってすぐに思った。ちゃんと私が二人の話を聞いていれば、こんなことは起こらなかったはずだから」


「…………」


「こんなことになってから気づくなんて……私、監督役失格ね。だって、宿舎の電話が鳴るまで二人はそれぞれ部屋にいるって思ってた。全然、現状が見えてなくて、偉そうに語る資格なんて私には……」


「……がう……」


「全部、私が悪いの。だから責任はすべて……」


「違うッ!」


 つい耐え切れず、メイは思わず大きな声を上げてしまう。

 このままだとまた新たな火種を生んでしまう可能性があった。

 

「……っ」


 久しぶりに感情を表にしたメイの態度に、美羽子は一瞬体をビクッとさせて短い呻きを上げる。

 しかし、メイはそれに取り合わない。

 ここはまごついている場面ではないことに気づくと、メイは単刀直入に思いの丈をぶつけるのだった。


「ミワコ、あなたは勘違いしてるわ。私は自分の意思で学園に忍び込んだの。責任は私が負うのであって、あなたが負い目を感じる必要なんてないわ。だから、監督役失格だなんて……そんなこと言わないで」


「…………」


「どんな処遇でも受けるつもりよ。私の判断とあなたの責任は一切関係ないの」


 メイが固くそう断言すると、美羽子は口を真一文字に結び、薄く唇を噛む。

 色々と思うことがあるのだろう。


 美羽子が黙り込んでしまうと、二人の間には再び沈黙が降り立った。

 だが、それも長くは続かない。


「そうね……分かったわ」


 美羽子はどこか吹っ切れたように短くそう呟く。

 振りかざした己の正義が見当違いの方角に向いていることに気づいたのかもしれない。


 やがて、美羽子は自身を納得させるように何度か深く頷くと、事務的な口調に戻って今後の予定について話し始める。


「まだ学園側と正式なやり取りはしてないんだけど、多分、今日付けでメイちゃんも関内君と同様、退学処分となると思う。あとは警察の判断待ちだけど、その間は洋助さんの指示に従って宿舎で待機してもらうことになると思うかな」


「そう」


「一応、上に確認しているけど……もしかしたら、予定よりも早くアメリカへ帰るよう言われるかもしれない。ごめんね」


「だから、あなたが謝ることじゃないわ」


 心残りありげな美羽子にメイは優しくそう答える。

 すると、ちょうどそんなタイミングで、1台のパトカーが徐行運転でアキュアの近くを通り過ぎていく。


 昨夜、乗車した時のイメージが強烈に残っているせいか、メイは無意識のうちに体をビクッと反応させてしまう。


(……っ、ここはあまり好きじゃないな)


 できることなら、早く車に乗ってこの場所から離れてしまいたかった。

 けれど、美羽子はボンネットに手を置いたまま、運転席のドアを開けようとしない。


 それは、話にまだ決着がついていないというサインでもあった。


 正確無比に引かれた駐車場の白線を目で追いながらメイは続く彼女の言葉を待つのであった。

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