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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
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第148話 メイサイド-2

 それからは気持ちを紛らわすために、部屋に貼られた交通安全を促すポスターを一字一句読み進めたり、ソファーに開いた穴やシミの数を数えたりしてメイは暇を潰していた。


 しばらくすると、待合室のドアは待ちわびたようにギギッと鈍い音を立てながら開く。

 ドアの前に立っていたのは体格のいい婦人警官で、彼女の後ろには見知った顔が緊張した面持ちでメイに視線を送っていた。


(ミワコ……)


 なんとなくそうだろうなとは思っていた。

 だが、彼女が直接迎えに来るとはメイは考えていなかった。


 ベージュのスーツに身を包み、小さく会釈する美羽子は、かなり疲弊しているように見えた。

 昨日のTwinner騒ぎで夜通し作業に追われていたのかもしれない、とメイは思った。


 顔は徹夜明けのように淀んでいて肌にハリがない。

 彼女と目が合い、さすがにメイも言葉を詰まらせてしまう。


 一番会いたくない人物だったからだ。


「えー……高島メイさん。迎えの方がいらっしゃったのでここから出るように」


 婦人警官にエスコートされ、メイは美羽子と一緒に彼女の後ろをついて行く。


「ああ、そうそう。大事なことを伝え忘れてました」


 歩き始めてすぐに婦人警官は突然何かを思い出したように、メイを署まで連行した理由を美羽子に説明し始める。


「彼女を連れてきた経緯ですが、窃盗の疑いがあったからです」


「窃盗?」


 詳しい話は美羽子も初耳だったらしい。

 メイは一瞬、美羽子の視線を感じる。

 

「昨日の夜、忘れ物の教科書を取りに宝野学園高等部の校舎へ入ったと言ってます。悪気があったわけではなく、罪悪感も抱いているとのことです。そうですね?」


 質問というよりは事実確認に近い口調であった。

 一瞬、体格のいい婦人警官の鋭い目がこちらへ動くのが分かった。

 メイは黙って頷いた。


「その道すがら、巡回中だった警備員に見つかり、身柄を引き渡される形で当署へ連れてこられたというわけです。ここまでになにか質問はありますか?」


 彼女は振り返ると、今度は視線を美羽子に向ける。

 美羽子は、大人しく首を左右に振った。


「後日、学園側と盗難などの被害が無かったかどうかを調べます。なので、今日のところはご帰宅して頂いても構いません」


 一時的な生徒に過ぎないメイが夜の学園に忘れ物を取りに行く不審さなど、怪しい部分が多いにもかかわらず、それでも即時釈放となる辺り、警察が家庭裁判庁に気を遣っているのが分かる。


 おそらく、羽衣支部調査官首席である伊勢原が自分の保護者役であるところの影響が大きいのだろう、とメイは思った。


 知らなくてもよい法執行機関の闇のようなものを感じて、メイはそれ以上考えるのを止めにした。


「ふぅ……。では、外まで送りましょう」


 そちらの問題はそちらで解決してほしい、と心の声が聞こえてきそうなほどの深いため息を婦人警官は躊躇うことなく漏らした。




 ◇

 



 慌しげに職務に追われる署内の様子をカウンター越しから眺めつつ、メイと美羽子は婦人警官の後に続いて外へ出る。


「今後、くれぐれも面倒は起こさないように」


 最後には、にっこりと不気味な笑顔を作った彼女に正面口で見送られ、メイは美羽子が車を止めているという署内の駐車場までの道を一緒に歩くこととなった。


「…………」


 美羽子はメイと二人きりになると、さらに硬く口を閉ざした。


 本来ならなぜ夜の宝野学園に行く必要があったのかをしつこく追及されてもおかしくなかったが、彼女がそのことで何か訊ねてくることはなかった。

 あの夜の出来ごとをまだ強く引きずっているのかもしれない。

 

 少し歩くと、馴染みの赤色の車がメイの視界に入ってくる。

 昨晩、宿舎を抜け出す時に哲矢と一緒に見かけたアキュアだ。


 運転席側に回り、フロントドアに手をかけると、美羽子はようやく口を開く。

 

「なんか思い出すね」


「…………」


「覚えてしりとり。やったじゃない。暁少年鑑別局へ行く途中に。考えてみれば、まだ4日前のことなのよね」


 美羽子は、まるで車体に生命が宿っているかのようにボディを優しく擦りながら、懐かしそうに空を見上げる。

 そこに雲はなく、澄み渡った青空がいっぱいに広がっていた。


「こっちに来てすぐに一緒に二人で食事に行ったのだって、ついこの間のことだし……」


「…………」


 優しく語りかけてくるそんな彼女の言葉にメイはどう返事をすればいいのか分からずにいた。


 おそらく、美羽子もそんなメイの不器用な性格をすでに理解しているのだろう。

 沈黙を特に気にする様子もなく、彼女はゆっくりと言葉を続ける。


 そして、その中には美羽子の本音も隠されていた。


「実はね。あの時、食事に誘ったのは……言い方は悪いけど、仕方なくだったの。正直、私の苦手なタイプだって初めて見た時から分かった。掴みどころがなくて、なにを考えているのか分からない。そんな印象だったから。でも、仕事だからって、無理に自分に言い聞かせてたの」


 その感情にはなんとなくメイも気づいていた。


 〝多分、この大人は上辺だけで私に接している〟


 美羽子を好きになれない理由はそこにあった。


(あいつと同じだ)


 メイの脳裏に浮かぶのは、ある女の顔だ。


(父を利用して私を屋敷から追いやった)


 継母の面影が美羽子と重なってしまい、メイはどうしても信用できずにいたのだ。

 だが、今目の前にいる彼女には、酷い話をされているというのになぜだか好感が持てた。


 胸の内を包み隠さず明かそうとしている姿が伝わってきたからだろうか。

 メイはただ静かに黙って、美羽子の言葉の続きを待つ。

 

「……少年調査官の監督役って、ほとんどの調査官は敬遠するの。まだ試験的に導入されて間もない制度だから、要領が分からなくて手を出しづらいってのが本音なんだと思う」


「でも、洋助さんとかは柔軟な考えを持ってる人だから、むしろ考え方は逆でね。まだ主要都市の一部の事件でしか試されていないものだからやり甲斐があるって。よくそう言ってる。私も最初はそう思ってた」


 やけに〝最初〟という響きがメイの耳についた。

 そこにこの話の核心が含まれているように感じられたのだ。


「私ね、調査官になる前は普通にOLしてたの。でも、あるきっかけがあって……。それで調査官を目指すことになった。だから、入庁したのも結構遅くて、同期の中では一番年上でもあったんだ。その分、周りの何倍も努力が必要だったわ」


「少年調査官制度が試験的に導入され始めたのもちょうどその頃でね。さっきも言ったように監督役をやりたがる調査官は少なかったから、私はすぐに立候補したの。チャンスだと思ったから。その時は、少しでも早く一人前になりたかったし、目に見えない焦りもあったんだと思う。でもね……。本当はそんな軽い気持ちで務まるようなものじゃなかったの」


 美羽子がそこで話を一度区切ると、車体を挟んだ二人の間に突風が吹き抜ける。

 スカートの裾を思いっきり押さえなければならないほどの強烈な春風であった。


 だが、それも一瞬のことで――。


 後には春特有の甘い香りが辺りに残る。

 前髪をゆっくりかき上げると、美羽子は自らの過去と向き合うように言葉を続けるのだった。

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