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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第4部・立会演説会編 4月10日(水)
147/421

第147話 メイサイド-1

「いやーね。高島さんさ。困るんだよなぁ。こういうのは」


「…………」


「面倒ったらないよ、羽衣家裁だって? 冗談じゃねーって。ったく……」


「…………」


「おい。すぐに連絡取っておけ」


「は、はい!」

 

 メイは桜ヶ丘中央警察署の取調室にいた。


 ふて腐れた痩せ型の取調官の男の表情をメイは無感動に眺める。

 彼は苛立たしげに補助官の若い男に愚痴をこぼしていた。

 

 調子が狂ってしまったのだろう。

 早朝から取り調べに立ち会い、出鼻を挫かれた気分なのかもしれない。

 その件に関しては、非は確かにメイにあった。


 だからといって同情するわけではない。

 それが彼らの仕事なのだ。

 慣れきった惰性は、こうした突発的な事態の対応を鈍らせる。


(普段から真面目にやってないからこうなるのよ)


 慌しくどこかへ連絡を入れる補助官の姿と、踏ん反り返って宙を見つめる取調官の姿がメイの瞳には滑稽に映った。


(二人とも……大丈夫かしら)


 体は腰縄を打たれ、椅子に縛られている。

 だが、手錠は外されていた。

 無機質な机にそっと指を下ろすと、メイは昨晩の出来ごとを回想し始めた。






―――――――――――――――――

 





 マルチメディア室で二人と別れた後、メイは予定通り職員室まで行き、筆跡素材を元の場所へと急いで戻した。


 それから一度哲矢の様子を確認するためにマルチメディア室がある文化棟へ戻ろうとするのだったが、職員室を出て廊下に一歩足を踏み入れた瞬間、遠くで何者かの姿が通り過ぎるのをメイは目撃する。


 その者は文化棟の方へ向けて歩いていくようであった。

 メイは、すぐにその者が警備員であることに気づく。


 行方を確認するために、メイは果敢にも職員室のドアを開けて外へと飛び出す。

 相手は懐中電灯を持っていた。


 その明かりを頼りに警備員と間合いを取りながら、メイはゆっくりとその後に続いていく。


 やがて、職務棟と文化棟を繋ぐ渡り廊下に到着する。

 引き返すかもしれない、というプレッシャーはあった。


 しかし、警備員はそのまま渡り廊下に足を踏み入れて、懐中電灯の光を揺らしながら文化棟までの道を進んでいく。

 ただ、この時点ではメイは安心していた。


 警備員はどこかの部屋に立ち寄ることなく廊下を進んでいるだけだったからだ。


 このままいけば、仮に哲矢がマルチメディア室に残っていたとしても見つかる心配はないだろう。

 そうメイは考えていたのである。


 念のためにせめてマルチメディア室を過ぎるまでは危険と隣り合わせのこの尾行を継続させよう、とメイは考えた。


 事態が急変したのは、警備員が文化棟のドアを開いた瞬間に起こった。


(どうしたの……)


 ドアノブを持ったまま立ち止まる警備員の後ろ姿をメイは渡り廊下の端にササッと隠れて観察する。


(なにか見ている?)


 メイがしゃがむ位置からはよく分からなかったが、警備員は文化棟の廊下の先にある何かをじっと息を潜めるように見続けていた。


(っ……!?)


 その時、メイは違和感を覚える。


 警備員が手にした懐中電灯の明かりが灯っていないにもかかわらず、廊下には薄く伸びた光が映し出されていたのだ。

 月の明かりではないことはすぐに分かった。


 次の瞬間、警備員は寸分の狂いなく、ある部屋へのルートを射程におさめる。

 彼が向かうその先には――。


 後を追うために慌てて立ち上がると、ようやくその全容がメイの目に飛び込んできた。

 マルチメディア室から明かりが洩れていたのである。


(……マズいわっ!!)


 メイは直感的に危機を察知する。

 

 警備員は懐中電灯の明かりを消して、獲物を捕らえるための用意を怠らない。

 コツンコツンと冷たい靴音を廊下に響かせながらゆっくりとマルチメディア室へと向かっていく。


 本能だけで展開されるその状況にメイは得体の知れない恐怖を感じた。

 ここで黙って様子を見ていたらきっと哲矢は捕まってしまう。


(私が守らなきゃ……)


 その使命感は、哲矢や花と親睦を深めるにつれて大きくなっていった。

 普段、口にすることはないから二人には分からないだろう、とメイは思う。


 けれど、哲矢や花が想像している以上にメイは彼らに感謝をしていた。


 色を失ったカリフォルニアでの生活がメイの脳裏に甦ってくる。

 それを払拭するように、その瞬間、メイは大声を上げていた。

 

「ねえーっ! そこの警備員さぁーんっ!」


 笑顔で手をパタパタと振る。


「……!?」


 彼は今までの緊張が一気に膨れ上がって破裂したような表情を浮かべ、メイの方を振り返る。


「迷っちゃったから案内してくれるかしらー! こっちよっ!」


 暗闇の中、満面の笑みで手を振るさまはさぞ不気味に見えたことだろう。

 一瞬、男の顔に未練の表情が浮かぶ。


 目前に控えたマルチメディア室の明かりを悔しそうに一瞥すると、自分を鼓舞するよう下唇を強く噛み、メイの大声が響いた方角を睨みつける。

 やがて、男は踵を返してメイの方へ突進をしてきた。


(この隙に逃げなさいよねっ……!)


 メイは心の中でそう呟くと、全力で来た道を駆け戻るのであった。




 ◇




 その後――。

 メイは呆気なく職務棟の廊下で警備員に捕まってしまう。


 あえて大暴れをして抵抗を装い、警察を呼ばせることに成功した。

 やがて、警備員から連絡を受けたパトカーがサイレン音を鳴らして宝野学園に到着。

 入れ替わりでやって来た警察官にメイは身柄を引き渡される。


 この時、警備員の誇らしげな薄ら笑いがメイの脳裏に強く焼きついた。

 こんなことでこの男のプライドは満たされるのか、と逆に同情さえ浮かんでしまう。


 それからメイは警察官に先導される形でパトカーの後頭部席へと乗せられた。

 一緒に同乗した頬のこけた中年の警察官が面倒臭そうに質問を投げてくる。


「なんで夜の学校なんかに入ったの」


「なんとなく」


「……なるほどねぇ」


 男はメイのブロンドに輝く髪を見てため息を漏らす。

 ヘアカラーで染めたとでも思っているのだろう。


「お嬢ちゃん一人で?」


「ええ」


「あのね。目上の人には敬意を払うもんなのよ。分かる?」


「私、日本で暮らしてないから」


「じゃあ宇宙で暮らしてるのかな?」


「…………」


 それからのことはメイはよく覚えていなかった。

 頭にあったのは〝自分一人で宝野学園に忍び込んだ〟という筋書きに変えることだけであった。


 結果、メイは哲矢と花の名前を一切出すことなく、そのまま桜ヶ丘中央警察署の留置場へと連れて行かれる。

 深夜だったためか担当の取調官がおらず、殺風景な部屋で一人メイは夜を明かすこととなった。

 これが昨夜起きた出来ごとのすべてだった。

 





―――――――――――――――――






 頭を働かせたせいだろうか、急に小腹が空いてくる。


 ぎゅるるるる~っ。


 メイの腹の虫が鳴っても取調官と補助官の態度は変わらない。

 彼らは誰かの判断が下されるのを待っているようであった。


「ねぇ……なんか食べるものないの?」


 その言葉は確かに彼らの耳に届いているはずなのに二人は揃って無視を決め込む。

 こういう小さなところでプライドを覗かせる辺り、昨日の警備員と同じく大人の器は底が知れる、とメイは思った。


 それからの数分間は、何もせずにじっと狭苦しい取調室で待っているしかなかった。


 意外にもメイはこのような状況が苦手であった。

 体を動かしていないと落ち着かないのだ。


 どれくらいそうしてじっとしていただろうか。

 ある一定の時間心を現実から離脱させていると、それが5分なのか一時間なのかメイには時々分からなくなることがあった。


 きっとそんなに時間は経っていない、と思うメイであったが断言はできない。

 そうした状態で聞いたせいか、メイはその言葉の意味を飲み込むのに少し時間がかかった。


「釈放だ」


「……なに?」


「出ろって言ってんだよ。さぁ、ほら。連れていけ」


 補助官の男に腰縄を引かれ、メイはそのまま署内の待合室へと通される。


 そこは、取調室や留置場のような権威的な場所とは雰囲気が異なり、公共のスペースのような公平さがあった。

 早い話、日常に戻ってきた実感があったのだ。


 補助官に「そこに座ってなさい。いずれ迎えが来るから」と言われ、メイは黙って黒いソファーに腰をかける。

 男が待合室から出ていってしまうとメイは一人になった。


 辺りを静寂が包み込む。


 随分、久しぶりのような気がした。

 この街に来てからはいつも誰かしらと一緒にいたのだ。


(そうか……私、寂しいんだ)


 なぜか自傷的な笑いが込み上げてくる。


(あっちではこんなこと思ったことなかったのに……)


 そこでは、彼女の心が休まる時はなかった。

 常に気を張って生きていた。

 これが自分の運命なんだ、と悟った顔で。


 何も言わずに無表情でいることがメイの普通になってしまった。

 だから、メイは不思議に思った。

 自分がこんなにも人恋しく想っていることに。


(二人とも、大丈夫かな)


 なぜか哲矢と花のことを思うと、メイの胸はチクリと痛む。

 動悸が起きて、上手く心を落ち着かせることができない。


 苦しいのだ。

 その感情もメイにとっては未体験のものであった。

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