第145話 哲矢サイド-1
哲矢はひとまず瓜生駅まで出るつもりでいた。
桜の花びらが舞い散るニュータウンの歩道を歩きながら様々な人とすれ違う。
書類を手にしながら走る中年のサラリーマン。
友人とサッカーボールを蹴りながら歩く小学生の男子たち。
タバコを片手に大きな歩幅で歩くスーツ姿の青年。
幼稚園児を乗せて自転車を急ぎ足で走らせる主婦。
スマートフォンを弄りながら俯いたまま歩く女子高生。
仲良く犬を散歩させている年配の夫婦。
車道と完全に切り離されている分、その情報量は必要以上に哲矢の中へ入り込んできた。
しかし、それだけの人が居ても一人になると途端に緊張が甦ってきてしまう。
数分前には確かに傍に存在した花の明るい声が哲矢は無性に恋しくなるのであった。
短い間に色々なことが起こり過ぎた。
神経質になっても無理はない、と哲矢は思う。
そのどれもがかなり難易度の高い要求であった。
元を辿れば、すべては将人に直結している。
しかし、哲矢には、彼の感情の在り処がこの段階となってもよく分からないままだった。
当たり前なのかもしれない。
実際に将人と会ったのは、暁少年鑑別局で顔を合わせたあの日きりだ。
あとは周りの話を聞き、想像で彼の人となりを埋めたに過ぎない。
泥沼で足を取られながら必死で踏ん張り、ゆっくり沈んでいくようなものだ、と哲矢は思った。
花が将人を信じているからまだ気は張っていられるものの、ふと緩めば自分は何のためにここに留まっているのかすら分からなくなる。
すでに少年調査官の任は解かれているため、事件に関する哲矢の権限は一切失われてしまった。
(俺はなんのために残ってるんだ……?)
花と別れて一人となり、急速に余計な疑問が膨らんでいく。
(ダメだ……。今はそんなことを考えている余裕はない)
将人が何者であれ、冤罪をかけられている可能性があるのだ。
ここで投げ出したら、今度こそ自分は再起するチャンスを失ってしまう、と哲矢は思う。
これは自分自身を取り戻すための贖罪の行為なのだ。
そう思いつつ、心のどこかで何かが引っかかるのを哲矢は感じる。
それはメイや花の顔であった。
(俺は二人の想いを利用してるのかもしれない。こんなことをしてアイツへの罪滅ぼしになるのか……?)
疑念は次々と膨らんでいき、尽きることがなかった。
その考えを払拭するように哲矢は頭を振る。
(とにかく……今は大貴を見つけよう)
やはり、今回の作戦の鍵を握っているのは大貴なのだ。
出発点は彼にある。
「あっ……」
大貴のことを考えていたら、ふと昨日の図書室での出来ごとが甦ってきた。
(そうだ、稲村ヶ崎が言っていたじゃないか。大貴の自宅は第一区画にあるって!)
それが分かった瞬間、哲矢の目的地は決まった。
◇
その後、哲矢はちょうど車道沿いのバス停を発見し、近場の階段から素早く降りて第一区画行きの経路を確認する。
少し時間はかかりそうではあったが、その区画に問題なく辿り着けそうだった。
哲矢はまばらに並んでいる人の列につく。
(ちょうど到着する頃にはいい時間になってるな)
大貴が家では猫を被っているとすれば、その辺りの時間帯には登校するはずだ。
そのタイミングを狙うしかない、と哲矢は思う。
バスがやって来るのを待ちながら、哲矢は大貴に王手をかけるように微かにほくそ笑むのであった。




