第143話 輝く朝だから
問題は色々と山積みだ。
目の前のことから片づけていかないと自分のいる位置でさえ見失いかねない、と哲矢は思った。
「そういや、本番のスピーチ原稿まだ考えてなかったな」
「それならなんとかなりそうだよ」
「一緒に考えなくて平気か?」
「大丈夫」
花の表情からは昨日のような不安は感じられない。
むしろ、淡い決意のようなものがはっきりと浮かんでいる。
タブレットを弄りながらも、意識は遠い先に向いているように見えた。
「やっぱり、自分の言葉で話したいから」
「分かった」
それ以上、哲矢には何も言うことはできない。
花が決めたのなら、その舞台が整うように全力でサポートするだけだ。
(あとは鶴間に渡す原稿だけか)
頭の中ではそのスピーチの完成予想図はほとんど見えていた。
あとは結論を出してそれを文章に起こすだけだ。
利奈も原稿の受け取りは直前でも構わないと言っていた。
よくこんな条件で受けてくれたものだ、と哲矢は改めて感謝する。
(兎にも角にも……)
今後の予定を共有する必要があった。
哲矢は凭れていたソファーから立ち上がり、花が座っているカーペットへと移る。
そして、ガラスのテーブルを挟むように花と向かい合う。
「今後の予定を詰めようか」
「そうだね」
自分でも驚いたのだが、哲矢はその言葉を口にして初めて本番が今日に迫っていることを実感する。
「まず、生徒会長代理選挙の流れなんだけど……」
「うん。五時間目に立会演説会があって、六時間目に投票と開票が行われるね」
「となると……。五時間目が始まる前までに脅迫文の差出人――つまり筆跡鑑定の結果を出せればベストだな」
「おぉ、だいぶプレッシャー……」
「逆に俺はそれまでに大貴を体育館へ連れて来る必要がある」
「それも難易度高そうだね」
「泣いても笑っても今日で終わりだからな。なんとかするさ」
そう口にしつつも自信はなかった。
だが、ここまで来たら弱音は吐けない。
(絶対に連れて来てやる……)
哲矢も花に負けないくらいの内に秘めた闘志を燃やす。
気がかりはもう一つあった。
頭の隅に追いやったつもりでも忘れることはできない。
それもそのはずだ。
哲矢にとって彼女の存在は、ここで生活を送る上で欠かせないものとなっていたから。
「メイ、大丈夫かな……」
彼女の名前を聞いた瞬間、先ほどまで明るかった花の表情が一気に曇る。
タイミング的にナイーブな話だったかもしれない。
だが、無視するわけにもいかなかった。
夜はすでに明けたのだ。
何か動きがあってもおかしくはない。
「連絡あったか?」
「……ううん、なんにも」
「そうか」
依然として花のスマートフォンに何の連絡もないということは、警察に捕まっている可能性が非常に高い。
ただ、まだ洋助たちからの連絡はない。
メイが警察に捕まれば宿舎へ必ず連絡が行くはずだ。
当然、洋助は花に連絡をしてくることだろう、と哲矢は思う。
それがないことはメイが警察に捕まっていない可能性を示唆してた。
(……でも、もう朝の6時を過ぎているんだ。どっちにせよ、宿舎にいないことがそろそろバレてもおかしくない)
哲矢は念のために花へ助言をしておく。
「あのさ。もし、宿舎から連絡があっても出ないでほしいんだ」
「えっ?」
「そろそろ俺とメイが宿舎にいないことがバレる。今後の予定を話せば止められる可能性があるから」
「風祭さんでも?」
「残念だけど」
その言葉を聞いた花は曇らせた表情をさらに重く落とす。
徐々にこの状況がどういうものか分かってきたのかもしれない。
(このままじゃ花の気も休まらないよな)
ひと休み入れないと持たないだろう、と哲矢は思った。
「よしっ! 朝食にしようぜ」
哲矢は話題をひとまず切り上げるために明るくそう告げる。
「そ、そだね……。じゃ、なんか用意するよ」
「いや、花はなにもしなくていい。俺が作るから」
「待って、哲矢君料理できるのっ?」
「得意なわけじゃないけど……。できないこともない。あり合わせでいいかな?」
「う、うんっ……! でも、残りものしかないけど……」
「大丈夫、大丈夫っ。キッチン借りるよ」
そう言って哲矢は一度リビングを離れる。
◇
「……マジでこれだけか?」
実際、花の言う通りであった。
「本当に残りものしかない」
冷蔵庫の中は、ケチャップやソース、味噌やマヨネーズなどの調味料が大半を占めていた。
他にあるのは、パックのタマゴ、ひとくちチーズが四つ、余りかけの木綿豆腐、封が開けられたウインナー、コンビニで買ったと思われるハム、レタス丸ごと、ニラ一本、餃子の皮が数枚、業務用のコーヒーの粉が1袋。
工夫をすれば何かしらは作れそうであったが……。
(よしっ! ここはカッコいいところ見せるか)
哲矢は頭に架空のハチマキを巻いて気合を入れる。
調理に取りかかるため、調理場へと目を移した。
昨日までシンクに積まれていた大量の食器は綺麗に片づけられていた。
ステンレスはピカピカに磨かれている。
おそらく夜のうちに急いで片づけたのだろう、と哲矢は思った。
そのおかげで調理しやすい環境が整っていた。
哲矢は冷蔵庫から餃子の皮とハムとチーズを取り出すと、皮の上にハムとチーズを乗せて封をした。
フライパンにその包みとウインナーを入れてフタをして蒸す。
その間にレタスを水で洗い、3センチほどに包丁で角切りする。
電子ポットがあったので、マグカップにコーヒーの粉を入れてそれを熱湯で溶かすと、とりあえず見てくれの料理が完成する。
「おまたせっ!」
哲矢はトレイにハムとチーズで挟んだミニブリトーとケチャップを入れた小皿、焦げ目をつけたウインナーにドレッシングをかけたサラダ、コーヒーを入れたマグカップを二組乗せて居間に戻る。
「わわっ、すごっ……♪」
花は湯気を昇らせるミニブリトーに興味津々な様子だ。
「餃子の皮が余ってたからただそれを巻いて焼いただけだよ」
「ほへぇ~。ふつー思いつかないよ、そんなの!」
これといって特別なことをしているわけではなかったが、花が嬉しそうにしていたので哲矢はそれを素直に受け止めることにした。
「いっただきまーすっ♪」
花が手を合わせて、美味しそうに食事を始める。
モグモグと幸せそうに食べている姿を見て哲矢もホッとする。
束の間の休息だった。
考えてみれば、花とこうして親密な関係を築けることは、出会った当初からすれば想像もできないことであった。
あの頃は、わけの分からない場所に突然放り込まれ、地に足をつけることもできずに必死でもがき苦しんでいたような気がする、と哲矢は思った。
周りにいるすべての者が敵に見えたのだ。
実は花もそのうちの一人で一方的に話かけてくる彼女を最初哲矢は毛嫌いしていた。
あの時、彼女の言葉にきちんと耳を傾けていたら、事態はもっとよい方向に流れていたかもしれない。
そう考えると、決断するのが遅過ぎたことが悔やまれた。
(だけど、今はこうしてお互い信頼し合えていると思う)
友達を得たこと。
仲間を得たこと。
それは、これまで地元で籠ってきた哲矢にとってとても意味のある大きな前進であった。
相手を無条件に信じる勇気。
それを花から哲矢は教わったのである。
改めて彼女とこの場を共有していることの奇跡を哲矢は噛み締めるのであった。




