第141話 やがて、見え始めた希望
「そうだったんだ……」
「ああ」
最後まで真摯に聞き終えた花は小さくため息を漏らす。
まるで、メイの心境に寄り添うようなその声に、哲矢の中で罪悪感が掻き立てられる。
「だから、メイは俺の囮になったんだ」
「哲矢君の……囮……」
うわ言のようにそう呟いた花は、ブレザーの内ポケットからスマートフォンを取り出すと、ディスプレイを睨みつけるようにして目を落とす。
「…………」
画面を覗き見ずとも、花の態度で哲矢にはすべてが分かってしまった。
「連絡はやっぱ無いか?」
「誰からも」
弱々しく彼女が首を横に振ると、部屋の中は再び無音に包まれる。
悪い予感が肯定されてしまうように、耳の奥ではキーンと甲高い音が鳴り響いた。
あれから一時間以上が経過している。
仮にメイが逃げ延びているのだとすれば、必ず何らかの手段を使って花に連絡するはずなのである。
(それが無いってことは、多分……)
いや、間違いなくメイは警備員に捕まってしまったのだ、と哲矢は思う。
目を瞑れば、今でもあのサイレンの音が聞こえてくるようであった。
「とにかく、今はメイちゃんからの連絡を待ってみる」
「そうだな。あいつのことだ。絶対に無事だよ」
「うん」
そう気丈に振る舞う花であったが、彼女もまた、メイが警備員に捕まって警察に引き渡されたことにおそらく気づいているに違いなかった。
まるで、ナイフで一突きされたように、哲矢の体はじわじわと熱を帯びていく。
(俺が代わりに囮となるべきだったんだ……)
後悔がさざ波のように押し寄せてくるも、今更嘆いたところで事実が変わるわけではなかった。
あとはメイが託そうとしたものを必死で守り抜くしかない、と哲矢は心に強く決める。
再度頭を振って気を取り戻すと、哲矢は改めて現状を整理することにした。
(メイが警察に連れて行かれたのだとすると……当然、学園側にもその連絡は行ってるってことだよな? ってことは……)
宿舎にもその連絡が行っていても不思議ではない、と哲矢は推測する。
つまり、哲矢たちの出奔はすでにバレている可能性が高いと言えた。
薄く下唇を噛み締め、花の方を一度見やる哲矢であったが、その時ふとある考えに思い至る。
(……ん? ちょっと待てよ。なんで誰からも着信が無いんだ……?)
洋助は花のスマートフォンの電話番号を知っている。
宿舎から抜け出したことに気づいているとすれば、哲矢たちの一番の知人である花に真っ先に連絡が入るはずなのである。
(なんで連絡してこない? それともまだ気づいてないのか?)
あれこれと考える哲矢であったが、結局答えが出ることはなかった。
花のスマートフォンに誰からも着信が無い、ということだけが今ある事実なのだ。
ここでぐだぐだと一人考えていても仕方ないと思った哲矢は、テーブルの下に置いた鞄を取り出すと、それを手にしてこう口を開く。
「今はメイの無事を信じて、俺たちは俺たちがやるべきことをしようぜ」
「そだね」
名残惜しそうに眺めていたスマートフォンをスカートのポケットに押し込むと、花はどこか決心したように強く頷く。
緊迫した二人の平行線はいつの間にか交わり、一本の太い幹となっていくのであった。
◇
「……えーと、これが脅迫文の手紙で、こっちが筆跡素材の入ったUSBとマルチメディア室の利用許可証か」
マグカップに一度口をつけてから、哲矢は脅迫文と夜の学園で入手した戦利品をテーブルの上へと並べていく。
「利用許可証?」
「あっ、そっか。まだ花には話してなかったよな。拾ったんだよ、パソコンをシャットダウンしてる時に。ほら、そこに大貴の名前が書かれてる」
一枚の紙切れを指さしながら哲矢が答えると、花は驚きの声を上げる。
「えぇっ!? 待って、これって……」
察しのいい彼女のことだから、瞬時に気づいてしまったのだろう。
利用許可証の紙を手に取り、ひらひらと扇ぎながら哲矢は声を潜めた。
「あいつが俺のTwinnerアカウントにログインしたところまでは閲覧履歴で辿れたんだ。多分、盗んだ俺のスマホをミラーリングしてパソコンから情報を抜き取ったんだと思う。スクショはできなかったけど、その紙切れはかなり重要な証拠になると思う。そこに利用時間が書いてるだろ? 俺のTwinnerにログインしてた時間とも重なるんだよ」
「すごいよっ哲矢君っ! これ、かなり快挙じゃないっ?」
「俺もまさかって思ったよ。までも、これで脅迫文を書いたのもヤツだって決まったわけじゃないから。まずは一つ一つ証拠を積み上げていこうぜ」
「うんっ!」
花に功績を称えられたことで得意げとなる哲矢であったが、すぐに伝え忘れていたことがもう一つあることを思い出す。
「そうだ、伝えなきゃならないことがもう一つあったわ」
「えっ、なんだろう?」
「急いで出てきたから、結局ドアが閉まるかどうか、ピッキングを試す時間がなかったんだ」
「そ、そっか……。でも、それは仕方ないよね」
その件に関してはいまいちピンときていない様子の花であったが、哲矢は逃した代償が決して小さくないことを十分に理解していた。
開錠されたマルチメディア室のドアは、遅くとも明日の朝には見回りの教員によって発見されるに違いない。
深夜、何者かがマルチメディア室を訪れていたという事実が明るみとなるのは時間の問題と言えた。
その際、真っ先に疑われるのはメイだろう、と哲矢は思った。
しかし、彼女一人を疑っておしまいにするほど学園側もバカではないはずである。
メイが夜の学園に忍び込んだという事実がある以上、その仲間である哲矢が疑われるのは当然の成り行きである。
また、気がかりならほかにもあった。
途中から防犯カメラや赤外線センサーの存在をほとんど無視して進んでしまっていたことだ。
あれだけ校舎を動き回ったのだから、撮影されていないという保証はどこにもなかった。
(……なんにせよ、今さら足掻いたところでなにかが変わるわけじゃない)
立会演説会の現場で大貴に事件の関与を認めさせることが最優先事項なのだ。
少し乱暴な考え方ではあったが、それができればすべては丸く収まると、哲矢はそう本気で信じていた。
「ひとまず、この筆跡から頼むよ」
改まってそう口にすると、哲矢は利用許可証を花に手渡す。
現存する唯一の大貴の筆跡素材だ。
「わ、分かった……」
若干の緊張の色を浮かべながら花はそれを受け取ると、疲れた仕草一つ見せることなくそのまま学習机へと移動する。
「ちょっと時間がかかるかもしれないけど、やってみるよっ♪」
「おう、よろしくな」
机の上に脅迫文と利用許可証を並べた彼女は、器用にライトスタンドを傾けて大きな虫眼鏡を手にすると、それらを交互に覗き見る。
さっそく筆跡の鑑定を始めたようであった。
哲矢はそんな花の姿を確認すると、作業の邪魔をしないようにとそっと部屋を出て、リビングまで戻ると散らかったままのソファーに腰をかける。
何となしに宙を見上げると、再びどす黒い睡魔が哲矢に襲いかかるのだった。
それは、長かった今日一日分の強烈な睡魔で、今の哲矢にはそれを食い止めるほどの力は残されていなかった。
(……ぅ、ぁっ……)
やがて、抵抗する間もなく、眠りを貪るようにして哲矢の意識は暗闇の彼方へとかき消されていくのであった。




