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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
140/421

第140話 花の部屋で

 しばらくの間、二人は何もせずにぼーっとマグカップから立ち昇る湯気を眺めていた。

 不思議なものでコーヒーを口に含んだ瞬間、哲矢の眠気はどこか遠くへと消えてしまった。

 

 マグカップを大事そうに抱える花の綺麗な手に哲矢は目がいく。

 こんなか細い女の子に大変な責任を押しつけてしまっているのだ。

 

 それでも前に進まなければならない、と哲矢は思う。

 将人の無実を証明するという大役を負っている以上、心を鬼にする必要もあった。


 その時、ふとある言葉が哲矢の口を突いて出る。


「やっぱり、変えないと……」


 その呟きは熱帯魚のように静かに部屋の中を漂う。

 当然、それは花の耳にも届いたようであった。


「変える?」


 意味をはかりかねたのか、彼女がマグカップから口を離して訊ねてくる。

 

「えっ……」


 花にそう言われ、哲矢は自分が無意識のうちに独り言を口にしていた事実に気づいた。

 

 不思議そうに覗き込んでくる花と目が合う。

 そこでようやく哲矢は自分が何を言おうとしていたかを理解するのだった。


(……そうだ。花にも言わなきゃダメだ)


 これまでのように独りよがりの考えは捨てなければならない。

 この数時間の間、心の底で考えていたことを哲矢は花に打ち明ける決意をする。

 

「プランを変更する必要があると思うんだ」


「プランって……明日の計画のこと?」


「ああ。明日、体育館に大貴を連れてこようと思う」


「……ッ!? 橋本君をっ……?」


「あいつには俺たちがやろうとしてることを見届ける責任がある。挑発してきたのはあっちなんだ」


「そ、それはそうかもしれないけど……。無理だよっ……。だって、どこにいるかも分からないしっ……。それに直接呼ぶのは危険だって……」


 二重遭難を恐れる救援隊員のように、花はなかなか首を縦に振ろうとはしなかった。

 おそらく、彼女は大貴だけでなくその取り巻きに対しても警戒の声を上げているのだ、と哲矢は思った。


 確かに、花の言い分は最もであった。

 昼過ぎの騒ぎを目にすれば、彼らがどれほど野蛮な存在かを理解するのは難しくないだろう。


 二宮の鋭いひざ蹴りが哲矢の脳裏にフラッシュバックする。

 思い出すと頬の傷はズキズキと痛んだが、それでも哲矢は考えを改めるつもりはなかった。


 少しの間を空けた後、あえて花の言葉を無視するようにして哲矢は言葉を続ける。


「居場所が分からなければ探すまでだよ。もう一度、あの廃校へ行ってもいいんだ」


「そんな……」


「やっぱり社家だけがいてもダメなんだ。必ずヤツを連れてくる」


「…………」


 哲矢がそう強く決意を口にしても、花は首を縦に振らない。

 大貴が体育館に来るはずがない、と思っているのだ。


 仮に彼を連れて来られたとしても、社家に仲間を与えるだけで事態をより悪化させる可能性もあった。


(リスクはある。けれど……)


 それだけにリターンも大きい、と哲矢は考える。

 その場で大貴に事件の関与を認めさせれば、そこですべては決着がつくのだから。


 結局、花はそれ以上何を口にすることなく黙り込んでしまう。


「…………」

 

「…………」


 先ほどの団らんが嘘のように部屋の空気はがらりと一変し、二人の間に悲痛な沈黙が降り立つのだった。


(これじゃ、さっきからなにも変わっていないじゃないか)


 独りよがりは捨てなければと思いつつも、自分本位で話を進めてしまったことに哲矢は反省する。

 何も花は好き好んで反対しているわけではないのだ。

 仲間の身を案じるからこそ出た言葉なのである。


 やるべきことが多いからといって、焦って棘のある言い方をしてはいけない。

 

(一度、この雰囲気を変えるべきだな)


 白々しいと自分でも分かってたが、哲矢は冷え切ってしまった場の空気を再び沸かすため、当たり障りのない会話で関係の修復を試みる。

 大袈裟にマグカップを傾け、飲み干す素振りを見せてからこう口にするのだった。


「いやぁ~……それにしても、このコーヒー美味いな。うん」


「……あっ、おかわりいるならまだあるけど……」


「おっ、マジで?」


「淹れてこよっか?」


「すみません! お願いしまぁーす!」


「うん……。ちょっと待ってて」


 哲矢のマグカップを受け取ると、花はもふもふ柄のスリッパに履き替え、パタパタと床を鳴らしながら部屋を出ていく。


「…………」


 どうも彼女の優しさを利用しているようで胸はちくりと痛んだが、それでも哲矢は考えを曲げることだけはしなかった。


(……大丈夫、絶対に迷惑はかけないから)


 そう自分に言い聞かせ、ぬくもりの消えた部屋を哲矢は見渡すのだった。




 ◇




 それからマグカップを片手に花が部屋に戻ってくると、つい今しがたまでの重苦しい空気が嘘のように、二人は他愛ない会話で盛り上がった。

 

 浮き沈みの攻防から学習を果たした二人の口から不用意な言葉が出ることはなく、お互いに気を遣っていたためどこかよそよそしさは抜け切れなかったが、表面上は哲矢も花も息抜きの会話を楽しんでいた。

 だが――。


「……んゃははっ~♪ それすごいって哲矢君っ!」


「だろ? 俺もさ、最初嘘だって思ったんだけど、この前メイと一緒に見た時――」


「――っ!?」


 その時間は長くは続かなかった。 

 これまでなるべく考えないようにしてきた〝彼女〟の名前が突然会話に登場したことで、二人の間に歪が生じ始める。


 どちらからともなく飲みかけのマグカップをテーブルの上に置くと、それが小休止終了の合図となった。  

 最初に口を開いたのは花だ。


「……あ、あのね。メイちゃんのことなんだけど……」


「うん」


「哲矢君、なにか知ってるんじゃない? メイちゃんが出入口に現れなかった理由……」


「…………」


「マルチメディア室を出て廊下を一緒に歩いている時にね。メイちゃんぽつりと言ってたんだ。素材を戻したら、心配だから一度哲矢君の元に戻ってみるって。それで……私は二人とも先に合流してるものだと思ってたの」


 そういうことか、と哲矢は思った。

 だから、メイは廊下にいる警備員の姿に気づくことができたのだ。

 

 先ほど花がメイがまだ現れていないことに驚きの声を上げていた理由も哲矢は理解する。

 

 少しだけ話すのを躊躇ってから、哲矢はマルチメディア室の前で起きた事の顛末を彼女に伝える決心をするのだった。

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