第130話 革命前夜
その後――。
しばらく経っても花が現れる気配はなかった。
本当に先に一人で校舎の中に入ってしまったのではないだろうかという不安が哲矢の中で徐々に大きくなっていく。
校門越しに校舎を覗くと、それは昼間の時よりも一回りくらい膨張しているように感じられた。
夜の学校を舞台によく怪談話が作られるのも頷ける。
まるで亡霊のように、実体が無く見えるのだ。
背後には黒い狼煙がもくもくと昇っているようで、その圧倒的な威圧感を前に哲矢は一瞬後退ってベンチから転げそうになる。
そんな風に校舎を眺めていると……。
「わぁっ!」
突然の大声と共に哲矢の視界は何者かの手によって覆われる。
「~~~~ッ!!」
不気味な考えに耽っていたことも相乗し、哲矢は言葉にならない悲鳴を上げ、ベンチの上で体を仰け反らせてしまう。
「あははっ~♪」
哲矢の間抜けな態度が可笑しかったのか、満足そうな笑い声が夜空の公園に響く。
けれど、哲矢にとってそれは魔女の声のようにしか聞こえず……。
「ひいぃッ……」
絞り出すような短い悲鳴を再び上げ、ベンチから転げ落ちるのが精一杯であった。
そんな哲矢の情けない姿を見て、近くで猫とじゃれ合っていたメイは「ほんとチキンね……」と容赦ない罵声を吐き捨てるのだった。
◇
「ごめんごめんっ! 驚かせちゃったね」
そう言って哲矢に手を差し伸べるのは、無邪気な笑みを口元に灯す花であった。
「あと、色々と手間取っちゃって、随分遅れちゃったよ~」
テヘッと舌を出しながら頭を搔く彼女には微塵の悪意もないようだ。
大袈裟に驚いてしまったことを少し恥ずかしく感じつつ、哲矢は気を取り直すように一度咳払いをしてから彼女に状況の確認をする。
「……ん。それで、鍵はどうなった?」
メイもじゃれ合っていた黒猫に別れを告げて哲矢たちの元へ駆け寄ってくる。
花はメイがベンチまでやって来るのを待ってから目の前にVサインを掲げるのだった。
「いえ~いっ♪」
「おぉっ! でかした!」
哲矢が手を叩くと、珍しくメイも感心したように拍手を重ねる。
気は早かったがこれだけで問題を解決したような気分となるのであった。
「……あと、メイちゃんこれでよかったのかな?」
「ええ。わざわざありがとう。少し借りるわね」
「なんだ、それ?」
メイの手にはデフォルメ調の怪獣のキーホルダーが握られていた。
「えっと、さっき電話でメイちゃんに持ってきてほしいって言われて。それ、将人君から貰った物なんだ」
「将人?」
「うん……。去年の文化祭の帰り道に、将人君が――」
「ささ、早くこの後の予定を話しちゃいましょう。ここに長居するのは危険でしょ?」
「あ、ああ……そうだな」
どこかはぐらかされた思いも感じつつ、メイの言うことに哲矢は花と一緒に従う。
それから三人はベンチを囲むようにして顔を突き合わせた。
夜の散歩に訪れた地元民に話を聞かれる危険性もあったため、なるべく手短にこの後の予定を確認し合う必要があった。
「よし。この後、校門から園内に入ったらまずは部室棟を目指そう。暗くて経路の判別が難しくなってるからここは花が先導で頼む」
「はぁーい!」
「それで鍵を使って校舎の中に忍び込んだら回る場所は全部で2ヶ所だ。A組の教室と……」
「職員室ね」と、メイが話を付け足す。
「ああ。そこで筆跡の鑑定に使えそうなメモとか、走り書きとか……。なんでもいいから手書きの文字をたくさん入手する」
メイも花もそれには異論はないようであった。
二人が頷くのを待ってから、哲矢は「そうと決まればさっそく行動だ」と声をかけ、校門まで歩き出そうとするのだったが……。
「あっ……。哲矢君、待って!」
それは花の手によって妨げられる。
「まだ大事なこと伝えてなかったよ」
そう口にする花は、注意点を掻い摘んで説明するように静かに言葉を続けるのだった。
「夜の学園ではね。警備員が二人体制で巡回を行っているみたいなの。ほかにもその警備会社の防犯カメラや赤外線センサーがあって」
「……は?」
「校門、正面玄関、踊り場、階段、職員室、廊下……。結構、複数の箇所に跨って設置されてるみたいなんだ」
「お、おいおいっ。マジかよ……」
新たに立ち塞がる問題にさすがに哲矢も動揺を隠せない。
「防犯カメラの存在は生徒の間では暗黙の了解みたいな感じになってるんだけど、気味悪がってる子も多いんだよ」
「……確かに。日本の学校にしては過剰と言ってもいいくらいに置かれてるわね」
メイがはっきりとそう口にする。
彼女は知っていたのだ。
危険を承知の上でこうやって夜の学園に忍び込もうとしているのである。
その決意が分かり、哲矢は身を引き締め直す。
ここはおどけて場を和ますことが精一杯の誠意だ、と哲矢は思った。
「な、なんだよ……ははっ。気づいてなかったのは俺だけか」
「でも、巧妙に隠されてるから。普通に生活していれば気づかなくてもおかしくないよ。この学園も開校してまだ10年だし、そうしたセキュリティの面は色々と充実してるんだと思う」
「……ん? ちょっと待てよっ……。それなら藤野を教室の窓から落とした犯人も防犯カメラに映ってるんじゃないのか!?」
「いえ、それはないわ。教室に防犯カメラは設置されてなかった」
「そ、そうなのかっ……?」
「うん。メイちゃんの言う通り、教室に防犯カメラはないよ。それに廊下も全箇所に設置されてるわけじゃないから。あの日の放課後、誰がA組の教室に出入りしたのか、結局分からないんだよ」
「そんなの、よく考えれば分かることでしょ? それで解決してたら、あんたも最初からこんなところにはいないわよ」
「……うっ。一応確認のために聞いただけだっ……!」
「麻唯ちゃんはこの学園じゃ泥棒はムリって言ってたけど……。まさか自分がそうなるなんてね」
そう口にして苦笑いする花であったが、その瞳の奥にめらめらとした闘志の炎が燃えているのを哲矢は見逃さなかった。
三者三様。
それぞれの決意を胸に今哲矢たちは侵入を試みようとしていた。
「うっし! やってやろうぜ! カメラとセンサーの位置に注意して、尚且つ警備員にも気を配って進めばいいだけの話だろ? 楽勝だっ!」
「……ふふっ、簡単に言ってくれちゃって」
そう愚痴を零すメイであったが、その表情はまんざらでもないようであった。
「みんなで頑張ろ~~っ♪」
まるで、革命前夜の誉れ高き戦士たちのように勢いよく突き上げた三人の拳は、月の光に照らされて美しく輝くのであった。




