第126話 孤独を繋いで
途中、自分への非難を何度か聞き流し、哲矢は辛抱強くメイが話し終えるのを待った。
やがて――。
「ハナも一緒に連れていくことにしたわよ」
メイは子機を下ろすと、それを哲矢に手渡す。
哲矢の思いとは裏腹に話は花も参加する方向で決まってしまったらしい。
もやもやとした感情が消化されることなく、哲矢の胸の内に残り続ける。
つい愚痴のような言葉が漏れてしまった。
「……本当にこれでよかったのか?」
「ええ。筆跡の鑑定はハナにやってもらうわけだし、素材の厳選は本人にしてもらった方が確実でしょ」
「いや、そうじゃなくて」
「は? なにが」
「お前さっき言ってたろ? バレたらとんでもないことになるって」
「言ったわよ?」
「花にそんなリスクを背負わせるような真似をしてよかったのか?」
「……ねぇ、テツヤ。ハナだって私たちの立派な仲間なの。ここでハナを一人だけ待たせて行くなんて、私たちがそれを認めてないってことと同じだわ。少なくとも、私はそんなことはしたくない。あんたはどうなの?」
「もちろん、俺だって仲間って思ってるよ。だからこそ、俺は花に危険なことはさせたくなかったわけで……」
「その考え方が間違ってるのよ。あんたの悪い癖だわ」
「……っ……」
「信頼してるってそういうことじゃない。いざっていう時に頼りにする。危険なことも一緒に乗り越えていく。それが仲間でしょ? だから、あんたもハナが顧問から鍵を借りることを受け入れたんじゃないの? 今のテツヤは中途半端だわ」
そうメイに言われた瞬間、哲矢の脳裏に昨日病院のロビーで花が口にした言葉が甦る。
『……私を、仲間外れにしないでほしいんです』
そうだ……と、哲矢は思う。
自分は何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのだ、と。
今、哲矢がしていることは、仲間を心配することで自分の気持ちを守っていることにほかならなかった。
(メイの言う通りだ)
それは分かる。
けれど――。
「……そうだな、いや悪い。たしかに間違った考え方をしてたよ」
「……? やけに物分りがいいのね」
「そうと決まればさ。いつまでもこんなところにいるわけにもいないだろ? 宿舎からどう抜け出すか早いとこ考えようぜ」
さらっと態度を変える哲矢の姿をメイは不思議そうな顔をして覗く。
だが、彼女が哲矢の真意に気づくのはまだ少し先のことであった。
◇
窓の外は漆黒の闇で塗り固められていた。
そこには、陽の光が入り込む余地はない。
夜なのだ。
もう春だというのに心なしか肌寒さを感じる。
部屋の照明にわずかな温もりを求めながら、哲矢は握り締めた子機に力を込め、話を一旦整理することにした。
「それで、花とはどこで合流する話になったんだ?」
「学園の校門よ。そこに20時半」
哲矢は再度腕時計に目を落とす。
時刻はもうすぐで19時30分になろうとしていた。
時間の進み方が早く感じられる。
この分だと一時間なんてあっと言う間に違いない、と哲矢は思う。
「のんびりしていられないわね。とにかく、ヨウスケの存在が邪魔だわ。どう誤魔化せばいいかしら……」
焦りを感じているのか、メイはそわそわと意味もなく室内をうろつき始める。
そんな様子を横目に見ながら、哲矢は別のことに思いを巡らせていた。
窓際に目をやる。
頭の中でシュミレーションを何度も繰り返し行うように。
(……メイ。その心配はしなくていいんだ。俺が一人で引き受けるから)
今、自分が何をすべきかを俯瞰で眺め、哲矢は課せられた立場と正面から向かい合うのだった。
「とりあえず、いつ風祭さんがやって来るか分からないし、子機は一度戻しに行かないか?」
「……まぁそれもそうね」
この提案はほんの布石に過ぎなかったため、一蹴されるものだと哲矢は考えていたが、意外なことにメイはその言葉をすんなり受け入れた。
ここが畳みかける絶好の機会と判断した哲矢は、さも流れの一部のようにメイの目の前に子機を差し出す。
「つーわけで、よろしくっ!」
「はぁ? 私っ?」
いつものふざけたノリで哲矢はメイを強引にリビングへ押しやろうとする。
こういう時のメイがやけに真面目なことを哲矢は知っていた。
だから、グダグダ文句を言いながらも最終的にはメイがリビングへ行ってくれるという確信を哲矢は抱いていた。
しかし――。
「…………」
メイは差し出された子機を見下ろしたまま、普段の軽口を続けない。
そして、彼女の顔を見て哲矢はハッとする。
その瞳が悲しい色に染まっていたのだ。
彼女は気づいてしまったのだろう。
ドアを開けてここから出て行ってしまえば、この部屋には誰も残らないということに……。
そう。
哲矢は自分だけで十分だと考えていた。
やはり、夜の学園に忍び込むというのはリスクでしかない。
先ほどはメイに協力を申し出た哲矢であったが、そのことに気づいたのである。
(なにも二人が危険を冒す必要はないんだ)
部室棟の鍵なんかなくても、校舎に入る手段はある。
それこそ、メイが昨日したように窓ガラスを割って入ってもいいのだ。
自分にはもう失うものがない。
それは今哲矢が抱いている正直な気持ちであった。
だが、メイはそんな哲矢の甘い考えを許さない。
彼女も本気だからこそ、熱い言葉が口を突いて出る。
「……お願いだから、そういうの……もうやめてよ」
その弱々しく放たれた声に哲矢は全身にびりっと衝撃が走るのが分かった。
メイの目に自分の姿がどう映っているかを想像する間もないまま、哲矢は彼女が緩やかに顔を綻ばせる瞬間を目撃する。
「私たちのこと……信じて。お願い」
女神のような微笑み。
そう表現するのが正しいかもしれない。
「…………」
哲矢は息を呑む。
胸の鼓動が急速に高まっていくのが分かった。
そのリズムは昨夜の感情までも引き連れてくる。
(〝メイが傍に居てくれたら俺はなんでも乗り越えられる〟……)
揺れる車内でバックミラー越しに彼女を見て哲矢が感じた素直な気持ちだ。
『一緒ならきっとそれができるような気がするんだ!』
これも以前哲矢がメイに向けて口にした言葉である。
(……俺は一体なにをしようとしてるんだ?)
これがこれまで必要としてきた相手に対してする行為なのか。
メイは言った。
危険なことも一緒に乗り越えていくのが仲間だ、と。
それを勝手に否定して、彼女たちを守ろうとすることは独善的な考えにほかならない。
本当に仲間を信頼するということは、どんな状況でも手を取り合って前に進むことを言うのである。
(いざっていう時に頼りにする……それが仲間……)
そこでようやく哲矢は目が覚める。
独りよがりの考え方しかできなかった自分を哲矢は大きく恥じた。
すると、本音がぽろっと零れ落ちてしまう。
「……やっぱ俺、お前が傍にいてくれないとダメっぽいわ」
差し出した子機を力なく自分の元へ引き寄せる。
そんな哲矢の姿を見て、メイはフランクに笑顔を灯した。
「ここまできたら腐れ縁みたいなものだから」
「腐れ縁か。本当にその通りかもな」
「んふふっ、そうよ」
そうやって微笑むメイの表情はとても自然で、哲矢は初めて彼女の姿を見た日に戻ったように感じる。
彼女と一緒ならどのような困難でも乗り越えられるような気が哲矢はするのであった。




