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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
115/421

第115話 互いの手を取って

 気がつくと、哲矢は宿舎の玄関の前に立っていた。

 陽はほとんど傾き、赤と橙のコントラストが夜の淵が近くまで来ていることを知らせてくれる。 


 パッと隣りを覗くと、そこには花の姿があって哲矢は彼女と手を繋いでいた。


 だが、不思議と気恥ずかしさは込み上げてこなかった。

 それが当たり前のように、哲矢は花の体温を感じていた。


 ここまでどういう道筋を辿ってきたのか。

 それすらも今の哲矢には思い出せなくなっていた。

 代わりにとある感情が急速に膨れ上がっていくのが分かる。


 恐怖心だ。

 それは、時間が経つに従って芽を出し成長を続ける新緑の草木のように、大きなものとなっていく。


 同時に哲矢は、今まで経験したことのない息苦しさも感じる。

 まるで、獰猛な獣と共に檻の中へ閉じ込められ、いつ殺されるか分からない絶望と隣り合わせで居るような気分であった。

 

 その一方で、花の表情は死んでいなかった。

 幾分、疲労しているように見えたが、その瞳は大きく見開かれ、正面の扉を真っ直ぐに捉えていた。


 結局、哲矢は教室まで一度戻った理由を花に説明できずにいたが、賢い彼女のことだ。

 きっとそれにも気づきつつあるに違いない、と哲矢は思う。

 その他にも色々と考えていることがあるはずだ。

 

 毅然と振る舞う花の姿が目に入る。


「本当にここでいいんだよね?」


「……えっ?」


「道で人に聞いたりしてたから随分遅くなっちゃったけど」


「あ、ああ……」


 彼女は哲矢の手を少しだけ強く握ると、一歩前へと進み、宿舎のチャイムを鳴らした。


 ピーンポーン。


 場違いである暢気なチャイムが辺りに響くと、しばらくしてから玄関の扉が開かれる。


「こんばんは! 私、宝野学園高等部三年の……って、えっ?」

 

 花の驚く声が上がる。

 反射的に哲矢の体は動いた。

 

 手を繋いだままの体勢で彼女の背中越しから玄関を覗くと、そこには居るはずのない人物の姿が見えた。


「メイちゃんっ!?」


「遅かったわね」


 メイが気怠そうに手を挙げて答える。

 いつの間にゴスロリの私服から着替えたのか、メイは制服にスリッパという出で立ちで、上がり框<かまち>に足をつけていた。

 

 寛ぎモードの彼女とは対照的に花はまだ目の前の光景が信じられない様子であった。


「将人君と会ってたんじゃなかったのっ!?」


 そう慌てて口を開く花であったが、メイは至って冷静に切り返す。


「ヨウスケに言われたのよ。緊急の用件ができたから戻ってきてほしいって。だから、すぐにタクシーで帰ってきたの」


「でも、お前のスマホ壊れてるじゃないか。どうやって風祭さんと連絡を……」


 そこでメイは声を一段階落として小声で口にする。


「宿舎を勝手に抜け出して将人に会いに行ったから気になってたのよ。花と電話が終わってしばらくしてから一度様子を確認するために鑑別局の電話を借りてヨウスケに電話したの」


「ああ、なるほど。そういうことか」


「将人君との面会は……?」


「それもキャンセルせざるを得なかった。無視して面会することもできたけど……あとでヨウスケにこのことがバレたらそっちの方が大変だしね」


「そう、だったんだ」


 それで花も納得したのか、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 メイはブロンドの毛先を何度か手で梳き<すき>ながら話を続けた。

 

「そっちにも連絡があったんでしょ?」

 

「う、うん……」

 

 するとその時、哲矢は強烈なメイの視線を感じる。

 あまりにも突然のことで、哲矢は心の準備もなく彼女の熱い眼差しを一身に受けてしまう。


「テツヤ。単刀直入に聞くけど……あんた、本当にやってないの?」


「やってないって、なにが」


「しらばっくれてるわけじゃなくて?」


「はぁ?」


 その瞬間、哲矢の脳裏に先ほどの疑念に満ちた洋助の声がフラッシュバックする。

 今の彼女の口ぶりや態度は彼のそれとまったく同じなのだ。


(……っ……)


 身に覚えのない容疑をかけられ、糾弾されているような窮屈さが哲矢の目頭を途端に熱くさせる。

 なぜ、一番近くにいるはずの彼らにそんなことを言われなければならないのか。

 

 悲しさよりもまず先に悔しさが込み上げ、哲矢はついケンカ腰の口調となってしまう。


「……な、なんなんだよっ! 言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ!」


 好戦的な哲矢の物言いはメイにとっては予想外だったのか。

 彼女は一瞬、面を食らったような表情を浮かべる。


 だが、すぐに体裁を整え、キラキラと輝くブロンドの襟足を優雅に払うと、くるりと回り、哲矢たちに背を向けた。


「……まぁ、いいわ。とりあえず中に入って」


 そう言い残すなり、彼女は振り向きもせずに廊下の奥へと消えてしまう。

 

 そんなメイの後ろ姿を見送りながら哲矢が思うのは、自分だけが取り残されてしまっているという深い絶望感であった。

 しかし――。


「……ぁっ」


 哲矢はすぐにそれが誤りであることに気づく。

 右手に宿る温もりが〝絶望するのはまだ早い〟と告げているのだ。


 花が真っ直ぐに視線を向けてくる。

 彼女は声には出さず、「大丈夫」と口で言葉を象る<かたどる>と、最後には8月の眩しい太陽のような笑顔を見せるのだった。


 それで哲矢の気持ちはいくらか晴れた。


「手」


 その時、廊下の奥に消えたとばかり思っていたメイの声が小さく聞こえてくる。


「お邪魔だったかしら?」


 リビングのドアから半分顔を出し、彼女は卑しい笑みを浮かべていた。

 

 瞬時にその意味を理解したのは花の方であった。

 花は哲矢と繋いでいた手を振り解くと、両手をパタパタとさせて弁解を始める。


「こ、これはねっ! 違うの! ほらっ段差があるから! 哲矢君に手を貸してもらおうって思って……」


「ふふっ。分かってるわよ」


 顔を赤らめて、なおも訴えを続ける花であったが、メイはそんなことなどまるで気にする様子もなく、涼しげに手招きをしながらリビングの中へと消えていってしまう。

 

 途端に気まずさが哲矢と花の間に立ち込めた。


「さっきからメイのヤツ、なんだよ……」


「あ、あはは……。おかしいよねっ!?」


「とにかく、俺たちもリビングに上がろうぜ」


 きっと花としては深い意味はないに違いない、と哲矢は思う。

 洋助から衝撃的な話を耳にして動けなくなっていた自分を手を引いてここまで連れてきてくれただけのことなのだろう。

 

 そんな花のさり気ない優しさに哲矢はとても感謝していた。


「えっ……哲矢君っ!?」


 今度は自ら花の手を取ると、哲矢は彼女を宿舎の中へと招き入れるのだった。

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