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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
113/421

第113話 よそよそしさの影に隠れたもの

「な、なんだって……!?」


 哲矢がそう訊ねても、花はまるで上の空だ。

 しゃがんで落としたスマートフォンを拾おうとするのだが、そのまま廊下に尻をつけて座り込んでしまう。

  

 明らかに心ここにあらずといった状態であった。


 このままでは埒が明かない、と哲矢は思った。

 落ちていたスマートフォンを哲矢は彼女からサッと拾い上げると、すぐにそれを耳に当てる。

 まだ電話は生きているようであった。


 そこから男の声が聞こえてくる。

 案の定、相手は洋助のようだ。


『……も、もしもし? 川崎さんっ? もしもしっ……』


 洋助の声はどこか切迫しているように哲矢には聞こえた。

 どこか、時間が無いことを焦っているかのように。

 

「あ、あの……」


『その声は……哲矢君かいっ!?』


「はい、そうです」


 電話口に哲矢が出ると、洋助は思いのほか過剰に反応する。

 まるで、やましさを腹に抱えているかのような声色であった。


『は、ははっ……。なんだ。哲矢君、近くにいたのか』


「ちょっと花と色々話してまして」

『そうか……。いや、今ね。川崎さんと話してたんだけど、急に電話が遠くなったからさ。切れたのかと思ったんだよ』


 胸を撫で下ろすようにそうホッと息をつく洋助の声であったが、哲矢はその口ぶりの中にいつもとは異なる棘のようなものが含まれていることを感じ取る。


 そんな一瞬の警戒心が邪魔をして、哲矢はついとっさに嘘を吐いてしまう。


「……花が、代わってくれたんですよ」


『川崎さんが……?』


 そこで洋助は何をじっくり精査するように黙り込んでしまう。

 二人の間に意味深な沈黙の壁が降り立つ。


(なんだよ、この感じ……)


 哲矢は分からなくなっていた。

 

 〝自分たちの気が済むまで好きに色々やってみるといい。責任は僕がすべて取るから〟


 今朝、洋助にそう言われて別れたはずだ。

 清川に対しても毅然とした態度を貫く洋助を見て、哲矢はその勇姿に感動したはずであった。


 にもかかわらず、なぜ彼を疑うような状況が生まれてしまっているのか。

 この絡まった糸を放置しておくことは、明日の計画の崩壊を意味しているように哲矢には思えた。


 それだけは避けなければならない、と哲矢は強く思う。


(とにかく、花になにを言ったのか訊かないと……)


 困惑する哲矢であったが、あくまでも自然な体を装って洋助との会話を再開させる。

  

「ところで風祭さん」


『う、うん?』


「さっき二人でなに話してたんですか?」


『あ、いや……』


 やはり、洋助の歯切れは悪い。

 何か口にすることを躊躇っているのは間違いなかった。

 

 そして、彼はその感情を隠すように逆に質問を返してくる。


『……哲矢君、ひとつ訊きたいことがあるんだけどいいかな?』


 彼は強引に話を切り替え、自らのペースに持ち込もうとしていた。

 

 なんだかはぐらかされているようで納得はできなかったが、ここで反論しても事態が好転するわけではなかったので、ひとまず哲矢は洋助の質問を受け入れることにする。


 「どうぞ」と哲矢が口にすると、洋助は感謝の言葉を前置きしてから改めて質問を投げかけてくる。

 だが、その問いはあまりにも唐突なものであった。


『哲矢君って、Twinnerのアカウントは持ってるかい?』

 

「……は?」

 

『Twinnerさ。もちろん使ったことくらいはあるんだろう?』


 まったく予期していなかった質問が飛んできて、哲矢の頭は混乱してしまう。

 こんな質問が花の動揺を誘うきっかけとなったとはどうしても思えなかったのだ。


 哲矢は眉をひそめ、花のスマートフォンを強く握り締める。

 一方の洋助はというと、そんな哲矢の態度を知ってか知らずか、より一層語気を強めて話を続けてくるのだった。


『重要なことなんだ』

 

「はぁ……」


 結局、哲矢はその気迫に押される形で事実を口にする。


「一応、持ってますけど」


 プライベートなツイートがないわけではなかったが、別に洋助に隠すほどのことでもなかった。


「でも、ほとんど地元の人間との簡単なやり取りにしか使ってないんで、その程度ですけど……。それがどうかしたんですか?」


 質問に隠された意図が読めず、哲矢の口調はつい強くなってしまう。

 

『そっか』


 その哲矢の返しに洋助は何かを考えるように黙り込んでしまう。

 電話口には二度目の沈黙が降り立つのであった。


 それから暫しの後、息を深く吸い込む音と共に声が聞こえたかと思えば、彼はさらに質問の上塗りをしてくる。

 律儀な洋助らしからぬ言動のように哲矢には思えた。


『……ちなみに、今そのアカウントはどうしてるのかな?』


「ありますけど……ほとんど使ってないですよ。スマホも壊れちゃいましたし」


『でも、パソコンからログインすることもできるでしょ?』


「確かにできると思いますけど、でも俺、スマホからしかTwinner使ったことがないんで」


『じゃあ、ログインに必要なパスワードを最近誰かに教えたりしたことは?』


「そんなの、あるわけないじゃないですか。大体、こっちに来てから忙しくてTwinnerの存在すら忘れていたくらいですから」


『そう……』

 

 まるで、取り調べを受けているような気分であった。

 その執拗さに哲矢の疑念は膨らんでいく。


(一体、なにが訊きたいんだ?)


 洋助に対する哲矢の不信感は募る一方だ。


 その後もタイミングを見計らったように押し黙る洋助の態度に、哲矢はいい加減煮え切らなくなってくる。

 我慢は限界に達しようとしていた。


 もう洋助を問い詰める以外、真意を訊き出す方法は残されていない。

 そう思い、身を乗り出す哲矢であったが……。

 

 その時――。

 あることを思い出してしまう。

 

 無意識のうちにズボンのポケットに伸びていた手がそれを教えてくれたのだ。


「……そうだ、机の中に入れっぱなしだ」


 完全に思考と直結した言葉を哲矢は思わず口にしてしまう。

 その不自然な呟きは、電話の向こう側にいる洋助にも伝わったようで、「えっ?」という驚きの声が返ってくる。


「あ、いや……。そういえば、スマホ教室に置いてきたままだったなぁって思い出しまして」


『……教室? なんで教室なんかに置いてきたんだい?』

 

 その口調はどこか怒っているようにも聞こえ、哲矢はつい対抗した声を上げてしまう。


「なんでって……特に理由はないですけど」


『…………』


 それを聞いて洋助は再び黙り込んでしまった。


(なんなんだよ、さっきから……)

 

 まったくもって話が進展しないことに哲矢は苛立ちを感じ始める。

 

 こうなると花に直接話を聞いた方が早いのではないか、という気が沸き起こってくるが、当の本人は依然として人目を気にすることなく廊下に尻もちをついたままで、放心状態が抜け切れていないのは一目瞭然であった。


 そんな花の姿を横目に眺めていると、自分の与り知らないところで何か大変なことが起きつつあるのではないかという気がしてしまう。


 結局、哲矢は詰め寄ることもできず、洋助の選択にすべてを委ねてしまっていた。

 向こう側からゲートが開かれるその瞬間まで、哲矢も愚直な沈黙の中に身を沈めることにするのだった。




 ◇




 それから――。

 どれくらい経過しただろうか。


 時間に換算すればほんの些細なものだったかもしれない。

 けれど、哲矢にとっては考えをまとめる良質なひと時となっていた。


 そして、それは洋助にとっても同じようであった。

 彼は熟考の果てに答えを見つけたのか、真意を打ち明ける覚悟を決めたようであった。


『……哲矢君、いいかい? あのね……』


 ごくりと唾を飲み込み、哲矢はその声に耳を傾ける。

 とても大事なことを伝えようとしているという雰囲気がすぐに伝わってきた。


 けれど、なぜか耳は拒絶反応を起こし、上手く聞き取ることができない。

 通話の音量を上げて意識をさらに集中させると、ようやく洋助が口にしている言葉が頭に届き始める。


 だが、しかし……。

 

 肝心なところで直感が警告を鳴らすのだ。

 〝これ以上は聞かない方がいい〟と。


 すると、見計らったかのようなタイミングで花の声が上がる。


「哲矢君っ……!」


 不安そうに覗き込む瞳と目が合う。

 スマートフォンを握る手が汗ばむのを感じながら、哲矢は改めて洋助の声を正確に聞き取ろうと努めた。


「す……すみません、風祭さんっ。もう一度、お願いします!」


 その緊迫感が伝わったのか。

 洋助はひと呼吸置くと、再度同じ台詞を口にする。


 やがて――。

 言葉がスッと体の中に染み渡っていくのが哲矢には分かった。

 そこで初めて哲矢は彼が伝えようとしていた内容の理解に至る。


(……う、そだろ……)


 それは、結果的に甘い幻想を打ち砕く引き金を役割を果たしてしまう。

 気づけば、哲矢は洋助の言葉を復唱していた。


「俺の正体がネットに漏洩している……?」

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