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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
102/421

第102話 奇人との遭遇

 一兵の前の席に座ってからしばらくの間、哲矢は花と共に彼に声をかけるタイミングを見計らっていた。


 授業の半分の時間が経過しようかというのに、依然として担当の教師は現れない。

 結局、数名の有志が職員室へ行くことになったようで、彼らがホールから出ていくさまを哲矢は黙って見つめていた。

 

 彼に話しかけるチャンスはもうほとんど残されていない。

 教師がやって来て授業が始まれば、あとは放課後しか機会はなかった。


(くっ……。そろそろ声をかけなきゃっ……)

 

 同じく焦りの表情を浮かべる花と哲矢は目が合う。

 それで哲矢の決意は固まった。

 

 ゆっくりと振り返り、哲矢は一兵の方を向く。

 すると――。


「流儀とはなんだと思うか?」


 突然、一兵が何か呟くのを哲矢は耳にする。


「えっ……」


 最初、それは独り言のように哲矢には聞こえた。

 一兵は未だに書物に目を落としたままであったし、まさか自分たちが声をかけられるとは思っていなかったのだ。

 

 しかし、彼の周囲には自分たちしかいないことに哲矢は気づいていた。


(俺らに言ってるのか?)


 言葉の意味が分からず哲矢が返答に詰まっていると、彼はさらに大きなトーンでこう続ける。


「風格とはなにか? 体裁とはなんだと思う?」


 まるで禅問答のようだ。  

 熱の籠った彼の声が哲矢の頭の中でリフレインする。

 

(この問いに答えられなきゃ、会話すらさせてもらえない……?)


 よく分からないプレッシャーを抱えつつ、哲矢は必死に答えを模索する。

 花も緊張した面持ちで哲矢の返答に期待の眼差しを向けていた。

 

 今、哲矢と一兵の間には、周りの喧騒が嘘のように、信じられないほど静寂な一本の糸がピンと張られていた。

 

(くそっ……試験なんだな!?)


 こうなれば頭に浮かんだものを正直に口にするしかない、と哲矢は思った。

 次の瞬間、哲矢はそれっぽく聞こえる言葉を恐る恐る口にする。

   

「……す、すべて……己に帰結するもの、だと思う……」


 哲矢がそう言うと、花は額に手を当てて天を仰いだ。

 『そんな抽象的な台詞で誤魔化せるわけないじゃん!』というような渋い顔を浮かべている。

 哲矢も内心で〝やっちまった〟とすぐに反省した。


 しかし――。

 一兵は分厚い書物から目を離すと、どういうわけか嬉しそうに口元をつり上げる。


(ま、まさか……これで合ってたっ!?)


 そのまま彼は書物を静かに閉じると、大きく頷きながらこう口にする。

 

「世界最強コスプレイヤー、ユリヤパンデラ名言集、41章10節……」


「名言読み上げてただけかよっ!」


 結局、哲矢たちが勘違いしていただけで、彼はただ独り言を口にしていただけのようだ。


(てか、コスプレ奥が深すぎんだろ……)


 なんだか緊張していたことがバカらしく思え、哲矢は「はぁ……」とその場で小さくため息を漏らす。

 すると、ようやくそこで一兵は哲矢たちの存在に気づいたようであった。


「誰だ貴様らは」


「……やっと気づいたのかよ」


「いつからそこにいる?」


「結構前から座ってたぞ」


「なんだ? 吾輩になにか用か?」


 その時、哲矢は初めて一兵と目が合う。

 警戒心の強いその眼差しは見る者を一歩退かせるほどの眼力があった。


 初めて一兵の顔をまじまじと眺めた哲矢は、彼の内からはみ出る得体の知れないオーラに圧倒されそうになる。


 一兵の輪郭はどこか混沌としていて、一生擦っても剥がれ落ちない黒い塊のようなものが付着しているように哲矢の目には映った。

 それは彼の人生と共に成長して育ち、いつしか箱から取り出せなくなる球根のようで。


 とにかく、他の男子生徒とは明らかに違う雰囲気が一兵にはあった。

 

 普通の生徒なら、彼と親しくなろうとは思わないことだろう、と哲矢は思う。

 自分もそちら側へ引きずり込まれてしまうかもしれないからだ。

  

 だが、今の哲矢たちにとって彼の存在はとても貴重なものであった。

 これほどの雰囲気を持った者でなければ、体育館のステージで皆の心を動かすことなどできない。

 明日の計画を成し遂げる上で、まさにうってつけの人物と言えるだろう。


(ここは慎重に返事すべきだな)


 再び舞い降りてきた緊張感を抱えつつ、哲矢は難敵をどう攻略するか思案する。

 けれど、すぐに彼の予想外の笑顔によって、哲矢の緊張はかき消されることとなる。

 

「……いや、すまん。ぶっきら棒に」


「えっ」


「吾輩は稲村ヶ崎だ。わざわざ声をかけてくれてありがとう」


 そう言って一兵は手を差し出してくる。

 

(な、なんだ……。意外とまともなヤツじゃないか)


 調子良く哲矢も自らの名前を名乗ると彼と固い握手を交わす。

 それは文字通り、間に物が挟まった固い握手となった。

 

 ビリビリビリビリッ!!

 

「ぎゃーーっ!?」


 その一瞬、哲矢の体に電流が駆け巡る。

 反射的に手を離した哲矢は、衝撃で椅子から転げ落ちてしまう。

 

「わぶァっ!」


 そのまま階段の角に頬をぶつけるのだった。

 不幸にも、先ほど二宮に蹴られた箇所だったので痛みは倍だ。


「ひッひッひッ~~♪」


 そんな哲矢の姿を見て、一兵は上から面白おかしそうに腹を抱えて笑っていた。

 

「だ、大丈夫っ!?」


 花がすぐさま哲矢の元へ駆けつける。

 近くに座った生徒たちは、まるで色物を見るような目で一兵の姿をジロジロと見ていた。

 

「こんな簡単な手に引っかかるヤツがいるとは!」


 一兵が種明かしをするように手の平を見せてくる。

 アヒルのキーホルダーだ。

 おそらく、パーティーグッズか何かで電流が流れる仕組みとなっているのだろう。


 彼はそれを指先で回しながら楽しそうにこう続けた。

 

「気に入ったぞ。マヌケな男は大好きだ」


「……そりゃどーも」


 やはり、相当の奇人であるのは間違いないらしい。

 

(けど、まあ……)


 哲矢は内心ではホッとしていた。

 改めて彼以外に応援者を頼める者がいないことを認識する。

 

 応援演説は注目を集めることが重要だ。

 普通の者の話では、退屈に敏感な生徒の注目を集めることはできない。

 その点で考えれば一兵は間違いなく要件を満たした人物である。

  

 中等部時代の片鱗は覗けないのではないかと心配していた哲矢であったが、どうやら取り越し苦労であったらしい。

 彼の姿は、腐らず常に準備をする者に哲矢には見えた。

 

 一兵が応援演説で皆の関心を引き寄せ、花が社家に核心を問う。

 完璧なシナリオだ、と哲矢は思った。

 

 尻を払ってその場から立ち上がると、哲矢は一兵の席に近づき、彼に小声でこう口にする。


「実は、あんたに協力してほしいことがあるんだ」

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