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ガラスの魔王  作者: 久陽灯
第一章 魔術師とバキールの怪物
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第4話 古代竜と回復魔法

 突然目の前が真っ白になるほどの眩しさに襲われ、セトは思わず手をかざした。

 灼熱の光が古代竜の口から放たれたのだ。

 他の魔術師が張った魔法防御の結界が辛うじて地上の補給隊を守ったものの、一撃でヒビが入り、魔術師は悔しげに悪態をついた。


「だめだ、次来たら結界が持たないぞ!」


 光線は中空で舞っていた偵察の飛竜にまともにあたったらしい。

 一匹の飛竜が苦しげな悲鳴をあげて落ちてくる。


「味方の飛竜が落ちた!」


 そんな声が聞こえる中、セトはやっと冷静さを取り戻した。


「オートソルを出す! 味方の飛竜を戻すように言ってくれ!」


 ラインツに向かって叫んで、結界の外に走り出す。

 馬車の上に登った兵が赤い手旗を振ると、味方の飛竜が急降下してきた。


 セトは杖を出すと口の中でオートソルの呪文を唱えた。

 周りから魔気が立ち上り『精霊の唱和』と呼ばれる不可思議な音楽が鳴り響く。

 と、杖から一陣の閃光が打ち上がり、高く高く飛んだ後、花火のように中空に複雑な魔法陣を張り巡らせた。

 飛竜や古代竜の高さを遙か遠く越えた空の彼方に、金色の巨大な魔方陣が現れる。

 その真ん中から、次々と光球が飛び出してくる。

 光球は複雑な軌道を描いて飛び回り、敵の飛竜部隊を追い回した。


 対飛竜用に開発された古代魔法、オートソルは空を飛ぶ全てのものを等しく攻撃する。

 敵の飛竜乗りは必死にかわそうとするが、人と同じくらいの大きさの光球はしつこく飛竜たちを狙い、打ち落としていく。


 古代竜にも数発はあたったようだ。しかし流石に魔力を弾く鱗のせいかびくともしない。

 それどころか、光球を生み出す魔法陣に向かって一直線に進んでいく。

 オートソルの弱点を見透かされている。セトはいまいましい思いで古代竜の行く先を見つめた。


 古代竜は光の球を一身に受けながらも、それをものともせず、中空に浮かんだ魔法陣を突き破った。

 黄色く光る魔法陣は一気に粉々になり、飛竜を追っていた光球は全て消える。

 オートソルは破られた。

 しかしこちらもそれは想定ずみだ。


「乗せてくれ!」


 言うなり、セトは降りてきていた味方の飛竜の後ろに乗っていた魔術師を押しのけた。

 飛竜から落とされた魔術師が抗議する。


「いきなり何をする!」

「お前は地上で魔力防御の結界を張っててくれ!

 あと一撃来たら馬車は終わりだ!」


 セトはそう返し、自分が飛竜の後ろに飛び乗った。

 飛竜の乗り手は黒髪の若い女だ。

 彼女は後ろを向いて信じられないといったような眼差しで反論した。


「相手は古代竜なのよ! 今飛んだらいい的だわ!」

「いいから飛べ!」

「……どうなっても知らないわよ!」


 捨て台詞とともに女は飛竜の脇腹を蹴った。

 ざん、という翼の音を立てて、飛竜が赤い砂を蹴って飛び上がる。

 その瞬間、敵の飛竜が上から突っ込んできた。

 相手は二人乗りで、後ろに座った魔術師の杖が光っている。

 一人は飛竜の制御に集中し、後ろに乗ったもう一人が対人魔術を使うのが、正式な飛竜の戦い方だ。


 セトは鞄から魔石を取り出し、短く呪を唱えて魔術師に投げ付けた。

 魔石は途中まで魔術が完成している分、発動までの時間が短い。

 おまけに、この魔石には増幅に継ぐ増幅の魔術を込めてある。

 はたして、相手の術が完成する前に、空はおろか地面までもが巨大な灰色の煙幕に包まれた。

 相手の魔術師が放ったであろう熱線が頭上を通過する。


「ちょっと、私も見えないじゃない!」


 飛竜の前に乗った味方がぼやいた。


「大丈夫、私には見えている」


 セトは落ち着いて言った。

 魔術師を乗せた飛竜たちの目が見えなくなった今、警戒すべきは古代竜だけだ。

 その圧倒的な魔力を総動員して、セトたちを探しているだろう。

 彼は休む間もなく呪文を唱えた。


「おい、古代竜にインチキが通用するのか?」


 鳥がそう言ったが、もはや選択肢はなかった。

 と、煙の中から銀の顎が突然現れ、セトたちのすぐ横を掠めてがちっと歯の音をたてた。

 ミラージュ、つまり位置撹乱の魔術でこちらの位置を惑わさなければ、今頃あの鋭い牙の餌食になっていただろう。

 古代竜の大きなアーモンド型の黄色い瞳がセトを捉えたとき、彼は初期の神聖ヴィエタ語で呼びかけた。


「古代竜よ、なぜ人間の戦に力を貸す? 

 いかなることがあろうとも人間の戦いには干渉しない、それが古代竜の流儀だったはずだ!」


 鱗に覆われた顔はすぐに煙の中に消えた。

 返事が返ってくるか不安だったが、割れ鐘のような神聖ヴィエタ語の声が灰色の霧の奥から聞こえた。


「おまえたちは我々の地を侵した。

 もはや我々の住むことができる土地はこの東の地のみ。

 『竜の牙』はこの場所を永久に守ると約束した。

 我々は、おまえたち侵略者を排除するだけだ」


 その声は紛れもなく古代竜のものだった。

 セトは灰色の煙に向かって、むせながらも食い下がった。


「『竜の牙』さえ引き渡してくれれば、私たちだってこの土地を侵略する気などない!」

「我々は彼ら『竜の牙』の味方だ。

 彼らはドラゴンマスター、飛竜と共に生き、戦う魔術師たちだ。

 お前たちのような寄せ集めの烏合の衆とは違う。

 どちらを信じるかなど明白だろう。

 さて、もうそろそろ話は終いだ。

 ……もはや我等の間に話し合いなど不要であろう」


 その瞬間、霧の中から白い光線が発射された。

 ミラージュの呪文さえ間に合わなかった。

 飛竜が運良く右にかわさなければ直撃していた。

 やはり、向こうも魔力をつかってこちらの位置を掴んでいたのだろう。

 セトは呪文を唱え、ありったけの魔力を右手にこめた。

 鳥がついた杖の持ち手の下に、奇妙な両刃の剣が出現した。

 この杖のもう一つの特徴である、魔力を断ち切る魔力の剣。

 これを出現させるのは久々だ。


「いやっほう、見やがれ、俺のアルティメット完全体を!」


 インコが愉快そうに叫ぶが、こちらにはそんな余裕など全くない。

 かなりの魔力を使うので、この剣はなるべく出さないことにしているが、対古竜戦なら話が別だ。

 こちらの魔力を全解放し、霧の中にいる一際巨大な魔力の塊を見つけ出す。


「そのまま右に、全速力!」


 飛竜乗りに支持を出すと、セトは杖を反転させて刃を上に向けた。

 灰色の煙で周りが見えない中、彼らの飛竜が突っ切る。

 セトの手に振動が伝わった。

 血がさっと流れ、持ち手に垂れる。

 銀色の巨大な鱗が剥がれて落ちていく。

 これが、魔力を断ち切る魔力の剣の能力だ。

 古代竜の対魔力の鱗でさえも防ぎきれない、圧倒的な力。

 セトが思ったよりも浅かったが、腹に傷を負った古代竜は割れ鐘のような声で吠えた。

 そして、煙の届かないところまで上昇していく。


「ブレスが来る!」


 飛竜乗りがそう言う前に、セトは素早く杖を反転させ、魔力障壁の呪文を唱えた。

 魔方陣を張った瞬間、衝撃とともに真っ白な光に包まれる。

 古代竜が激怒したときのブレスは、流石に初代魔王の杖にさえもびりびりと響いた。


 そのとき、高く鳥の音のような笛が響いた。

 古代竜の魔力が遠ざかっていく。

 同時に、オートソルに撃ち落とされなかった相手方の飛竜も飛び去っていった。

 あれは撤退の合図だったらしい。

 セトはほっと息をついて、杖の解除の呪文を唱えた。

 どうやら、古代竜たちは自分たちが知らない攻撃を受けて警戒したのか、諦めて本拠地に引き返していったようだ。

 煙幕が薄くなっていくころには、相手の竜たちの姿も見えなくなっていた。


 馬車の近くに飛竜が赤い砂を巻き上げて舞い降りる。

 ざっと見たところ、荷馬車への被害はないようだった。

 しかし、急ごしらえの白い担架の担架が二つ、兵士たちが馬車の方へ運んでいるのを見て、セトはぎくりとした。

 最初にブレスを浴び、撃ち落とされた飛竜乗りたちに違いない。

 セトの前に飛竜から飛び降りた女は、担架の方へ全速力で駆けていき、叫んでいる。


「キースは無事? ナスカはどうなの?」


 兵士が沈痛な面持ちで首を振った。


「飛竜と後ろの魔術師は即死だ……前の飛竜乗りも、もう駄目だ……」


 セトも担架を運んでいる兵士のそばまで寄っていった。

 白い布からは赤黒い染みが浮かんでいる。

 飛竜乗りの女が、深く頭を垂れて、地面を見つめていた。

 そのとき、一つの担架の布が、僅かに動いた。


「おい、今動いたぞ! こっちは生きてる!」


 兵士が止めようとしたが、セトは思わず担架に近づいて白い布をめくった。

 そして、はっと息を飲んだ。

 赤黒くぶつぶつと焼けただれた顔。皮膚の半分がずるりとむけている。

 しかし、かろうじて口とわかるものだけは、焼けた喉で呼吸を続けていた。

 その呼吸が、最後の生のあがきのように布を僅かに持ち上げていたのだ。

 軍医であろう、担架を運んでいる兵士が静かに言った。


「……だから言っただろう、もう助からん」


 が、その言葉に反するように、担架の上の彼は、白い布ごと焼けただれた腕を持ち上げた。

 そして、震えながらセトの手を握ろうとする。その手もまた、皮膚が焼け落ちて肉が見えている。


 そのとたん、昔の思い出が蘇った。

 彼は、かさかさに干からびた包帯だらけの手を握ったことがある。

 火事に遭い、大怪我を負い、それでも生きようとし続けた手だった。

 彼女は光を奪われてなお、機知に富んだ会話を好み、ときには歌を口ずさみ、最後まで優雅で、そして高貴であり続けようとした。

 そして、それを無残に砕いた絶望のことも同時に思い出す。

 あのときはセトに力もなく、その人を救うことはできなかった。

 しかし今。

 彼には世界最強の杖がある。


「……もう助からない?

 そんなこと、誰が決めたんだ。

 そこに担架を下ろしてくれ」


 運んでいた兵士たちは困惑気味に担架を下ろした。

 急いで運んでも、もう仕方がないと思っているからだろう。

 セトはもう一度杖を出す呪文を唱え、そこから急いで次の詠唱に入った。


「おい、あれは『初代魔王の失敗作』じゃないか」


 彼が何の詠唱をしているかに気付いたのだろう。

 周りで見ていた魔術師が、首を傾げて話す。


「セト、その呪文は止めろ!」


 ラインツの制止する声が聞こえたが、セトはそれを無視した。

 詠唱が進むにつれ、魔気が散り、乾いた砂が舞い上がった。

 大がかりな魔術を使うときに魔気と空気が反応して起こる『精霊の唱和』は、力強く優しい歌声のように荒れ地に響いた。


 この魔術はこの世で唯一の回復魔法である。

 回復魔法といえば聞こえはいいが、普通の魔力では小指のささくれを治すので精一杯という、軟膏のほうがよほど効き目が高いと呼ばれている『初代魔王の失敗作』として有名だ。

 しかし、恐ろしく魔力を消費はするが——少なくとも、この魔術は失敗作ではない。

 それを証明するように、セトが杖を振り下ろしたところから、目や鼻の位置がはっきりと見えだした。血管が浮き出たあとに白い皮膚がそれを覆う。まるで時が逆戻りするように、担架に乗せられた患者の顔が再生されていった。胴体にも同じ変化が起きていて、手や腕の火傷も音もなく治っていく。

 全員が口をあんぐりと開けて見守る中、セトは魔力をふりしぼって治療を続けた。全身の火傷が全てなくなったのか、担架に乗せられた魔術師は、とうとう意識を取り戻し青色の目をあけた。


「僕は……死んだのか?」

「まあ、ほとんどは」


 セトはそう言って、杖を光にとかして座り込んだ。

 魔力の剣を出した後に、この回復魔法を使うのは、流石に無茶がすぎた。

 少し休まねば身体が持たない。

 担架の上の魔術師が回復したと分かったとたん、セトの周りにわっと兵士たちが集まってきた。


「あんな回復の魔術などなかったはずだ……どう考えても信じられん」

「あれは『初代魔王の失敗作』だろう? どうやって成功させたんだ」


 セトは魔力を使いすぎた眠気に抗いながら、軍医に言った。


「いいから、あの魔術師を早く馬車に運んでやってくれ。

 流れた血はさすがに治せないから、しばらくは寝かせてやらなくちゃならない」


 いつの間にか、エディスもドレスの裾を引きずりながら馬車から出てきていた。

 馬車から降りては危険です、と召使いに止められながらも、セトの方へ笑顔で近づいてくる。


「素晴らしいですわ……魔術とはいろんな可能性があるのですね。

 人を癒やせる魔術なんて、本当に素敵な……」

「エディス様、お待ちを!」


 いつの間にかセトのそばにいたラインツが、厳しい顔をしてその讃辞を遮った。


「エディス様も含め、皆に告げる」


 彼は、ぐるりと周囲を見渡して叫んだ。


「ここで見たこと、聞いたことに関しては、一切他言無用だ!

 この命令に違反した者は、誰であろうと厳罰に処す!

 さあ、分かったらさっさと馬車の準備をしろ!」


 兵は皆、唖然とした顔になった後、急にぴりっとした雰囲気になり、忙しく働き始めた。

 ラインツは、セトにただ一言、馬車を指さして冷たく言った。


「乗れ」






 そこからはとりたてて妨害もなく、味方の野営地があるガスウェルについたのは日が陰る夕方過ぎごろだった。

 その数時間、彼らはほぼ口を聞かず、気まずいまま乗り続けた。

 なぜ飛竜乗りを救ったことでここまでラインツの機嫌が悪くなったのかは分からなかったが、セトもあまり話をする気分ではなかった。

 それに、魔力を使いすぎたせいで、ぎすぎすした空気すら気にならなかった。

 一番気まずかったのは、おそらくエディスだったに違いない。


 ガスウェルの村は、とてもではないが一万人が暮らせるような大きな村ではない。故に村の囲いの外までずらりと天幕が張られ、まるで遊牧民の村のような雰囲気が漂っていた。

 ご婦人方は迎えの修道女が来るまで馬車に残っていてください、とラインツが丁重に言った後、セトはまるで首根っこを捕まえられるようにして馬車から連れ出された。


「さっきから何が気に入らないんだ」


 放り出されるようにして馬車から下ろされ、さすがにセトも文句を言った。


「見せたいものがある」


 眉を寄せた厳しい表情のまま、ラインツがセトの肩を押さえてすたすたと歩いてく。

 行き先は、大きな白い天幕だった。


「ラインツだ。入るぞ」


 そう声をかけて、ラインツはセトを押し込むようにして天幕の中に入った。

 セトの足が止まった。

 一歩入った瞬間に、据えた匂いがした。うすぐらいランプにたかるハエの群れ。

 その下には、包帯にまみれた数え切れないほどの兵士たち。

 ベッドが足りないのか、床にじかに毛布が敷かれたうえに、ごろごろと転がっている。

 うめき声を上げている者もいれば、祈りを唱えている者もいる。

 そして、ぴくりとも動かない者も。


「ラインツ様。お戻りになりうれしゅうございます」


 タクト神教の修道女の服を着た看護婦が、ラインツを見てうやうやしく頭を下げた。


「今日新しく入った怪我人は?」

「ざっと五十人ですわ。亡くなったのは約二十人。

 先日支給して戴いた薬も、もうほぼ底をつきました」

「ああ、今日の補給馬車に追加が積んである。すぐ届けさせよう。では、邪魔したな」


 白い天幕から出てきた後、放心状態のセトにラインツが尋ねた。


「で、あの回復魔法は一日に何回使える?」

「……二回が限度だ。三回使えばこっちの身が危うい」

「だろうな。だがさっきのあれが現実だ。

 おまえにあの全員の治療が出来るか?

 たとえ一日に二人の治療をし続けたとしても、戦争が終わるまで犠牲者は延々と増え続ける。

 それに、回復魔法が使えると知られてみろ。

 誰だって命は惜しい。

 助けを求められたとき、おまえは魔力切れだからといって断ることができるのか?

 悪いことはいわん。あの魔法が使えることは秘密にしておけ」


 ラインツの機嫌が悪かった理由が、今ではセトにもはっきりと分かった。

 誰かを選んで治療することは、同時に誰かを見捨てることにも繋がるのだ。

 釈然としない理由だが、万能の神ではない以上、全ての人間を助けることなどできはしない。


「セト、おまえに治療の仕事は頼んではいない。

 おまえの魔力はこの反乱を止めるために使え。

 後一月と少しで冬に入る。

 その前に終わらせなければ、この野営地ではますます戦いづらくなるだけだ」


 ラインツの言うことはいちいち頭にくる。

 しかしそれは正論でもあった。

 こんな不毛な戦いは、早く終わらせなければならない。

 セトは一番星が光り始めた東の空を見上げた。


「わかった。こんな馬鹿げたことは、二週間で終わらせる」

「やる気を出してくれてなによりだ」


 ラインツはそう言ったが、これはやる気などではなかった。

 『竜の牙』への憎悪とも違う。

 理不尽な暴力を目撃したことに対する、根本的な怒りだ。

 彼は、思った以上にこの戦いに深入りしてしまっていることに、今更ながら気付いた。

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