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ガラスの魔王  作者: 久陽灯
第二章 ガラスの魔王
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第17話 魔石

 月は分厚い雲に隠されていたが、雪は既に止んでいた。

 セト達の乗った馬車は、昨日積もった雪を踏みながら森の中の街道を駆け抜けていた。

 街の城門の守備兵たちは、ティルキア王が用意してくれた緊急許可証を持つ御者に騙され、あっさりと門を開いた。

 それは幸運だったのだが、王都を出ることができても、そこからどこへ行くかの指針が全く立っていなかった。


 馬車の座席に身を預け、セトは目を閉じて今からどこへ行くか考えていた。

 ヴェルナースより北は、ほとんど人がいない氷の世界となる。

 そんな場所で長く暮らせるはずもない。

 ティルキア政府の手の及ばない場所へ、とティルキア王は言っていたが、国際魔術師連盟が絡んでいる以上、彼らの手は世界中に回るだろう。

 魔術師の出入りを法律で禁じているレムナードという国もあるが、そこに長居してセトの経歴が明らかになった場合、今度は彼の命が危うい。

 ならば、西周りでレムナード国を通り抜け、カサン王国へ渡るか。


「セト。目を開けて、こっちを見て」


 ロゼが彼の袖を引っ張ったので、セトは無理矢理目をこじ開けた。

 やはりまだ目は回っている。

 馬車の激しい揺れと目まいがまざり、少々気分が悪くなってくる。


「どうした?」


 セトの目を青い瞳でじっと見つめ、いつになく真剣な調子で彼女は尋ねた。


「ねえ。ママは、死んだの?」


 しまったと思うと同時に、彼は自分たちの迂闊さを呪った。

 一番気付かれたくない相手が側にいるにもかかわらず、そのことについて牢屋で至極みっともない喧嘩をした。

 ロゼが街を出るまで無駄話をせず、聞き分けよく馬車に乗っていたように思えたのは、眠かったからではなく、母親のことをずっと考えていたからなのだろうか。

 どう言ったものか、セトには判断がつきかねた。

 沈黙があたりを覆う。

 が、いきなりロゼの顔がぱっと明るくなった。


「なーんだ! ママは死んでないのね!

 だったらパパにも教えてあげればよかった!」


 セトは口をぽかんと開けた。

 彼は何も言っていないのに、ロゼはにこにこ笑い出した。


「パパったら、ママはお星様になったっていうの!

 お爺様が亡くなったときもそう言ったわ。

 きっと、遠い国にいたからわからなかったのね!

 よかった! 本当によかった!」


 煙に巻かれたような気持ちになりながら、きゃっきゃと騒ぐロゼを横目で眺めた。

 どうやって読み取ったのか分からないが、ロゼがセトの心の中を読んだのは確かだ。

 小さな女の子にそんな洞察力があるとは思えないが、どうもこの子はよすぎるくらいに勘がいい。


 あのひとは、決して死んではいない。

 ただ、生きているとも言い難い。

 ロゼの首から僅かに見えるミスリルの鎖をちらりと眺め、彼はあのときのことを思い出した。






 女王の居室としては、とても考えられない荒れ果てた部屋だった。

 一度彼女から手を離し、彼は目を閉じて息を吐いた。


「話は分かった。私はその教会に行って、娘を連れ出せばいいんだな」

「ああ。苦労をかけてすまないが、そうしてくれれば私の不安も消える」


 礼ができなくてすまんな、と彼女は悪びれもなく笑った。

 まるで十年前と同じように、快活で朗らかな笑い声だった。

 この笑い声が、世界からなくなるなんて考えられない。


 天啓のように、とんでもない考えが彼に落ちてきたのはそのときだった。

 できるかできないかは分からない。

 しかし、『初代魔王の杖』を研究する中で、魔石生成の構築方法は嫌というほど学んでいる。

 ここで今、実践しなければ一生後悔するに違いない。

 セトは思わずマリアンの肩を掴み、碧色の澄んだ瞳を見つめた。


「あなたは昔、私に言った。

 マリアン・オリンピアは未来永劫おまえのものだ、と」

「……そうだな」


 彼女は過去を見るように瞳を泳がせた。

 しかし、彼はただの思い出話をしているつもりは毛頭なかった。


「その約束を、今果たしてもらいたい」

「どういうことだ?」


 怪訝に聞くマリアンに、彼は直球でぶつけた。


「あなたの魂の半分を私にください」


 あははは、と彼女はまた楽しそうに笑った。

 多分、冗談だと思っているのだろう。


「いいだろう。どうやって持っていくのかは知らないが、元々おまえに捧げたものだ」


 彼女がそう言った瞬間、彼は既に杖の出現の呪文を唱えていた。

 ついで、次の呪文の詠唱に入る。

 魔術を使うときに出る『精霊の唱和』が、恐ろしいほどに大きくなり雷鳴のように轟く。

 杖の先が、先ほどとは比べものにならないほど明るく輝く。

 複雑な光の魔方陣が、彼ら二人を覆った。

 この一番大切なときに、鳥は彼が何をしようとしているかやっと気付いたらしい。

 途端にぎゃあぎゃあと叫きだした。


「おいおいおい、それは禁術だろ!

 しかも贄も使ってないんだ、たとえできたところで絶対安定しないぞ!

 おまえに使いこなせるわけがないだろう!」

「……黙ってろ!」


 セトは瞬時に杖を黙らせる魔術を織り込むと、また次の呪文へと入った。

 増幅に継ぐ増幅。凝結に継ぐ凝結。

 最初に構築した魔方陣は徐々に収縮していき、最後には手のひらに載るほどの大きさとなる。

 そして、杖の先で明るく輝く一点の星のようになったとき。

 彼はその杖を、女王へと向けた。

 眩しくて目を細めている女王の心臓へと、魔石の素を送り込む。

 輝きは心臓のあたりにすっと入り込む。

 ゆっくりと上って喉を通るのが、はっきりと分かった。

 女王は胸を押さえてよろよろと後ろに下がり、その口から、輝く魔石が吐き出され、空中をふわふわと漂った。

 それは女王の髪の毛と同じような、太陽の色をしていた。


 成功した。とりあえず、ここまでは。

 セトはその魔石を傷つけないようにそっと捕まえると、魔石入れのペンダントに入れ、かちりと留め金をかけた。

 杖を消して、彼はようよう大きく深呼吸した。

 彼女もベッドに腰掛けて、肩で息をしている。

 魂の半分を魔石にされたのだ。相当疲れただろう。

 しばらくして、ぽつりと彼女が聞いた。


「それが、私の魂の半分か?」

「そうだよ」


 セトはペンダントを掲げた。ロケットの空かし部分から、赤い光がちらちらと覗いている。

 彼女は、先ほどより少し楽になったらしく、心から珍しそうに言った。


「思ったより小さいな」


 魂の魔石。

 理論上作れることは知っていたが、今まで成功したことはなかった。

 実は『意志を持つ杖』も、この方法で作られたと彼は睨んでいる。

 魂の魔石を鳥の瞳にはめ込んでいるのだ。


 これの魂の魔石さえ残っていれば、杖のように依り代を元にして、彼女を蘇らせることができるかもしれない。

 だが、簡単ではないだろうということは予想できる。

 魂の魔石の作り方さえ、五年がかりで研究し、失われた部分は自己流で構築したものだ。

 ここから『意志を持つ杖』のような物体を作り上げるには、途方もない時間が必要だろう。

 それでも彼女を蘇らせるには、一縷の望みにかけるしかないのだ。






 ふと目を開けて隣を見ると、安心したのかロゼが寝ていた。

 セトが注意したとおり、魔石の入ったペンダントは相変わらずきちんと服の下にしまっている。

 床に丸まっている毛布を首まで掛けてやり、彼はまた目を閉じてぐるぐる回る視界を防いだ。


 どんよりとした空が明るくなってきたので、セトは馬車で中央街道を走るのをやめることにした。

 彼らがいなくなったことが魔術師連盟に知られたら、そろそろ検問が用意されていてもおかしくない。

 セトはロゼを揺り起こし、馬車から降りて徒歩で西へ向かうと告げた。

 が、その話を聞いていた御者は、小さな窓越しに振り向いて心配顔で申し出た。


「馬を一匹お貸ししましょう。そのほうが貴方も楽ですよ」

「ありがたいが、馬も通れない細道でないと追っ手をまけない。

 ここから西街道沿いへ行くにはどうしたらいい?」

「……モルド峠に西街道へ繋がる獣道があります。すぐそこにある脇道ですが」


 しかし旦那、本当に大丈夫ですかい、と御者はまだ不安そうだった。


「あんたの顔、とてもじゃないが生きている人には見えませんぜ」

「生まれつき肌は白いんだ」


 彼は強がって見せたが、相変わらず目まいは続いている。

 まだ魔術は使えないどころか、足取りさえおぼつかない有様だ。

 しかし、彼は馬車を降りて小さな細道に入り、ロゼの手を引いて強気で歩き始めた。


 薄く積もった雪が融けた泥道を、数刻ほど歩いただろうか。

 セトは、ロゼがどんどん先へ歩いて行くのを不思議に思っていた。

 気を抜いたら、木の陰で見えなくなってしまいそうだ。

 短い足でよくこんなに速く歩けるものだ、と思ったとき、彼は自分の考えが間違っていることに気付いた。

 ロゼが速いのではない。

 セトの歩みが知らず知らずのうちに遅くなっているのだ。

 ロゼがくるりと振り返って、心配そうに言った。


「ねえ、セト。大丈夫?」

「……」


 何も言わずとも、ロゼには全て分かってしまうようだ。

 セトを安心させようとしたのか、彼女はことさらにっこりとした。


「少し休もうよ。野宿しようよ」

「……いや、まだもう少し進める」


 少なくとも、融けた雪でぐちゃぐちゃの斜面で休むより、どこか乾いた場所で休んだ方がよほど元気が出る。

 御者が教えてくれたところによれば、この細い道は三つの小さな村を通り、西街道へ繋がっているらしい。

 一つ目の村まで行けば、宿屋はなくとも金を出せば泊めてくれる人くらいはいるはずだ。

 そう考えて、彼は半ば無理矢理に足を動かした。

 しかし、ロゼとの差は開くばかりだった。


「ねえねえ、あそこに村があるよ!」


 先に進んでいたロゼが、木々の間から満面の笑みでセトに向かって叫んだ。

 セトは最後の頑張りだと、泥をはね飛ばしながら急ぐ。

 木々の間から、待望の村の石組みが見えた。

 が、間の悪いことに、厚い雲からはまたちらちらと白い雪が降り始めた。

 杖を出して防御壁を張り、傘代わりにするのは難しい。

 彼らは一層急ぎ足になり、村へと向かった。


 村へ一歩入り、セトはたちまち理解した。

 煙や家畜の匂いといった人の気配がほとんど感じられない。

 それに、村の家々の屋根は、ほとんど残っていなかった。

 雪国では常識だが、雪下ろしをしない空き屋の屋根はたわみ、数年で落ちてしまう。


 つまり——ここは廃村だ。

 御者は、この村が廃村になったということを知らなかったに違いない。


「どうする、セト?」


 強まる雪の中で、ロゼが首を傾げて尋ねてくる。

 彼は、小さな村にはそぐわない、ぬっと立つ大きな建物を見上げた。

 中央広場には、石造りの丈夫な屋根を持つ建物が一つだけ残っていた。

 色ガラスがはめ込まれた窓は、ところどころ割れてはいるものの、まだ原形を保っている。

 彼のような異教徒には入りづらいが、この場合は仕方ない。

 セトは、指を差してロゼに言った。


「あの教会に入ろう」


 教会の中は埃臭く、あちこちに蜘蛛の巣が張っていた。

 だが、床は思いのほか乾いている。

 それだけで天国だと言ってやってもいい。

 作り付けのベンチの間をよろよろと進む。

 一番奥、忘れられたタクト神が片手を上げて微笑む銅像の前まで進んだセトは、そこでばたりと倒れた。

 身体がいうことをきかない。

 手の先から足の先まで、異常に冷たくなっていて、歯ががちがちとなる。

 火の魔石の呪文を唱えることも難しそうだ。

 と、太陽のような赤毛が顔にかかる。

 ロゼが膝を折り、心配そうにこちらをのぞきこんでいた。


「なにか、欲しいものある?」


 水、と言いかけたときには、既にロゼはセトの鞄をあさり、革袋の水筒を取り出していた。

 が、迂闊にも水筒は空だった。


「そうだ、井戸から汲んでくる。待っててね」


 彼女は元気よく立ち上がると、水筒を持って走り出した。

 行くなという暇もなく、立ち上がることもできなかった。

 真っ赤な長い髪が風に揺れながら遠ざかっていく。

 あの子は、変装をしていない。

 悪い予感がセトの胸を貫いた。

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