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ガラスの魔王  作者: 久陽灯
第二章 ガラスの魔王
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第15話 最後の夜

 白山の下りは実に楽なものだった。

 精神的なことはもちろん、標高的にもヴェルナースの出口のほうが低く、沢を下るとすぐに山羊飼いの山小屋にたどり着いたことも幸運だった。


 山羊飼いの老人は、季節外れで、しかも通常とは反対方向から来た客に目をむいて驚いていたが、親切に宿を貸してくれた。


「では、あの洞窟はティルキアとつながっておるのですか!

 五十年ここで山羊飼いをやっとりますが、全く知らないことで!」


 夕食の乳粥をすすりながら、老人はロゼの「お山の中を通ってきた」という話を聞き感嘆していた。


「そうなの! セトが道を知ってたの! それで壁がね、ぴかぴかーって光るの!」

「ほうほう、そうなのですか」

「なにかわからないんだけど、すっごく綺麗なの!」


 セトは、ヴェルナース側に魔術教の隠れ里がなかったのを不思議に思いながら、老人のくれた粥を食べていた。

 長い歴史の中でなくなったのかもしれないし、もともとヴェルナース側に通路が通じたのは偶然だったのかもしれない。

 様々な憶測が頭の中で飛び交っていたが、ロゼがあまりにも楽しそうに旅の思い出を話しているので、彼は一人で考え続けていた。

 相変わらず食べ物の味がしないことを除けば、すべて順調だった。


 ロゼが沢山食べ、藁のベッドでくうくう寝息をたてだしたころ、セトは老人に王都への行き方を聞いた。

 ここからヴェルナースの王都ダリエまでは、街道を馬車で行けば五日程度で着くらしい。

 山のふもとまでソリでお送りしましょう、と申し出た老人の顔には、真剣な表情が浮かんでいた。


「お嬢様は、やはりティルキアの亡命貴族で?」

「詮索しないほうがいい」

「でしょうな」


 しかしこの季節に白山を越えてくる方は初めてですな、と山羊飼いは心底物珍しげに言った。


「あの洞窟は、我々の間では『呪いの洞窟』と言われておりましてな。

 入ったら二度と出られぬ場所と幼い頃から言い聞かされているので、我々山羊飼いでも近くには寄りつきもしません」


 老人の言うことは大体当たっている。

 大洞窟を作った人々は、できるだけ人に近付いて欲しくなかったのだろう。

 でなければ、あそこまで警戒しないはずだ。

 しかし洞窟を守るための贄は最低限必要だった。

 だからティルキア側だけに魔術師の隠れ里を作り、十年に一人幼子を送り込んだのだろう。

 だが、贄の風習も途絶えて二十年。

 セトがあらかた魔物を倒して出てきた今、あの大洞窟は徐々に魔力を弱めていくのだろう。


 ふと、セトはあることを思い出して立ち上がった。

 小屋の外へ出ようと扉に手をかけると、老人がパイプをくわえながら言った。


「外は冷えますぞ」

「大丈夫、すぐ戻る」


 彼は後ろ手に扉を閉めた。鎌形の月が昼間とは違う優しい光を投げかけ、あたりには一面の銀世界が広がっていた。

 セトはため息をついてから、呪文を唱えた。


『真の心よ、来たれ我が手に』


 黄金の杖を手に収めると、彼は静かに封印を解く呪文を唱えた。

 その途端、大きなだみ声で杖の先についた黄金の鳥が喋り始める。


「この大馬鹿野郎が、お前なんか犬に食われてりゃよかったんだ……ありゃ、声が出てやがる」


 せっかく封印を解いてやったというのに、鳥はいきなりけんか腰で話し始めた。


「おいセト、どういうつもりだよ!」

「そっちこそ、どういうつもりなんだ。ロゼに精神干渉でもしたのか?」

「俺はそんなことできねえよ!

 大体、してはならないことをしたのはお前のほうだろう!」

「それは知ってる」


 この言い争いは不毛だ。

 もう何回も聞き、セト自身も何度も自問自答した。

 しかし、あの場面でセトができることは、それしかなかったのだ。

 落ち着いたらしく、静かな調子で鳥が言う。


「俺みたいな不幸な奴をもう一人増やすつもりか?」

「おまえが不幸だったなんて心外だ」

「不幸だよ。意志だけあって、昔の記憶がねえのはな」

「記憶をなくさないように魔法構築すればいいだけの話だ」

「初代魔王にもできなかった芸当だぜ? お前にそれができるのか?」


 まったくこの鳥は、とセトは憎々しく思った。

 解決策を考えてくれるわけでもないのに、文句しか言わない。


「だったら、何もしなければよかったというのか?

 あのひとが首を斬られるのを、黙って見てろとでも?」

「おまえも分かってるだろう。

 俺みたいな『意志を持つ者』を作るのに、何が必要か。

 禁術を使って蘇ったところで、あの赤騎士様が喜ぶとでも思っているのか」


 そう問われ、内心どきりとした。

 鳥はいつも悪口しか言わず、いつも残酷だ。

 しかし今の言葉は——真実そのものだった。


「……セト、あの子に魔石をあげてどうする気だ?」

「魔石をあげたつもりはない。

 城に着いたらペンダントだけあげて、中身は返してもらう」


 キャーハハハ、と鳥はかん高い声で笑った。

 セトはむっとして尋ねた。


「笑うことはないだろう」

「親族で、俺の見立てじゃ魔力も高い。

 おまけに穢れない幼子だ。

 俺みたいな奴を作るにはぴったりの贄になるだろうな。

 みすみす逃す手はねえよ、なあ?」


 煽るような話し方をしたあと、鳥は低い声で忠告した。


「気をつけろ、あの子を殺すとおまえが戻れなくなるぞ。

 もっとも、そのほうがいいのかもしれねえ。

 今の中途半端な状態よりもな」


 言い置いて、杖は勝手にさっと消えてしまった。

 苛立ちとともに取り残されたセトは、銀色に輝く世界の中で思いを巡らせた。

 ロゼを殺す?

 今まで守ってきたあの子を?

 冗談じゃない。

 別の誰かを贄にして——無意識にそう考えたとき、セトはぞっとした。


 誰を贄にしようと、殺すことに代わりはない。


 何か、別の方法があるはずだ。

 大魔術につきものの贄などという悪習から逃れられる手が、きっとあるはずだ。

 無理矢理自分を励ましながら、彼は山小屋に戻り、ロゼのベッドの隣の床に、毛布に包まって寝転んだ。

 しかし、眠りは朝まで訪れなかった。






 次の日も山はよい天気で、雪は融けかけ、軒にはガラスの魔術をかけたような透明なつららが幾本もぶら下がっていた。

 朝食を済ませると、老人は年季の入ったソリに巨大な巻き角を持った山羊を手早く二頭繋いだ。

 登りでやる気のない山羊の姿を見ているセトは、思わず山羊飼いに尋ねた。


「こいつらは走るのか?」

「もちろん、走りますとも」


 山羊飼いの言ったとおり、ソリは走った。

 それも、思ったより相当速く。

 ロゼは目を輝かせながらキャーキャーと楽しげな悲鳴を上げ、セトの寿命は急に角を曲がる度に少々縮まった。

 雪の上に蹄と二本のソリの跡をつけながら、山羊たちは雪の林道を疾走した。

 山麓の街へたどり着くと、老人は丁寧にロゼの手を取って下ろし、身体を二つに折って仰々しくお辞儀をした。

 ロゼは飛びつかんばかりにして老人に礼を言った。


「おじいさん、ありがとう! とっても楽しかった!」

「いやはや。お嬢様も、たいそうな度胸をお持ちで」

「ロゼはね、勇気のお守りを持っているの!」


 白山の向こうに貴族はもういない。

 それを知っていても、老人の好意は変わらなかった。

 セトが金貨を数枚手渡そうとすると、にっこりと笑って首を振った。


「お代は結構。

 しかし山羊ソリに亡命貴族様を乗せたことは、我が家代々の語りぐさにしますわい」


 彼らは大きな山羊達が、今度は坂をのっそりと登っていくのを見送ったあと、大きな街道に入った。

 冬特有のどんよりした空は次第に明るくなり、時折振り返ると、雄大な白山が青い空を従えてそびえていた。






 白山の麓にあるベイリーの街は、ティルキアの貴族没落の風景とは意外なほど無縁だった。

 ティルキア貴族も沢山亡命してきたらしく、大通りにの高級店には、わざわざ「ティルキア元公爵様ご愛用」などのうたい文句が書かれている店もある。

 街についた彼が最初にしなければならなかったのは、ロゼの服を買う付き添いだった。

 確かに、あの男の子用のだぼだぼした皮の服やブーツで城に送るわけにはいかない。

 が、店員達に好奇の視線を注がれながら、延々と服を選び続けるロゼに付き添うのはある意味苦痛だった。


「ピンクなら何でもいいんだろう。さっさと王都に向かおう」


 鏡の前でくるくる周り、一人前に袖丈を確認するロゼを見ながら、 長椅子で待たされている彼は別のことばかり考えていた。


「だって、ちょっとずつ違うんだもの! どう、これ?」

「うん、かわいい」


 セトがそう言ったのにも関わらず、ロゼは店員に合図して、すぐ次のものを持ってこさせた。


「ダメ! かわいいと思っていない!」


 やっぱり一から作らせないとだめかしら、という恐怖の独り言をきっかけに、セトはきちんと座り直し、背筋を伸ばして真面目に批評する体勢に入った。

 数枚目でやっとお許しが出て、彼は真剣にほっとした。


 食料の調達も、王女が追われていないと思うだけで気楽に済ませることができた。

 ロゼがひっきりなしに売り子に話しかけるので、そちらの相手のほうが大変だったに違いない。

 最後に彼は黒い箱馬車と御者を借り切って、王都までの北街道を進むことにした。

 ここまできたら、さして急ぐ理由もない。

 堂々と馬車に乗り、街道を進めるというだけで天国だ。

 夕方が近付いたころ、ロゼが馬車の窓から身を乗り出し、街道沿いの杉の林を眺めながら楽しげな声をあげた。


「今日、のじゅくはしないの?」

「しない」

「どうして?」

「もうすぐ次の宿場町に着く」


 ロゼはぷっと頬を膨らませて不満そうな顔をした。


「つまんなーい」


 この会話は、数日間必ずと言っていいほど繰り返された。

 野宿よりも宿で寝るほうが数段いいと思うのだが、ロゼはこの旅で野宿の魅力に取り憑かれてしまったらしい。

 夕方になると必ず聞いてきて彼を困らせるのだ。

 しかし、セトにとっては快適で、ロゼにとっては刺激の少ないこの馬車の旅も、ついに終わりが近付いてきた。

 最後の宿場町に着いたのだ。


 セトは食事を済ませた後、ロゼの着替えを手伝ってやり、長らく放りっぱなしにしていた長い赤毛をブラシでとかしてやりながら説明した。


「明日にはヴェルナースの王都、ダリエに着く。

 私とはそこでお別れだ」

「お別れ?」


 ロゼはきゅっと唇を尖らせて、こちらを振り向いた。


「どうして? セトも一緒に暮らそうよ! きっと楽しいよ?」

「城勤めは嫌いなんだ。私には旅が性に合ってる」

「じゃあ、ロゼもいっしょに行く! のじゅく大好き!」

「馬鹿なことを言わないでくれ」


 セトは顔をしかめてそう言い、真っ赤な頭を軽く叩いた。

 元とはいえ、王位後継者が魔術師と冒険の旅に出るなど無謀もいいところだ。

 ふと昔の思い出が胸をよぎる。


 ずっと昔、ティルキア王位継承者に手を差し出したことがあった。

 一緒に行こう、旅に出よう。

 王位など捨ててしまえ、と。

 しかし彼女は首を横に振り、国の安泰のためにティルキアに帰ると言った。

 セトが彼女に好かれていなかったわけではない。

 今でも、彼女の一言一句を思い出せた。


『ネフェリア・グレイフォン・ティルキアはティルキア王国のものだ。

 でも、マリアン・オリンピアは未来永劫お前のものだ』


 そして、民のために彼女はティルキアに戻り——民のために殺された。


「明日で旅が終わっちゃうの、本当に?」


 ロゼはごねるように上を向き、セトが彼女の長い髪をとかすのを妨害した。

 セトは夢から覚めたときのようにはっとして、ロゼの顔を見た。


「……だから、そう言っているだろう」

「もうちょっと寄り道したらだめ?」

「だめ。ほら、もう寝てくれ」


 髪をとかし終わり、セトはロゼをベッドへ追い立てた。

 枕元のランプを消し、ベッドへ潜り込んだロゼに布団をかけてやると、いつも寝付きのいい彼女が不服そうな声で申し立てた。


「眠れないよ。ねえセト、何かお話しして?」

「お話?」

「うん。眠れないとき、ママがよくお話を聞かせてくれたの」


 寝ている子供に話をするなど、思いつきもしなかったセトは少々戸惑った。

 このくらいの子供が喜ぶ話とは、一体どういうものなのだろう。


「やったことがないから、下手かもしれないけど」


 彼はベッドの端に座ると、考え考え話し始めた。


「ある国にとても強い王女様がいました。

 剣技を極めた王女様は、街の英雄、赤騎士と呼ばれていました。

 ちょうどその頃、世界の果てに、絶望を糧にして魔物を増やす魔王がおりました。

 このままでは、たくさんの人が魔物となってしまいます。

 だから、強い王女様は、城に忍び込んできた魔術師と仲間になり、魔王退治の旅へと出発しました。

 途中、様々な人々と出会いました。

 豪気な斧使い、美しい剣聖、双子の海賊達、砂漠の姫君。

 彼らを仲間にして、たくさんの冒険を経て、二人は魔王の元へたどり着きます。

 王女様と魔術師は力を合わせて戦い、ついに魔王を倒しました。

 魔王はいなくなり、世界は平和になりました。

 王女様はティルキアに戻り、女王となりました。

 そして、隣の国の王子と結婚し、幸せに暮らしました。

 めでたしめでたし。


 ……こんなものでいいか?」


 初めてにしては、うまく話せたと思った。

 だが、ロゼは困ったような顔をして首を横に振った。


「お話が少し違うの」


 セトは頭を抱えた。

 違うところがどこなのか、自分では全く分からない。

 かといって、女の子が喜びそうな話など見当もつかなかったので、彼は正直に聞くことにした。


「どこが違うんだ?」


 まるで秘密を話すように、ひそひそ声でロゼが言った。


「あのね、ママに教えてもらったお話はね、最後が違うの。

 強い王女様は、王子様とは結婚しないのよ。

 魔術師の手を取って、どこか遠くに行ってしまうの。

 そして幸せに暮らすのよ」


 セトは目を見開き、口を数回開け閉めしてから、やっと言葉を取り戻した。


「……あんまり道徳的じゃないな」

「どうとく? 悪いってこと?」

「まあ。王女様と魔術師じゃ、身分が違いすぎる。それに異教徒だ」

「そうなの? でも、王女様は魔術師が好きだったんでしょ?」


 動悸が早鐘のように打ち、セトは思わず胸を押さえた。

 こんなもの、ただのお話だ。

 夢で、幻想で、戯言だ。

 どうして、あのひとはそんなおとぎ話を子供に教え込んだんだ。

 あのとき強引に連れて行けば、本当に幸せに暮らせたのだろうか?

 もう少し勇気があれば、背中を押せる何かがあれば、彼女はついてきてくれたのではないだろうか?

 沢山の言葉や感情が押し寄せ、頭の中をぐちゃぐちゃに蹴散らしていく。


「ねえ、痛いの?」


 ロゼが心配そうに背中を叩いてきた。


「痛いの飛んでけしてあげようか?」

「……いや、遠慮しておく。お休み、ロゼ」


 セトはきっぱりと言って立ち上がると、ロゼの顔を見ることなく部屋を出て、後ろ手に扉を閉めた。

 自分の部屋へと戻っても、動悸は全く収まらなかった。

 王女との別れを明日に控え、彼の方が動揺させられていた。

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