第6話 旧友
「だめだ。ここは魔術師連盟の特約店だからな」
セトが用件を言った途端、小太りで髭面の店主はみるからに迷惑そうな顔をしてそう告げた。
小汚く、趣味の悪いごてごてとした魔術用の道具が無造作に置かれている店だ。
ここなら身分証もいらないと思って入ったのだが、どうやら見かけよりもきちんとしている店らしい。
「連盟の免許も持ってない、どこの馬の骨か分からん魔術師のものが買い取れるか。
何も買わないならさっさと出ていってくれ」
店主が犬でも追い返すかのように手を振った。
しかし、彼はこういったときの得策も知っていた。
さっと店を見渡し他に客がいないのを確認すると、鞄の中から魔石を一つかみ取りだし、無造作にカウンターへばらまく。
「これは……」
目の前に色とりどりの魔石を転がされた途端、今まで無愛想だった店主は感嘆の声をあげた。
革の手袋をはめ、慎重に、だがいそいそと手の中で輝きを確認する。
彼はそれを見ながら静かに言った。
「純度は市場に出回ってるものより四倍ほど高い。制御は難しいが力は保証する」
「火の魔石に、水、土。魔力増幅もあるな。これはなんだ?」
店主は新しいおもちゃをもらった子供のような顔で、無色の魔石を取り上げた。
「風だ」
店主は低く口笛を鳴らした。
「珍しいねえ! 生成できるとは聞いていたが、見たのは初めてだ。
……わかった、全部買い取ろう」
急に愛想よくなった店主は、本当にセトの言い値で買い取った。
暖かくなった懐を抱いてセトは店の外に出た。
入れ替わりざま、男が魔術店に入って行ったが、彼はたいして気にもとめずに歩き続けた。
それからしばらくして、食料の調達をあらかた終えたセトは、宿に帰ろうと道を急いだ。
日はすでに高く、昼を少し過ぎている。
おそらくロゼは退屈し、おなかを空かせているだろう。
そのとき、雑踏の中から腕が伸びてきて、彼の右腕をぐいっと引っ張った。
「おい、セト」
耳元で低い声がささやいた。
「お前、なんでここにいる」
セトは反射的に腕を振り払い、左手に紙袋を抱えたまま防御の体制を取った。
同時に魔気を散らせ、杖の出現の呪文の一節を呟き始める。
「おい、落ち着け! 街中で杖を出すな! 俺だよ、俺! 知ってるだろ?」
必要以上におびえる男は、明らかに彼の術の威力を知っていた。
セトは一旦詠唱を止め、俺だと主張する男を見上げた。
見かけは三十ぐらい。
がっしりとした体型で、赤みがかった金髪の巻き毛がいかつい顔を縁取っている。
幅広の腰紐には魔石で作られた飾りがこれでもかとぶら下がっていた。
だが、その日焼けした面長の顔に、これっぽっちも見覚えはなかった。
「……知らないな」
彼が非情にも呪文を再開しようとすると、その男はばたばたと手を振って、何とか止めようと早口に言った。
「俺だ、フェルディだよ! 忘れたのか?
子供の頃、『神秘の塔』の魔術師修練所で一緒だっただろう?」
「覚えていない」
セトは腹立たしげに言ったが、霞んだ記憶の隅から、フェルディという名前が僅かに蘇ってきた。
だが、その記憶の中のフェルディは、ここにいる男とはまるで違った。
たしか一つ二つ年下で、金髪の巻き毛を腰まで垂らし、そばかすだらけの顔をした少年だったはずだ。
瞬間、セトは愕然とした。
時間は、それとともに流れている者に対しても、流れていない者に対しても非情だった。
立ちすくむ二人を避けるように、人の流れが輪を作っていた。
セトはそれに気付くと、魔気を押さえ込み、肩をすくめてフェルディに背を向け歩きはじめた。
「待てよ」
無視されたと思ったフェルディがむっとしたように言い、セトの横に並んだ。
セトは表情を変えないまま、フェルディだけに聞こえるような声で囁いた。
「人が多すぎる。場所を変えよう」
細い路地を曲がり、彼らは人のほとんど通らない貧民街の方へと足を向けた。
一歩踏み出す毎に、セトの記憶から少年フェルディの姿がどんどん浮き出てくる。
その中には、決闘の記憶もあった。
どうして決闘したのか、理由は覚えていない。
だが、修練所の闘技場を深夜勝手に使い、互いに仮の杖を持って対峙し、覚えたての魔術で戦ったのは覚えている。
勝敗はどちらについたのか。そこは忘れてしまっていた。
「久しぶりだな。正直まったく気付かなかった」
セトがようやくそう言ったのは、貧民街をたっぷり歩き続けた後だった。
裸足で寝ている女。真っ黒に汚れた顔でゴミ箱をあさる子供。もう動く気配もない老人。
そんな殺伐としたものがつまった通りを抜け、人の気配のまったくしない路地で、彼らは再び向き合った。
フェルディは頭をかいた。
「さっき魔術店の前ですれ違ったが、まさかと思ったんだ。その……」
そこで彼はいっそう声を低め、ささやいた。
「どうしてここにいるんだ。お前、確かティルキアに出入り禁止の身だろう」
「私を出入り禁止にした政権はもうない」
「ああ、なるほど」
フェルディはぽんと手を打った。
そして、非難するように続けた。
「それにしても、今までどうしていたんだ?
魔術師連盟には復帰したんだよな?」
「いや、再破門された」
けろりとしたセトの一言に、フェルディは顔を歪めた。
「いつ? 確か特赦が出されたと聞いていたが」
「前の破門を許されてから二日後にまた破門になった」
「二日? 何をしたらそうなるんだ!」
「完全なる許しが欲しいなら、初代魔王の杖を供出しろという連盟の話を蹴って使者と喧嘩したんだ。もう大部昔の話だが」
セトは肩をそびやかして答えた。フェルディは頭を抱えた。
「いくら魔王の呪いがかかっているといえ、短気にも限度があるだろう」
「短気なのは呪いのせいじゃなく、生まれつきだ」
回りくどい会話に我慢が出来なくなったのは、セトを短気だと非難したフェルディの方だった。彼は激しい口調で言った。
「ちょっとは考えろと言ってるんだ、この風船野郎!」
妙な罵倒に、セトは首を傾げた。
「風船野郎?」
「風船野郎だよ! 気付かなかったとでも思うのか?
お前、さっきの魔気、自分の意思で出したんじゃなく、勝手に吹き出してきたって感じだったぞ」
「だからどうした」
「そのうち制御出来なくなった魔力で爆発して……おまえ自身が魔物に、いや、魔王になってしまうんじゃないか?」
最後の言葉には、冗談や揶揄の響きすら混じってはいなかった。
ただ、恐ろしい真実を宣告した後の沈黙が辺りを覆った。
フェルディは、その沈黙をセトがショックを受けたためだと勘違いし、すぐになだめるような優しい口調になった。
「セト、よく聞け。まだ間に合う。
今すぐ馬鹿な旅回りを止めて、魔術師連盟に頭を下げて入り直し、小さな子供たちに基礎魔術や聖ヴィエタ文字でも教えながら楽しく暮らせ。
俺は今、エルケームの魔術師連盟では顔が利くんだ。
お前の身の一つくらい世話できる。
だから、余計なことに首を突っ込んでこれ以上大きな魔力を使うのは……」
『真の心よ、来たれ我が手に』
セトは、知らず知らずのうちに杖を出現させる呪文を唱えていた。
粒子と共に、左手に黄金の杖が出現する。
目と胴体に青い魔石が埋め込まれ、骨の翼のついた黄金の鳥がついた、背丈より高い杖だ。
フェルディは頭を押さえた。
だが、彼も瞬時に状況を理解したらしく、自らも呪文を唱えて銀色の杖を出し、ぐっとセトを睨み付ける。
「余計なこと、か……」
青い目をぎらぎらと光らせて、セトは感情のこもっていない声で言った。
食料の入った紙袋を片手で持ったままの緊張感のない姿だったが、その体からは先ほどとは比べ物にならない量の魔気が放出されていた。
話を逸らすように、フェルディが杖を眺めた。
「で、それが供出を断ったとかいう『意志を持つ杖』か。
ひとりでに口をきく、という噂は本当か?」
杖のかわりに、セトが答えた。
「悪いが今、この杖とは絶交しているんだ。口を開けない呪いをかけてある」
「絶交? 自分の杖とか?」
不思議な顔をするフェルディに、セトは片頬をつり上げて苦笑してみせた。
自分でも滑稽なことを言っている自覚はある。
魔術師の杖とは自分自身の魔力の塊を具現化したもので、いわば自分の分身だ。
だが彼の持っている杖は特別で、元々は初代魔王が封印していたものを、彼が発見して使用している。
この杖は『意志を持つ』他、『魔力を切り裂く魔力の剣』がついているという二つの特徴を兼ね備えているのだが、口の悪さには以前から閉口気味だった。
我慢を重ねた結果、鳥に当然の報いを受けさせているだけだ。
セトは黄金の杖を突きつけ、一歩踏み出した。
うずまく魔気に押され、フェルディは一歩下がる。
歪んだ視界にフェルディの目を捉え、彼は抑揚のない声で尋ねた。
「フェルディ、答えろ。お前は何を知っている?」
「……俺は政治とか党派とか、そういうことには興味がない。
ついでにおまえと争う気もない」
フェルディは片手でこめかみを押さえながらも、それでもセトに負けまいとして魔気を散らせた。
「だが、魔術師連盟から連絡が入った。
ティルキアの元女王の処刑前夜、十六名の兵士が魔術師に襲われ、ガラスの破片になったと。
王女が魔術師にさらわれたという噂も聞いている。
どちらも、黒い羽を背負った姿だったらしい。
その話を聞いたとき、正直俺はおまえしか思い浮かばなかった。
ガラス化はお前の十八番だし、古代飛行魔術も、よほどの力を持った者しか使えない。
なにより、おまえは女王の戦友だからな。
出入り禁止なおまえがまさか、と思ったがおまえは実際ここにいる。
魔術師連盟は、新政府に肩入れしている。
そういう反逆者が魔術師の中から出ては困るんだ」
「国際魔術師連盟は魔術師のために存在し、魔術師を守り、魔術師のために戦う。
その他の何人にも属さない。そういう理念だったはずだ。
それに、私はすでに破門されている」
彼はセトを見てにやりと笑った。世間知らずめ、といった顔だった。
「理念だと?
魔術師たちの利益を追求した結果、政治に肩入れするのは今に始まったことじゃない。
それに、俺達の郷里『神秘の塔』の解体を強行した元女王に、連盟が味方するとでも思ったか?」
セトは唇を噛んだ。
薄々気付いてはいた。
悪意に満ちたビラだけで、ここまで大規模な暴動が起きるはずがない。
民衆の後ろに垣間見えるのは、彼らをうまく先導し操った魔術師連盟の姿だ。
この革命の根源には『神秘の塔』を崩壊させた女王に対する魔術師たちの恨みが深く関わっているに違いない。
フェルディが確認するように尋ねた。
「魔術での一方的な殺人は極刑に値する。わかっていてやったのか?」
「相手は兵士だぞ。私は火の粉を払っただけだ」
セトは眉一つ動かさなかった。
「いいか、よく聞け。今、おまえは魔術師連盟全員に追われているんだ」
フェルディは対抗しうる魔気を出し続けるのがもうそろそろ難しくなってきたらしく、ぜえぜえ言いながら続けた。
「逃れるためにお前は身に余る魔力を使うだろう。
魔力は使うたび、徐々に強くなるはずだ。
そして、魔力に支配されるようになるともう終わりだ。
おまえが絶望したそのとき、今度は魔王として、全世界から追われるぞ!」
ふいに、セトは魔気とともに杖をさっと消した。
思わずつんのめるフェルディを見ながら、彼はきっぱりと言った。
「魔王には、ならない」
フェルディは荒い息をつきながら、セトのことをじっと見つめた。
「嘘じゃないな?」
「女王にかけて誓う」
それを聞くと、フェルディは安堵したように息を吐き、こちらも杖をしまった。
しかし、セトは続けてきっぱりと宣言した。
「だが、私はこれからも余計なことに首をつっこむ。
少なくとも、あと一月は」
フェルディはもう怒る気力もないようで、悲しげな調子で言った。
「エルケームにはいつまでいるんだ?」
「明日には出る」
「そうか」
じゃあ、と彼は、セトを見て寂しそうに笑った。
「明後日からは本気を出そう」
「この国は変わったか?」
帰り道、唐突にセトは尋ねた。
その目はフェルディでなく、周りの景色に注がれていた。
まだ貧民街が続いていた。辺りは昼なのに周りの建物のおかげで薄暗く、裏寂れていて、生き物と言えば烏が二、三羽木に留まっているだけだ。
「そうだな、今のところ、別にそう変わっちゃいない」
フェルディは少し考えこみ、言った。
「私もそう思う」
「だが、これから変わってくるかもしれない」
「そうか?」
セトは疑わしそうに尋ねた。
「このたった一瞬の間に、俺も、世界も少しずつ変わっている。
お前は変わってないがな。
それが積み重ねられて俺は今、こうなってる。
お前と比べりゃ自分がずいぶん変わったことぐらい分かるさ。
俺とお前、どっちがいいのかは正直分からないが、俺はこれでいいと思っている」
彼があまりに清々しそうな顔で言ったので、セトは皮肉も言えず黙りこんだ。
「そういえば」
セトは意図的に話を変えた。
「たしか、お前と決闘したことがあるような気がするんだが」
「おお、そういうこともあったよなあ」
フェルディは懐かしむような目をした。
「あれ、どっちが勝ったんだ?」
そうセトが尋ねると、彼は怪訝そうに言った。
「覚えてないのか?」
「ああ」
「ちびのベルニーがちくって、決着つく前に導師が来て、二人で大目玉喰らったじゃねえか」
そうだったかもしれない。
だがベルニーという子供の顔はぼやけていた。
記憶の底をさらう作業は案外難しかった。
「で、何の決闘だったか、覚えているか?」
「あー、何だったかなあ。どうせ、下らないことだったような気がするが」
「多分な。私もそんな気がしている」
貧民街は終わり、彼等は再び大通りの雑踏の中に紛れ込んだ。
二人は黙って歩き続けたが、頭の中では二人とも、思い出せば脱力するであろう、その戦った理由を懸命に記憶から引き出そうとしていた。
「お、そうそう!」
突然、フェルディがポンと手を打った。
「あれだよ、どっちが将来立派な魔術師になるかだ!」
「嘘だろ? そんなことで?」
過去の自分の馬鹿さかげんに呆れたセトを後目に、フェルディは楽しそうに続けた。
「そうだよ。あのとき、結局決着がつかなくて。
俺が十四の時だったかな。
お前が多産の魔王を倒したって聞いて、悔しかったんだ。
『ああ、あの時の勝負に負けたっ!』てな」
その時、大通りの雑踏の中から何かが飛び出し、フェルディに体当たりを仕掛けてきた。
彼は少しバランスを崩したが、おっと、と言ってそれを受け止めた。
「親父! 俺を放ったらかしてどこ行ってたんだよ! 腹減ったー!」
「ああ、わるい。ちょっと昔の話をしてたんだ」
フェルディは、雑踏から飛び出てきた、昔の彼そっくりの生意気そうな少年の頭を軽く叩いた。
「セト。じゃあ俺はこれで。明後日からは覚悟しろよ。あと」
魔王になるんじゃないぞ。
彼は口の動きだけでそう言うと、彼の子供と共に街の雑踏の中にまぎれた。
そのやけに幸せそうな後ろ姿を見て、セトはさっきの彼の清々しい口振りの根拠に思い当たった。
セトは口の中で呟いた。
「勝負に勝ったのはお前だ」
彼はしばらく人の波の中に佇んでいたが、こちらにも腹を空かせている子供がいることを思い出し、宿まで急ぎ足で帰った。
古びた木の扉を五回ノックをすると、すぐに鍵の開く音がした。
「セートー」
ロゼは、食料を持って帰ってきた彼を盛大な笑顔で出迎えた。
「おーそーいー」
セトは、ロゼの頭を軽く叩いてこう言った。
「悪い。ちょっと昔の話をしてたんだ」




