第22話 最後の古代竜
巨体を覆う銀色の鱗をぎらつかせ、最後の古代竜は滑るように緑の木々の近くを滑空していた。
落ちた仲間を探しているのか、それともなにか策があるのか。
わからないままにセトたちも高度を下げて後を追う。
地面に近くなると、大きな古代遺跡や峡谷へ続く道がよく見えた。
細長い通路のような峡谷から荒れ地へと、人馬が巻き起こす砂煙が続いている。
『竜の牙』の人々が連合軍を追撃しているような構図だが、実際違うということはすぐに分かった。
『竜の牙』の魔術師たちは追撃という体もなしていない。ただただ古代竜たちが暴れている戦場から逃げ出したいという気持ちが、てんでばらばらな隊列にも見てとれる。
彼らの放ったバベルが無駄に終わり、守りの要だった古代竜の大多数が空に消えた今、彼ら魔術師たちは戦闘のとばっちりを受けて死ぬのが関の山だ。
彼らもそれを充分すぎるほど分かっているのだろう。
そのとき、再び古代竜が鳴き、セトは峡谷から古代竜に目を戻した。
空気をびりびりと引き裂くように長々とした遠吠えだ。
それに合わせるように、古代ヴィエタ語の恨みの言葉が大音声で発された。
『よくも我らが兄弟を!』
まだ、他にも古代竜が残っていたのだろうか。
セトはきょろきょろと見回し——岩壁の上に飛竜の影を見つけた。
峡谷の上で戦っていたはずの飛竜部隊はとっくに撤退したと思っていた。
しかし、一騎だけが円上の岩壁の中に戻ってきたらしい。
飛竜の上には独り、灰色の髪や髭をなびかせた初老の男が乗っている。
前で飛竜の手綱をとっているキースが叫んだ。
「ガンドア卿だ! 独りで戻ってきたんだ!」
ディーン・ガンドア。
今回の戦の首謀者だが、姿をみるのは初めてだった。
セトは飛竜に乗っている男の顔をまじまじと見つめた。
今まで戦っていた相手を目の前にして、ここまで衝撃をうけたのは初めてだった。
それは醜悪な顔をした魔王でもなく、人々が怖れるような風貌でもない——どう見ても、黒い杖を持って飛竜に乗っている普通の魔術師だった。
多少皺がより、太い眉の影になった眼光が鋭いからといって、街ですれ違ったとしても彼に気をとめることなどないだろう。
そんな普通の人間がどういう経緯で『竜の牙』という魔術師の国を作ろうという発想に至ったのか、彼には理解できなかった。
ガンドア卿の乗った飛竜は唸っている古代竜へと向かっていく。
『古代竜よ! 我とともに戦え!』
増幅の呪文をかけられた、ガンドア卿のよく通る声が空に響き渡ったそのとき。
まるで魔法がとけたように、セトの心から戸惑いがなくなった。
彼は普通の魔術師ではない。
『竜の牙』の首謀者だ。
彼さえ殺せば、この戦いは終わる。
セトは杖をガンドア卿へ向け、熱線の呪文を唱えた。
杖の鳥が光輝き、音もなく白い熱線が放たれる。
が、熱線はガンドア卿に届く前に、古代竜がセトとガンドア卿の間を遮った。
魔法を跳ね返す鱗が、セトの熱線をはじき返した。
熱線は散り散りになって四散する。
ガンドア卿が不敵に哄笑した。
「はははは! 連合軍を潰すには、この一匹で充分だ!」
ガンドア卿は古代竜の大きな身体に飛竜を寄せると、身軽に古代竜の背中に乗り移った。
そして黒い杖を振りかざし、何事かを唱えた。
詠唱も、精霊の唱和も聞こえない。
セトは嫌な予感がした。
わざわざ隠すということは、それなりの理由があるに違いない。
そのとき、古代竜がかっと口を開き、ブレスを吐く動作をした。
が、その口は随分下を向いている。
この高さまでは届かない——と思ったが、ふいに空気がゆらぎ、まっすぐ進むはずのブレスが歪んだ。
嫌な予感があたった。
「ミラージュだ! まずいぞ、高度をとれ!」
セトの声で、二匹の飛竜はさっと高度を上げた。
大分下を通過していたはずのブレスが、いきなり真下へ現れて通過していった。
かわすのもぎりぎりだったらしく、肌が焦げ付くような熱風が吹き上がってきた。
ミラージュは、光を歪ませる高等魔術の一種だ。
ほんの少し光を狂わせるだけでも結構な魔力を喰う技で、一見地味に思える魔術だが、戦闘では目に映る距離感が変わるだけで生死が分かれる。
逆に、敵に使われればしごく厄介な代物だ。
魔法防御を使えば、一、二回は直撃されても防げるだろう。
だが、セトがいるこちらの飛竜はともかく、向こうの飛竜に乗っているアリーとラインツはそれすら使えない。
連合軍の総指揮官であるラインツの飛竜が狙われたらお終いだ。
「アリー、全速力でここから逃げろ!」
そう叫んだ矢先、またブレスがあらぬ方向から飛んできて、二匹の飛竜はさっと左右に分かれた。
飛竜の間を古代竜のブレスが通り抜ける。
今度も危うく焼け焦げるところだった。
後ろにラインツを乗せたアリーの飛竜は、くるりと一回転をした後でぐんぐん空へ上っていった。
このまま逃げられればいいが、と彼はせつに願った。
ガンドア卿の乗った古代竜の姿は下方に見えているが、ミラージュを使われた以上絶対にそこにいるとは断定できない。
どこにいるのか、それすら分からない状況では倒すことすら無理だ。
確実に居場所が分かるところに追い込まなくては。
例えば、峡谷の中に。
セトはブレスを奇跡的に避け続けているキースに怒鳴った。
「よし、逃げるふりをして峡谷へ誘い込むんだ!」
キースが頷き、飛竜の脇腹を蹴る。
飛竜はたちまち高度を落とし、セトは胃が浮遊するような感覚を再び味わった。
二匹の飛竜がどちらも逃げ出したので、古代竜は勝ち誇ったような雄叫びをあげ、ついで近付いてきたセト達の飛竜を追い回し始めた。
飛竜の周囲に魔法防御を張っているものの、時折とんでもない位置からブレスが飛んできては、結界にヒビが入っていく。
その度に魔法防御を張り直しながら、彼らの飛竜は一路峡谷を目指し、矢のような勢いで古代遺跡の横を通過した。
瞬間、古代遺跡の上部がブレスの白い光に包まれ、轟音と共に吹っ飛んだ。
『竜の牙』の宮殿は古代竜によって崩されたのだ。
ばらばらと細かいがれきが降り注ぐ中、セト達の飛竜は狭い谷の底へと降りていった。
峡谷は古代竜が翼を広げてやっと入れるという狭さだ。
峡い道に入ると案の定、ブレス攻撃は後方からぶつけられるようになった。
セト達の目には峡谷の上空に古代竜がいるように見えているのだが、それはミラージュの作用だということは想定済みだ。
あの高度からでは、影になっている峡谷の中を飛び回るセト達にブレスを浴びせるのは難しい。
実際の古代竜は真後ろにいる。
「これからどうする? 峡谷を抜ければ荒れ地に出てしまう!
そうなったら、皆が犠牲になるぞ!」
キースが焦ったような声で叫ぶ。
セトは回りの競り立った岩壁と、峡谷の先を目を細めて眺めた。
敵も味方も皆、峡谷から荒れ地へと抜けたらしく、岩だらけの狭い道に人影は見えない。
これでいい。
ガンドア卿は高等魔術のミラージュを使っている。
ということは、他の魔術は使えない。
——魔法防御や物理防御を張ることは不可能。
「飛竜を岩壁に寄せてくれ!」
セトの指示に従って、古代竜のブレスの攻撃を避けながらキースが飛竜を操る。
左の黒い岩壁が翼のすぐそばまで迫った。
背後からのブレスが途切れたのを見計らい、セトは一旦魔法防御を解いた。
ついで、呪文を唱え始める。
『全て一の根源により生まれしもの、全て透明な存在となり砕け散れ!』
ぼうっと光っていた杖の先が、呪文を言い終えた瞬間眩しく輝いた。
そのまま杖を横に突き出す。
岩壁に杖がガリガリと当たった先から、その岩の表面がさっと白く塗られたように光る。
ガラス化の始まりだ。
岩を浸食していくガラスは、青から透明になり、自重でヒビが入る。
そして最後に白いヒビが割れ、耐えきれなくなった岩壁が轟音ながらも澄んだ音を響かせて、峡谷の片側が崩落しだした。
真上にいるかのように見えた古代竜が苦しそうに鳴き、ふっと姿を消した。
敵のミラージュが解けたらしい。
巨大なガラスの壁が上からのしかかり、狭い道で逃げ場をなくした古代竜を押しつぶそうと迫る。
古代竜の鱗は、魔術には強いが物理には弱い。
セトは後ろを振り向いた。
本物の古代竜は、やはりセト達の真後ろにいた。
既に落ちてきたガラスで、銀の鱗のあちこちから血が流れている。
ガンドア卿がどうなったか確認する余裕はないが、古代竜全体に物理防御を張るのは間に合わなかったようだ。
遥か上から、氷山が割れるような音をたててガラスの地面が崩落してくる。
古代竜が最後の咆哮を上げ、巨大なガラスの岩に押しつぶされるのが見えた。
「今だ、飛竜の高度を上げろ!」
セトが杖を岩壁から離してそう言い、峡谷から脱出しようとしたそのとき。
目もくらむような光が熱と一緒に飛竜の脇を通り過ぎた。
ギィーッと飛竜が苦悶の声を上げる。
ちらりと右をみると、片方の翼がごそっとなくなっていた。
古代竜のブレスが飛竜の翼に当たったようだ。
確認出来たのはそこまでだった。
がくり、と体勢を崩し、岩壁に身体を打ち付けながら落ちていく。
目が回り、どこが天か地かわからなくなってくる。
古代飛行の魔術を唱えたが、高度が低すぎた。
呪文が完成する前に、脇腹にすさまじい痛みが襲ってきて、セトは息を詰まらせた。
彼らは飛竜ごと左の岩壁に叩きつけられ、そのままずるずると下まで滑り落ちた。




