第20話 古代竜の群れ
世界が崩壊するような音をたてて、古代竜たちが吼え、何十匹もの巨大な古代竜の翼が空気を震わせた。
円上になった絶壁の巣から、群れで螺旋を描くように舞い上がる。
恐怖を通り越して、壮観ともいえる光景だった。
セトは慌てて杖から魔気を出し、さっき結界があった場所を探った。
古代竜の結界が消えている。
さっきまで大人しかった杖が、ぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。
「もう終わりだ! 俺達は丸焦げチキンになる運命なんだ!」
「ロッド、ちょっと黙ってろ!」
セトは腹を立てて短く呪文を唱え、杖の口を塞いだ。
「いや、杖の言うことは正しいよ」
飛竜の手綱を握りしめた、キースがこちらへ振り返った。
顔が蒼白になっている。
「ぼくのせいだ……古代竜の結界に近付きすぎた!」
「……いや、違う! アリーが第二の文書を読んだんだ」
セトはめざとく、下方、古代遺跡があった方向に、一匹の飛竜が飛んでいるのを見つけていた。
乗っているのは、空を凝視しているアリーだ。
ほぼ同時に彼女もこちらに気付いたらしい。
はっと自分を取り戻したような顔をした後、声をかけるまでもなく、飛竜を操って同じ高さまで上ってきた。
見たところ元気そうだが、服のあちこちに血がついている。
キースが心配そうに尋ねた。
「アリー、その怪我は大丈夫?」
「たいしたことないわ」
彼女はひらひらと手を振った。
大怪我ではなさそうだし、古代竜の動いた原因がわかってほっとしたので、セトはアリーに文句を言った。
「第二文書を読むのが遅い!」
「無茶言わないでよ! 今まで閉じ込められていたんだから」
アリーがぷっとむくれてそっぽを向いた。
それを見たキースは少し微笑んで、セトに尋ねる。
「それより、文書には何が書いてあったんだ?
僕はそっちが知りたい」
「古代竜との取引だ」
セトはそっけなく説明した。
あの意味不明な文書は、魔術でも何でもない。
初期の古代ヴィエタ語を、現代の言語で音だけ似せて書いた、古代竜にあてた手紙なのだ。
古代竜はかつて、西の荒れ地に暮らしていた。
しかし、その峡谷で魔王の力が増すにつれ、清浄な魔力を持つ古代竜たちは住みにくくなり、ついに大陸を飛び越えて東の荒れ地へと向かうことになる。
古代竜の赤ん坊のせいでセトの住んでいた街が危機に陥ったのも、その大移動の最中のことだった。
だから彼は、第二文書の中で取引を持ちかけたのだ。
西の多産の魔王は、私が倒した、と。
倒してから十年、峡谷には清浄な気が戻ったことだろう。
帰還してもなんら問題ない。
それを教えた見返りに、この戦争には手だし無用としてくれないか。
そして、もうひとつの問題も付け加えておいた。
西の魔王を倒したのも私だが、先日古代竜を一匹倒したのも私である。
あなたがたが群れで殺しにかからねばならないのは、私一人だ。
古代竜の言葉を操る魔術師と戦いたいならば、私も杖を取ろう。
それが古代竜を殺した者の責任だ。
群れをなして大空を舞う古代竜には、戦う意志は見られない。
彼らが人間と戦うと決めているならば、今頃追いかけまわされているはずだ。
セトは増幅の魔術を使い、初期ヴィエタ語で竜の群れに呼びかけた。
『古代竜よ、私の話を聞いてくれ』
群れのうねるようならせん状の動きが変わった。
一旦ばらついた後、古代竜たちは翼だけを上下させ、じっとこちらを見つめて空に留まっている。
そして、一際大きな古代竜が、セトたちの飛竜の前まで悠然と羽ばたいてきた。
銀色のうろこに一際立派なたてがみを生やし、セトの背丈ほどもある二本の角が突き出ている。
視界がその竜で一杯になるほど近寄ってきた後、ようやく竜は耳に響く大声を発した。
『我らに、西の魔王を倒したという文を送ったのはおまえか』
『そうだ』
『西の荒れ地を救ったことと引き替えに、『竜の牙』への干渉をやめろというのだな』
セトは神妙に頷いた。
この古代竜が、何をもって近付いてきたのかはわからない。
が、この位置でブレスを吐かれたら、確実に死ぬだろう。
ゆっくりと古代竜の頭が下がり、息がふいごのように漏れた。
『よかろう。おまえの条件を呑む。
我らは感謝の意を表し、西の荒れ地に帰ろう。
あの峡谷こそ、我らが故郷なのだから』
助かった。少なくとも、これで一万の兵が死ぬことは回避できる。
セトは息をついて礼を言った。
『こちらこそ、提案を受け入れてくれて感謝する』
ははは、と古代竜は割れ鐘のような声で笑った。
『古代竜の言葉を話せる人間に出会ったのは、ガンドア卿以外にはおまえ一人だけだ。
おまえだからこそ、我らは条件をのむのだ。
ワシに見覚えはないか、少年。
以前、西大陸で出会ったことがあるだろう。
おまえと赤毛の娘は、我らの群れの赤ん坊を助けてくれたのだよ』
そう言って、竜はふさふさとしたたてがみの生えた頭を右へと向けた。
大きな古代竜の目の先に、くるくると小さな古代竜が飛び回っている。
他の悠然とした飛び方をしている竜たちより、かなり幼い様子だ。
そうか、と目の前が開けたような気がした。
あれは、昔セトたちが助けた赤ん坊の竜なのだ。
竜の風貌の区別はあまりつかないが、彼らがあの群れだったのは幸運だった。
『十年も昔のことを覚えてくれているとはありがたい』
『十年など、ワシらにとっては一瞬に過ぎぬ』
ふいに、セトの心に何か暖かいものが蘇ってきた。
随分昔に捨てたような、捨てきれなかったような不思議な感情だ。
あのひとが助けてくれた、と思った。
放っておけば面倒を起こすひとだったが、彼女が怪我をして動けなくなった古代竜の赤ん坊を助けたことで、古代竜は条件をのんでくれたのだ。
が、ついで顔を正面に戻した古代竜の瞳には、厳しい光が宿っていたので、セトはそのぬくもりを存分に味わう前に現実に戻ってきた。
『しかし、はぐれの古代竜を殺したのもおまえだというのだな』
彼は黙って頷いた。
わかってはいたことだが、仲間を殺した者に、古代竜は容赦しないだろう。
彼らがどんな選択をしようとも、彼はその事実から逃れることはできない。
古代竜は厳粛な調子で続けた。
『お前の書に納得せぬ者もいる。
今、巣に残っているのは三匹。
おまえが殺した竜の身内だ。
我らは人間の争いに干渉せぬ掟を持つ。
それを破ったときは、群れから追放されてもやむを得ない。
が、群れから追放されたとて親兄弟の思いは消えぬ。
彼らは群れから離れ、お前に戦いを挑むつもりだ。
我らは掟ゆえ関与できぬが、彼ら離反者も我らが上空に行くまでは仕掛けまい』
古代竜の群れの決断としては、精一杯の譲歩だろう。
セトは丁重に頭を下げた。
『忠告に感謝する』
『幸運を祈る。古代竜の言葉が話せる少年よ』
古代竜はそう言うと、白いたてがみをふるわせて、もう一度峡谷に響き渡るような声で吼えた。
その場に留まっていた群れが、一斉に羽ばたきはじめた。
銀色の鱗を太陽の光に眩しく煌めかせ、次々と螺旋を描いて舞い上がっていく。
群れは高く高く上がり、やがては空に浮かぶ小さな雲となった。
キースとアリーは、何が起こったのかわからなかったのだろう。
終始ぽかんとしているだけだったが、彼らの姿が見えなくなってやっと正気を取り戻したようだ。
彼らはセトに矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。
「いったい、何が起こったの? 私に何を読ませたのよ」
「何を話していたんだ? 古代竜たちはどこへ行くんだ?」
「……彼らは本当の家へ帰るんだ」
セトは、一番最後の質問にだけ答え、空の彼方から地面へと目を向けた。
結界がなくなったからか、下の様子がよく見えた。
緑の中にある古代遺跡から、人々がせわしなく走り出し、峡谷へと続く道に列をなしている。
飛竜に乗った者は、こちらを見もせずに一目散に南へと向かう。
頼みの古代竜が数十匹も空へ消えたのだ。
きっと、全ての古代竜が消えたと思っているのだろう。
もはや『竜の牙』には一万の軍勢に対抗する余力はないと知り、逃げだそうとしているに違いない。
……しかし、今からが本番なのだ。
セトは息を吸い込み、気を落ち着けてから叫んだ。
「アリー、全速力で飛んでラインツに伝えてくれ!
峡谷から全員即時撤退だ! 敵の古代竜は三匹!
古代竜はなるべくこちらに引きつける!」
あんたに命令されるのはしゃくね、と言いながらも、アリーは飛竜の脇腹を蹴り、次の瞬間には落ちるように谷の狭間へ突っ込んでいった。
その瞬間、下から大気を震わせる咆哮が聞こえてきた。
声は重なり合い、壁中に響き渡る。
古代竜の怒りの声だ。
それを聞きながら、セトは不思議と自分が落ち着いているのに気付いた。
彼は目の前で飛竜の手綱をとっているキースに声をかけた。
「キース。今度は私が巻き込むことになる。すまないな」
「……さっきの何十匹を相手にするのに比べれば、三匹くらいどうってことないよ」
キースは笑顔でこちらを振り向いた。
敵の飛竜隊の攻撃で、バベルほどではないものの、ときたま火矢の塊や熱線が飛んでくることもある。
ラインツたち地上部隊は峡谷の途中に配置された魔術師を倒しながら、比較的ゆっくりと進軍していた。
古代竜の大群の登場に、兵達は絶望に浸された。
先頭付近で白馬に乗り、指揮をしていたラインツの判断は早かった。
「全員、退却だ!
防御壁を張って、冷静に行動しろ!」
そう命令しながらも、ラインツも内心冷や汗を流していた。
あの数では、とてもではないが敵わない。
慎重に進み、敵を峡谷内にあぶり出せば古代竜との正面衝突は避けられると踏んでいたが、どうやら虎の尾ならぬ竜の尾を誰かが踏みつけてしまったようだ。
誰か、というくだりで腐れ縁の魔術師崩れの顔が思い浮かんだが、彼だという証拠はない。
……しかし、第二波のバベルを防いでから、彼を見かけていないのも事実だった。
総指揮官であるラインツの命令が伝わる前から連合軍は逃げ腰だったが、お墨付きが加わった途端、大砲も放り出して彼らは一目散に峡谷の入り口へ戻ろうと走り始めた。
「ははは、連合軍め、尻尾をまいて逃げていくわ!」
「これが我ら、『竜の牙』の威力だ!」
頭上から飛竜に乗った敵軍の罵倒が聞こえてきたが、ラインツたちは構わず退却を続け——そして、頭上を見て全員が驚いた。
古代竜が、群れをなして悠々と上っていく。
こちらへ危害を加える気配も見せず、青い空へと吸い込まれるように消えていくのだ。
「……一体どういうことだ」
ラインツはこのまま退却したものか、進んだものかしばし悩んだ。
上で勝ち誇って騒いでいた敵の飛竜部隊は、古代竜が消えたのを理解できないといった調子で見守ったあと、急に高度を上げ、峡谷を抜けて逃げていった。
その後も、峡谷の中から敵の魔術師の飛竜が戦いなど放棄したように飛んでいく。
理解できないが、何か、番狂わせが起こったに違いない。
そう気付いたラインツは、再び進軍しようと手を上げた。
そのとき、ほとんど突っ込むようにして上から一匹の飛竜が落ちてきた。
隣りにいる味方の魔術師が慌てて防御壁を張る。
が、竜に乗っている者を見て、杖を引っ込めた。
ラインツは白馬に乗ったまま彼女に話しかけた。
「アリー、生きてたか!」
それには答えず、黒髪を流した彼女はキンキンした声で怒鳴った。
「伝言よ!
峡谷から全員撤退して!
敵の古代竜は三匹!
古代竜はセトが引きつけるらしいわ!」
誰からの指示なのか、聞かなくてもわかった。
相変わらず勝手に行動して、勝手に戦を進める気らしい。
しかし、いくら初代魔王の杖を持っているとはいえ、三匹の古代竜を一手に引き受けようとするなんてどうかしている。
いや、とラインツは思い直した。
セトは、峡谷に人がいないほうが都合がいいと判断したのだ。
回りを巻き込むような、かなり大きな魔術を使う気に違いない。
ラインツは怒鳴った。
「全員、即時撤退だ! ぐずぐずするな、古代竜が残っているぞ!」
そう言っただけで、回りの兵達は再び動揺して逃げ出し始めた。
ラインツはアリーに向き直って、軍の蹄の音や喧噪の中で叫んだ。
「アリー、俺を飛竜に乗せてくれ!」




