第18話 決戦の朝
東の空が霞み、砂埃の中をゆっくりと太陽が昇ってきた。
決戦の朝が来た。
全ての兵と魔術師達が野営地前に整然と並んでいた。
以前と違うのは、魔術師の列と騎士団の列、はっきり分かれていないところだ。
外側に魔術師、内側に兵士、またその内側に魔術師と、複雑に入り組んだ陣形をとっている。
ラインツは粗末な木の壇上に上り、すらりと剣を抜き放ち、天を差して叫んだ。
「皆、全ての力を持ってして、『癒やしの天使』のかたきを討て!
今こそ決戦のとき!
『竜の牙』に我々の力を見せつけろ!」
かけ声がかけ声を呼び、野営地は地鳴りのような雄叫びに包まれた。
兵達が次々と剣を抜き放ち、空に掲げた。魔術師は各々杖を呼び出し、柄で地面を激しく叩く。
崖の向こう側まで聞こえそうなときの声だった。
ラインツが初めて演説したときの比ではない。
もっと荒々しく、もっと殺伐とした絶叫だ。
ラインツは剣を収め、くるりと振り返って演説台を降りてきた。
演説台のうしろで目立たないように立っているセトに、ラインツはぼそぼそと呟いた。
「朝起きたらメイドが消えている、というところまでは覚悟していた。
が、辺境伯の令嬢まで消えるとは思っていなかったな。
おまけに皆異様に殺気立っている」
「そのほうが助かるだろう?」
「……まあな。
しかし天幕を燃やしたのがお前だと知れたら、彼らの怒りが全部向かってくるぞ。
気をつけろ」
ラインツには、夜明け前にエディス達が消えた顛末を全て話した。
シーラ辺境伯にどう説明すればいいんだと責められたが、今更どうすることもできない。
ただ、この事件のおかげで兵士と魔術師との見えない壁が一夜にして取り払われた。
あれほど渋っていた陣形の変更にも、双方が積極的に協力している。
「結局、彼女達はどこへ行ったんだ?」
「南へ」
セトは既に出している杖が余計なことを話す前に、事実だけを述べた。
ラインツは納得していない顔だったが、頷いて隣りに用意された白馬に跨がった。
「わかった。おまえは計画通り、キースの飛竜で上にいろ」
ラインツがかかとで馬の腹を蹴ると、白馬はいなないて走り出し、隊列の中程を通り抜けていった。
セトのいる場所からは見えなくなったころ、崖の正面のほうからラインツが叫んでいるのが聞こえた。
「全軍、進撃開始!」
鋭い角笛の音と共に、剣を抜き、あるいは杖を持った連合軍が、列になり峡谷へと歩を進める。
十人ほどで押しているのであろう、後方の大砲の砲身も、ゆるゆると動き出した。
馬車の上にいる手旗信号係が赤い旗がさっと振ると、雲一つない空に、羽音を響かせ一群の影が飛んでいく。
魔術師の飛竜部隊だ。
セト達は、彼らとは別行動をとることになっている。
彼はしばらくその列を見送った後、飛竜に跨がって準備しているキースの後ろに乗り込んだ。
「さあ、仕事だ、キース」
赤土を舞い上がらせて、飛竜が空に飛び出す。
高度を増すに従って、長く細い隊列が峡谷へ向かって進んでいくのがはっきりとわかった。
眼下に味方の飛竜部隊が小さく群れをなしている。
その黒い群れは、全軍を待たず、峡谷の上で隊列をなして舞っていた。
先んじて敵の飛竜を誘い出す作戦だ。
そして、セトから目をそらすための作戦でもある。
キースは飛竜をほとんど垂直にして、高度をどんどん上げていく。
速すぎて、とてもではないが両手を離して呪文を唱えることはできそうにない。
セトはしがみつくだけで精一杯だった。
風が冷たくてたまらない、そして赤土の埃っぽさがほとんどなくなった場所で、ようやくキースは飛竜を水平に戻した。
セトは目を細め、峡谷の先を眺めた。
最初に偵察したとおり、峡谷の向こうはすり鉢状の崖で囲まれている。
囲まれた平地の部分には緑が生い茂り、まるで砂漠に突如現れたオアシスのようだった。
絶壁の一画に入った亀裂を歩く連合軍は、蟻のように小さい。
空で派手に飛び回っている飛竜部隊も、小鳥のように見える。
セトはゆっくりと立ち上がり、飛竜の背の上で杖を立て、呪文を唱え始めた。
飛竜の真下に、オレンジ色の巨大な魔方陣が現れ出る。
計画通りなら、そろそろ出てくるはずだった。
やがてセトの目の端が同じようなオレンジ色の光を捕らえた。
峡谷の向こう側で、敵が同じ技を使って彼らを撃退しようというのだ。
だが、とセトは思った。
この『バベル』の魔術は、本来何十人、何百人もの魔術師が集まり、自身の魔力をふりしぼって唱えるものだ。
行軍しながら簡単に使えるものではない。
当たれば大打撃を与える反面、セトのように大きな体内魔力がない場合、これを撃ってしまったら魔力が回復するまで相当な時間がかかるだろう。
攻め込むなら、敵が『バベル』を撃った直後を狙うしかない。
それがラインツとセトの出した結論だった。
敵は、空に描かれたセトの魔方陣に気付いたようだ。
阻止しようというのか、峡谷の向こう側からも黒い竜の影が飛び出してくる。
目を皿のようにして探したが、竜の影は小さなものばかりだった。
古代竜は今だ姿を現さない。
その飛竜達を遮るように、さっと連合軍の飛竜部隊が襲いかかった。
敵味方が入り乱れ、もはやセトの位置からでは誰がどうなっているのか判別できない。
ただ、熱線や火矢が入り乱れ、ときに地上からの大砲の音もする。
悲鳴を上げて落ちていくのは、敵か味方か。
それすらもわからないうちに、セトの術は完了した。
キースが焦ったように言う。
「セト、あの峡谷の向こうの魔方陣に向かって撃ってくれ! そうすれば『バベル』を止められる!」
「いや、まだだ。彼らが魔力を使い果たすまで待つ」
セトはじりじりと待った。
やがて、どうっと地響きのような音を立てて光が峡谷を渡ってきた。
敵が『バベル』を放ったのだ。
全てを無に帰す、巨大な光球が猛烈な速さで峡谷を進み、連合軍に迫る。
味方の魔術師達が防御壁をきちんと張ってくれていることを願いながら、セトは杖を振り下ろした。
あたりが一瞬目映く輝いたあと、ぎらぎらとした光が飛んでいった。
飛竜部隊が戦っている場所を避け、一直線に敵の光球の元へ——そして、二つの光球はぶつかり合い、轟音を立てて爆発した。
爆発で土煙が上がり、峡谷の中は何も見えなくなった。
魔術は、より強い魔術を使えば相殺できる。
その性質を利用した作戦だ。
ただ、懸念は魔術師達の防御壁で衝撃を押さえられたかどうかである。
そして、今の攻撃で、古代竜が出てこないかどうか。
煙が薄れたとき、セトは兵達が元の位置に留まっていたので安心した。
どうやら、前列の魔術師が魔法防御で衝撃を防いでくれたようだ。
が、彼が同時に見たものは、もう一つのオレンジ色の魔方陣だった。
まずい。
彼らは、二手に分かれ、同じ場所で『バベル』をもう一つ唱えていたのだ。
魔方陣がぴったりと重なり、まるで一つの魔術に見えるように。
今からセトが『バベル』をもう一度唱えても、絶対に間に合わない。
「急降下!」
セトが叫ぶと、キースもその魔方陣を認めたのか、何も言わずに飛竜の手綱を引っ張った。
飛竜はすぐに垂直落下を始める。
『バベル』が完成したのだろう、魔方陣は消え、不吉なうなり声が聞こえる。
飛竜部隊が戦ってるすぐ隣を落ちるようなスピードで走り抜け、セト達は吸い込まれるように峡谷の中へ入った。
横へ三十人ほどしか並べない峡谷は狭く、飛竜の自由はある程度利くものの、古代竜なら翼を広げただけでつっかえそうだ。
その狭い道一杯に、向こうから金色の光球が迫り来る。
連合軍側の魔術師たちは必死で防御壁を張っていた。が、あれを止めるのは至難の業だろう。
最初の一撃よりも巨大なことは見てとれた。
はなからそういう策だったに違いない。
「早くしろ! 俺も丸焦げチキンになるだろうが!」
うるさい杖を無視し、セトは素早く魔法防御の呪文を唱えた。
できるだけ大きく、できるだけ厚く。
連合軍の先に鉄壁を作るイメージで防御壁を広げていく。
一人の防御壁で、多人数の『バベル』が防げるかどうかは心許ないが、今はそうするしかなかった。
迫り来る光は視界いっぱいに広がり、世界を白く染める。
突如、重い音とともに、腕にびりびりと衝撃が走った。
はたして、受け止めきれるか。セトは歯を食いしばって魔力の壁を一層広げた。
キースは目を伏せ、飛竜を同じ場所で怯ませずにいることだけで精一杯なようだ。
ぱきり、と小さく音が鳴る。
防御壁に小さな亀裂が入っていた。
やはり、どんなに魔力があってさえ、最強の魔術を魔術防御で正面から押さえるのは無理か。
そう思ったそのとき。
亀裂を塞ぐように、小さな防御壁が張られた。
亀裂の入った場所に、次々と、小さいながらもつぎあてをするように張られる防御壁。
振り返らずともわかった。
後ろにいる連合軍の魔術師たちが張ってくれているのだ。
このときだけは、彼らも、セトも、運命共同体として戦っていた。
やがて、光球は音をはじけるような音を立てて消えた。
もはや巨大な魔方陣は見えない。
敵も、さっきの魔術を防げるとは思っていないはずだ。
三度目の『バベル』はないだろう。
歓声をあげて進む連合軍をよそに、いきなりキースがぐんと飛竜の首を上げた。
そのまま、何もいわずに垂直に上り始める。
セトは落ちそうになり、慌てて飛竜の飾り綱とキースにつかまった。
「どうした、キース? 『バベル』は消えたんだ。峡谷から攻めたほうが……」
「そうだよ、『バベル』は消えたんだ」
キースが振り向いた顔を見て、セトは目を瞬かせた。
恐ろしく座った目をしている。
「僕らの任務は終わった。僕はアリーを迎えに行く!」
「そんなめちゃくちゃな! 敵地の真っ只中に飛び込む気か?」
セトが叫んだところで、飛竜のスピードは上がる一方だった。
二人を乗せた飛竜は、峡谷の上を矢のように飛んでいった。




