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ガラスの魔王  作者: 久陽灯
第一章 魔術師とバキールの怪物
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第13話 平和の使者の出発

 天井がうっすらと白く光り出す。

 ランプに入れた火の魔石も、こころなしか光を失ったように見える。

 天幕の外がだんだん明るくなってきたらしい。

 結局、セトはあれから一睡もしなかった。


 兵士達は古代竜にとどめを刺したことを褒め称え、魔術師達の眼差しも心なしか温かかった。

 しかし、心はなんとなく晴れなかった。

 自分のしでかしたことに、一人ショックを受けていたのだ。


 古代竜をこの手で殺してしまった。

 竜は基本的に群れで行動する。

 一匹を殺したということは、全ての古代竜を敵に回したことと同じ。

 倒さねばならなかったとはいえ、今後の戦況は楽観できないだろう。


 それでもやることはやらねばならなかった。

 彼は羊皮紙のインクが乾いたかどうかを確かめた後、くるくると巻いて紐で括った。

 一刻も早く、アリーを出立させねばならない。

 和議を結べるなら早いほうがよいのだ。


 やがてあちこちから兵士達の声が聞こえ出した。

 すでに朝飯が配られているようだ。

 セトはふらっと表に出て、食物が置いてある配給している列に並んだ。

 昨日のことを知っている兵士達が寄ってきて、やたらと愛想よく肩を叩かれたり、称賛されたりしたが、その褒め言葉はどこか他人事のように感じた。

 配給係が、セトに多めにパンを渡そうとしたのも断った。

 彼はそのへんの座りやすそうな岩に腰掛けて、相変わらず乾燥しきって粉々になりそうなパンをかじり、生ぬるい水で喉の奥に押し込んだ。


 そのとき、水桶を運ぶメイドが通りかかった。

 確かエディスのメイドで、ミアという名前だ。

 昨日の夜襲では防御壁を張っていたものの、隙間から敵のブレスや熱線が入り、陣地は多少の被害を受けていた。

 伯爵令嬢は無事だったのだろうか。


 ミアを呼び止めてそう尋ねてみると、彼女は怪訝な顔をしてからうなずいた。


「……エディス様はご無事です。昨日の夜襲で傷を受けた兵達を治療しています。

 私はそのお手伝いで水桶を」

「ならよかった」


 そう言うと、ミアは真剣な眼差しでこちらを見た。


「セト様。『竜の牙』に使者を送るというのは本当でしょうか」


 驚いた。この話は、幹部会議の人々とアリー達しか知らないと思っていたのだが、どうも違ったらしい。


「どうしてミアが知っている?」

「噂です」


 困ったものだ。噂というのはすぐに広まってしまう。

 少し迷ったが、本当のことを言ってしまうことにした。特に問題はないだろう。


「そのとおり、送るつもりだ」

「それで内乱が収まるとお考えですか?」


 怒ってでもいるかのように、ミアがぶっきらぼうに言った。


「やってみなければわからない。

 昨日のことで、彼らも私たちに古代竜を倒すことができると知っただろう。

 それならば、前と違って話くらいは聞いてもらえるかもしれない」

「……そうですか」


 それだけ聞けば十分、という雰囲気を醸し出しながら、彼女はぺこりと頭を下げて水桶を運んで行った。

 馬車に乗っている間もほとんど話さない子供だったが、今朝は不思議に饒舌だ。

 しかし、味方同士のはずなのに、こちらに警戒心を持っていることは伝わってくる。

 妙な子供だ、と思いながらセトはもう一度生ぬるい水を飲んだ。






 一刻後、セトとラインツ、そして飛竜乗りたちは飛竜の天幕横で落ちあった。

 二匹の飛竜が仲良く馬肉を食べている横で、アリーが肩から袋をぶらさげ、旅支度を整えて立っている。

 手には使者の証である緑の旗を持っていた。

 キースは飛竜の背中を撫でながら、心配そうな顔をしていた。

 これが講和文書だ、と丸めた羊皮紙をラインツから渡されても、彼女はまだこれが現実とは信じられないようだった。


「本当に、私を使者にする気なの?」

「ずいぶん疑い深いな」

「なにを考えているのか私にも理解できないもの」


 本当に当惑した表情で、アリーは言った。


「私が裏切ったらどうする気?」

「気の毒だが、裏切ったときは父親と共に処刑対象になるだろう。

 三日たって帰ってこなければ、俺達は総攻撃にうつる」


 ラインツが静かな声で宣言した。

 と、アリーが始めて気弱な顔を見せた。


「どちらにしろ、私に父を説得するなんて無理よ。

 知らない人も同然だもの。

 母親は私が小さいころに亡くなったけれど、父は六賢の仕事と竜の研究に夢中で、私は乳母に育てられた。

 飛竜レースに出場したときに大げんかして以来、会ったこともないのに」

「レースに出るのは、そんなに悪いことなのか?」


 よく知らないセトがキースにこっそり耳打ちすると、彼からは苦笑いが返ってきた。


「飛竜レースは貴族の賭事って側面も強いからね。

 ガンドア卿のような学者なら、竜を使った金儲けとしか思えなかったんじゃないかな」

「無理にしろ何にしろ、だ」


 ラインツが真剣な表情を浮かべた。


「君が講和を結べるならば、この内乱はほぼ無血で終わるだろう。

 失敗したときには、多くの血が流れる。

 その違いだけだ。しかし大きな違いだ」


 アリーは目を伏せたあと、うなずいた。

 そして、さっと身を翻して肉を食べ終わった飛竜に跨がった。


「わかった。行くわ」


 そのとき、セトは丸めた羊皮紙を取り出した。

 最後まで渡そうかどうか迷っていたものだ。


「これを」


 セトが手渡した羊皮紙を、彼女はうさんくさそうな目で眺めた。


「これは?」

「……講和文書の二通目だ。

 一通目がどうしても通用しなかったとき、誰もいない場所で開封してくれ。

 どう使うかは文書の最初に書いてある」

「……なるべく使わないようにするわ」


 そう言い、彼女は無造作に鞄の中に羊皮紙を突っ込んだ。


「アリー」


 キースが飛竜の手綱をアリーに渡しながら、静かに言った。


「どうか、無事に戻ってきてくれ」

「冗談いわないでよ。私は大丈夫に決まっているでしょ。

 そっちこそ、うっかり舌切り刑にならないよう気をつけなさい!」


 軽口と共に彼女は飛竜の脇腹を蹴り、飛竜は翼を広げて天幕の上へと舞い上がった。

 まっすぐ空に突っ込んでいくような飛び方だった。

 やがて飛竜は黒い点となり、視界から消えた。

 ラインツが文句を言った。


「しかしおまえの手紙はなんなんだ。俺は聞いていないぞ」

「あれも講和文書の一種だ」


 セトはしれっと答えた。


「使ったとしても戦闘を回避できるかはわからないし、だいたい使えるかどうかも微妙だ。

 しかし、ないよりはましという代物さ」

「なるほど、使えるかどうかは神のみぞ知る、か」


 ラインツの言葉を聞いて、セトは自嘲的に笑った。


「まさか。神には十年前、既に見放されている」






 上空へ行くにしたがって、埃っぽさは消え、澄んだ空気が行く手に広がった。

 アリーは深呼吸をして新鮮な空気を肺に入れた。

 ちっぽけな白い天幕の群れが眼下に広がっている。

 その周りは一面、赤土の荒野だ。

 あんな小さな場所で四ヶ月も暮らしていたなんて、と彼女は頬に笑いを浮かべ、北へと飛竜の頭を向けた。

 大きなテーブルをぴしりと縦に割ったような峡谷の上を飛びながら、彼女は今から説得しに行く相手のことを考えていた。


 ディーン・ガンドア。

 古代竜研究者の第一人者であり、魔術師連盟の幹部、六賢の一人でもあり、そして父親でもある人物だ。

 だが、父親というものを強烈に意識したのは、勘当されかかったときと、この半年くらいのこと。

 それ以前の父親のことは、ぼやけた視界のように印象が薄い。


 しかし、ひとつだけ鮮明に覚えていることがある。

 まだ母親が生きていて、アリーが幼かったころ。

 東部の奥地での研究に、二人してついて行ったときのことだ。

 アリーはそこで飛竜に始めて乗せてもらった。

 空が夕焼けに染まる頃、飛び立った飛竜からの眺めは素晴らしかった。

 赤紫の大気の中をどこまでもかけていくさまは、幼いアリーの目にはまるで世界全体に魔術がかけられたように明るく輝いて見えた。

 そこからは、毎日飛竜に夢中になった。

 大人たちに頼んで乗せてもらううちに扱い方を覚え、自分一人でも乗りたくなった。

 そして、特訓の末、飛竜を見事に乗りこなしたとき。

 父は髭の奥にとびきりの笑みをたたえ、大きな手で頭を撫でてくれた。


「おまえは賢い。この歳で飛竜を乗りこなせる子なんていないぞ」


 それが、父に褒められた唯一の記憶だ。

 母が死んだ頃から、父はますます研究に没頭し、アリーとはほとんど顔を会わせることがなくなった。

 その分、アリーは飛竜に乗って一日を過ごした。

 飛竜を駆り、全力で飛んでいるときだけが、寂しさを忘れられる気がしたからだ。


 そして三年前。

 父が、名誉ある六賢に選ばれて、王都に召喚されることになり、アリーも共に王都へ行った。

 そこで王都の飛竜レースを始めて見たとき、彼女は興奮とともに、不思議と冷静に分析している自分に驚いた。


 あれなら、私のほうが飛べる。私のほうが速く、正確に。


 飛竜レースに参加してみよう、と決意したのはそのときだ。

 父親に認められたかった。

 優勝すれば褒めてくれる。私をまた見てくれる。

 今から思えば、単純な動機だった。


 王都賞レースに敵はいなかった。

 いや、しつこく追ってきたキースという若者はいたが、彼女のほうが一竜身抜けていた。

 アリーは一躍、優勝者として称賛を浴びることになった。

 しかし、それを意気揚々と父親に報告すると、冷水を浴びせかけられたような答えが返ってきた。


「レースだと? おまえはなぜ、下種な貴族連中と同じ考えになってしまったのだ!

 飛竜は戦のためのものだ、賭事に用いるためではない!

 今後もレースに出るというのなら、私は親子の縁を切る!」


 頑固な父親に、ついアリーもかたくなになって言い返した。激しい親子喧嘩の末、アリーは家を出た。

 もういい。父に認められなくても、レースで優勝しさえすれば、たくさんの人がアリーを称賛してくれる。

 そう思って、今まで飛竜レースを続け、勝利を重ね続けてきたはずだった。


 しかしその全てが、四ヶ月前に崩れ去った。

 一通の手紙が家に届いた。文面は完結だった。


『アリー・ガンドア殿

 貴殿の父親、ディーン・ガンドアが、この度『竜の牙』の首謀者として内乱を先導し、国家反逆罪を犯しました。

 つきましては、カサン飛竜レース委員会ではこの問題を鑑み、王国全土の全飛竜レースにおいて、貴殿の参加権を永久剥奪することに決定致しました。

 末筆ながら、貴殿の今後益々のご活躍をお祈り申し上げます』


 あの父親さえいなければ。

 アリーは怒り狂って自ら連合軍に志願し、この東の果てまでやって来た。

 しかし全てが裏目に出た。人質作戦は失敗し、アリーの居場所もどんどんなくなった。

 挙げ句の果てには厄介払いとばかりに使者に仕立て上げられ、たった一人であの頑固な父親を説得せねばならなくなった。


 アリーは、早鐘を打つ鼓動を押さえようと、もう一度深呼吸をした。

 峡谷を抜けるとすぐ、緑の多い森が見えてくる。

 荒れ地ばかりだったのに、峡谷のこちら側には不自然なまでに木々が茂っていた。

 きっと、大きな湖でもあるのだろう。

 そのとき、前方の空中に黒い影が見えた。

 『竜の牙』の飛竜だ。こちらが近付いてきたのを知り、警戒しているに違いない。

 攻撃される前に、アリーは使者の証である緑の旗を力一杯振った。

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